Part.1 に引き続き、今回は2003年~2007年に創設された6チームを紹介。
昔からあるように思えて、意外と2000年代創設というと新しく感じてしまう。
それだけ息の長いチームというのも難しいものだというのが良くわかる。
今回もページの最後に一覧をGoogle スプレッドシートでまとめてあるため、参考にしてほしい。内容は前回のもと変わってはいない。
間違いなど見つけたらご指摘をどうぞ。
他の期間についてはこちらから↓
- アスタナ・プロチーム(2007年~)
- CCCチーム(2007年~)
- チーム・ディメンションデータ(2007年~)
- チーム・サンウェブ(2005年~)
- ドゥクーニンク・クイックステップ(2003年~)
- EFエデュケーション・ファースト(2003年~)
- チーム名変遷一覧(Googleスプレッドシート)
スポンサーリンク
アスタナ・プロチーム(2007年~)
創設10年以上継続し、かつ2019年現在唯一名前の変わっていないチームである。
2007年にカザフスタン政府と企業が出資する形で、当時カザフスタン人として最高峰に位置する成績を残していたアレクサンドル・ヴィノクロフのためのチームを創設した。アスタナというのはカザフスタンの首都の名前である。
ヴィノクロフは元々、スペインのリバティー・セグロスというチームに所属していたが、このチームがドーピング問題によって存続が難しくなったことがカザフスタンの動きの切っ掛けである。ヴィノクロフは現在、チームのGMに就任している。
現在のUAEやバーレーン同様、産油国として非常に潤沢な資金を持っていたため、運営の安定と合わせ、コンタドール、アームストロング、ヴィンツェンツォ・ニバリなどの有力選手を次々と獲得し、成績を残してきた。一方でドーピング問題に揺れることも多く、一時は国内企業からの出資が止まりライセンスを継続できない可能性が浮上したこともあった。
しかし現在は再び安定期を迎え、ニバリやアルといったかつてのエースを失いつつも、新エースとして着実な成長を遂げているミゲルアンヘル・ロペスを中心に再びグランツールでの存在感を示せるチームとなることを目指している。
2007年~:アスタナ・プロチーム
CCCチーム(2007年~)
アスタナと並び、10年以上にわたって単一タイトルスポンサーを維持してきた。2011年にはカデル・エヴァンスがツール・ド・フランス総合優勝を果たし、ファンアーフェルマートは2017年にパリ~ルーベを制した。
そんな「BMCレーシングチーム」が、ついにその名前を失うときがきた。2018年春に、オーナーであったアンディ・リース氏の突然の死によって、急速に分解が始まった。とはいえ、元々BMCの撤退は噂されており、リース氏の死はそれを幾分か早めただけであった。
2019年はポーランドの靴・鞄製造販売メーカーのCCCがタイトルスポンサーに。プロコンチネンタルチームのスポンサーとして実績を残してきた企業であある。シーズン途中での急なスポンサー獲得であったこともあり、BMC時代の主力の多くが流出してしまったものの、2019年はここまででパトリック・ベヴィン、ファンアーフェルマートの2人が早速合計3勝を得るなど、悪くない滑り出しとなっている。
今年しっかりと成績を残したうえで、2020年はよりよい補強を目指したい。
2007年~2018年:BMCレーシングチーム
2019年:CCCチーム
チーム・ディメンションデータ(2007年~)
2007年に南アフリカ籍コンチネンタルチームとして創設され、翌年から活動が開始された。当初はほぼ100%アフリカ人によるチームだったが、2013年にアフリカ初のプロコンチネンタルチームとして昇格すると国際化が進み、2015年にはアフリカ籍初となるツール・ド・フランス出場を果たす。このとき、エリトリア人のダニエル・テクレハイマノが一時期山岳賞ジャージに袖を通すなど、歴史的な出来事が重なっていた。
2016年からは、ツール・ド・フランスの公式テクニカルスポンサーでもあった南アフリカのIT企業ディメンションデータがタイトルスポンサーに。マーク・カヴェンディッシュ・ファミリーなどを補強し、同年のツールではステージ4勝を記録した。
今年はさらにミケル・ヴァルグレンやクロイツィゲル、ガスパロットといったアルデンヌマイスターたちを大量補強し、さらなる進化を目指す。
なお、ディメンションデータ社は2010年よりNTTが買収し傘下に加えている。よって、このチームはいまや日本とも縁のあるチーム・・・というわけでもとくにない。日本の新聞にディメンションデータ・チームについての記事が載ったことも確かあったはずだけど、まあ、ほぼ関係ないといっていい。
チーム名からは消えてしまったが、アフリカの子どもたちに自転車を届ける「クベカ基金」は今なお継続中。背中に映えるQの文字がその象徴だ。
2007年:MTN
2008年:チーム・MTN
2009年:MTN・サイクリング
2010年:MTN・エナゲート
2011年~2015年:MTNクベカ
2016年~:チーム・ディメンションデータ
チーム・サンウェブ(2005年~)
このチームも実は日本と関係の深いチームだった。原型となるチームはシマノ=メモリー・コープ。これは、オランダ籍のチーム「メモリー・コープ」と、日本の「シマノレーシング」が合併したもので、そのときの登録選手17名中9名が日本人選手で、ローレンス・テンダムの名前と共に土井雪広や狩野智也、廣瀬佳正(現・宇都宮ブリッツェンGM)、野寺秀徳(現・シマノレーシング監督)らの名前が並んでいた。このときはオランダ籍であった。
翌年には電動工具メーカーのスキルがスポンサーとなり「スキル・シマノ」に。現在も現役で走る名選手たちが次々と加入していくが、日蘭合同チームの形態は2008年で終了となり、2009年からはオランダの「スキル・シマノ」と日本の「シマノレーシング」とに分離。オランダのチームに残った日本人は土井と2008年加入の別府だけとなり、その別府も2009年には新城幸也と共に日本人としては13年ぶりのツール・ド・フランス出場・完走を果たすもののその翌年にはレディオシャックに移籍。現在では日本人選手は1人もおらず、シマノ社もスポンサーから離れたことで関りが完全になくなった。
2011年にはマルセル・キッテル、2012年にはジョン・デゲンコルプが加入し、2012年ブエルタではデゲンコルプによるステージ5勝、ワールドツアーに昇格した翌年にはキッテルによるツール区間4勝という快挙を成し遂げ、最強スプリンターチームとしての名声を獲得していく。
しかし、2015年のブエルタで、TTスペシャリストだと思われていたトム・デュムランがまさかの総合優勝あと一歩というところにまで迫る走りを見せた。翌年にはキッテルが、そのさらに翌年にはデゲンコルプがチームを去ったことで、少しずつチームの雰囲気が変質していく。
現在はオランダの旅行代理店サンウェブがメインスポンサーとなり、デュムランやケルデルマン、サム・オーメンといった、オランダ人オールラウンダーたちがチームの中心となっている。
その一方で、現ミッチェルトン・スコットから移籍してきたマイケル・マシューズを中心としたスプリンターチームも、ニキアス・アルントやマックス・ワルシャイド、そしてマックス・カンターなどのドイツ人若手スプリンターたちが目覚ましい成長を遂げている。彼らを中心とした新しい世代のこのチームの活躍を他の市民にしている。
2005年:シマノ=メモリー・コープ
2006年~2011年:スキル・シマノ
2012年~2013年:アルゴス・シマノ
2014年:チーム・ジャイアント・シマノ
2015年~2016年:ジャイアント・アルペシン
2017年~:チーム・サンウェブ
ドゥクーニンク・クイックステップ(2003年~)
2003年の創設以来、一貫してベルギーの床材メーカーがメインスポンサーを務める。
また、創設当初のダヴィタモンやエティックスなどは、製薬会社のオメガファーマ社のブランド名であり、2009年~2011年の一時期同社が現ロット・スーダルのスポンサーと務めていた時期を除き、 この会社も長くこのチームを支えてきてくれていた。
だが、その蜜月関係も2007年で終わりを告げ、クイックステップ社の単独スポンサーに。
さすがにそれでは存続できないということで昨年、スポンサー問題が立ち上がったが、晴れてベルギーの建材メーカー・ドゥクーニンク社がタイトルスポンサーを務めることになり、問題は回避された。
このチームは2003年創設だが、その前身を含めると歴史はさらに長い。その前身とは、1993年創設、同じくパトリック・ルフェーブルがスポーツディレクターを務めていた「マペイ」である。
現在のクイックステップ同様にワンデーレースにひたすら強かったこのチームは、ヨハン・ムセウ、パオロ・ベッティーニ、オスカル・フレイレなどの名選手を輩出し、パリ~ルーベでは2度も表彰台を独占したことすらある。
数々の伝説を残したクラシック最強チーム、マペイ。現在のクイックステップは、そのDNAをはっきりと受け継いでいると言えるだろう。
2003年~2004年:クイックステップ・ダヴィタモン
2005年~2007年:クイックステップ・イネルゲティック
2008年~2011年:クイックステップ
2012年~2014年:オメガファーマ・クイックステップ
2015年~2016年:エティックス・クイックステップ
2017年~2018年:クイックステップ・フロアーズ
2019年:ドゥクーニンク・クイックステップ
EFエデュケーション・ファースト(2003年~)
2003年に現役を引退したジョナサン・ヴォーターズが、同年に立ち上げたジュニア育成チームが前身。当時はコロラド州の出版会社「5280マガジン」がスポンサーを務め、のちに金融サービスの「TIAAクレフ」、そしてレストランチェーンの「チポトレ・メキシカン・グリル」などのスポンサーに移り変わっていった。
2008年の6月に大手GPSメーカーのガーミン社がタイトルスポンサーに。この年のジロ・デ・イタリアの初日チームTTで優勝し、クリスティアン・ヴァンデベルデが1日だけマリア・ローザを着用した。同年のツールではヴァンデベルデが総合5位(4位)。
2009年には後にツール覇者となるブラッドリー・ウィギンスが1年だけ所属し、ツール・ド・フランスで総合4位(3位)。同年のブエルタ・ア・エスパーニャではスプリンターのタイラー・ファラー、TTスペシャリストのデイヴィッド・ミラー、カナダ人オールラウンダーのライダー・ヘシェダルが合計3勝するなど、チームの黄金期が始まる。2012年にはヘシェダルがジロ・デ・イタリア総合優勝を果たし、2013年・2014年にはチーム叩き上げのダン・マーティンが立て続けにモニュメントを制していく。
日本との関係も少なくない。ダン・マーティンが2010年のジャパンカップで優勝し、2013年にはクリテリウムでスティール・ヴォンホフ、ロードレースで(繰り上げにより)ジャック・バウアーが制している。2016年もダヴィデ・ヴィレッラが優勝するなど、これからもジャパンカップでは常に存在感を示してくれることだろう。
2012年から2014年にかけては、シャープ米国法人がスポンサーを務め、「ガーミン・シャープ」と名乗っていたことも記憶に新しい。
そんな「ガーミンチーム」が大きくカラーを変えるきっかけとなったのが、2015年の「キャノンデール」との合併。
旧キャノンデールの選手はほとんどおらず、ほぼガーミンが名前を変えただけに近い形となったが、同年はワールドツアーレースでは1勝しかできず、大不振。
翌年にはガーミンもスポンサーを撤退し、チームの柱だったマーティンとヘシェダルも移籍するなど、少しずつかつての勢いを失いつつあった。
2017年にはスポンサー問題が浮上。
チーム消滅の危機を迎えたヴォーターズのスリップストリームスポーツは、クラウドファウンディングも含めたチーム存続努力を開始した。同年のブエルタ・ア・エスパーニャにおいて、チームが一丸となって集団を牽引し、スポンサー獲得に向けてのアピールを続けていた姿は印象的だった。
結果、ヴォーターズは新スポンサーを獲得した。
1965年にスウェーデンで生まれ、現在世界116ヵ国で語学学校や留学事業などを展開する世界最大級の私立教育機関「EFエデュケーション・ファースト」である。
かつてガーミン時代の青からキャノンデール時代の緑を経て、新たなスポンサーのコーポレーションカラーであるピンクを見に纏い、新生チームが新たな船出を迎えた。
現在のエースは2016年からチームに合流したリゴベルト・ウラン(17ツール総合2位)、マイケル・ウッズ(18ブエルタ区間1勝、世界選手権ロード2位)。
コロンビアの若手マルティネスや5月から合流予定のイギータなども将来有望で、希望の光が見えてきている。
今年はツアー・コロンビアのチームTTでも優勝するなどTT力の改善も見られ、以下の動画では新スポンサーによる財政改善の賜物ではないかと考察されている。
かつての黄金期を取り戻すことができるか?
名門チームは新たな時代を迎えることとなる。
2003年:5280/スバル
2004年~2006年:TIAA-クレフ
2007年~2008年:チーム・スリップストリーム・p/b・チポートレ
2009年:ガーミン・スリップストリーム
2010年:ガーミン・トランジションズ
2011年:ガーミン・サーヴェロ
2012年~2014年:ガーミン・シャープ
2015年:キャノンデール・ガーミン
2016年:キャノンデール・プロサイクリングチーム
2017年:キャノンデール・ドラパック・プロサイクリングチーム
2018年:チームEFエデュケーション・ファースト・ドラパックp/bキャノンデール
2019年:EFエデュケーション・ファースト
次回は最終回。
1980年代創設のチームも含めた6チームを紹介。
チーム名変遷一覧(Googleスプレッドシート)
(リンク先では大きな画像で見られます)
スポンサーリンク