りんぐすらいど

サイクルロードレース情報発信・コラム・戦術分析のブログ

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ワールドツアーチーム名変遷について Part.3(1980年~)

随分、間が空いてしまったが、現在の18あるワールドツアーチームについて、その運営母体となるチームは一体いつから存続しているのか?を調べている。

その最終回となる1980年~1997年に創設された最古の6チームについて、紹介していく。

www.ringsride.work

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このあたりのチームになるとかなり思い入れのある人も多く、そういった方々からすると浅すぎる内容だったり事実誤認があったりするかもしれない。

もし間違いや付け加えるべき事項などあればご指摘いただけると幸い。

 

またページの最後に一覧をGoogle スプレッドシートでまとめてあるため、参考にしてほしい。内容は前回までのもと変わってはいない。

 

 

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グルパマFDJ(1997年~)

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1994年に引退したマルク・マディオが中心となって創設。メインスポンサーはフランス宝くじ公社のフランセーズ・デ・ジュー。その略称「エフデジ」が2010年からは正式な名称となった。

一時期、フランスでホームセンターを手掛けるビッグ・マット社がセカンドスポンサーについたこともあったがすぐさま撤退。長らくフランセーズ・デ・ジュー単独でのスポンサーが続いたが、2018年よりフランスの保険会社グルパマが共同スポンサーに加わり、年間予算も3割アップの1800万ユーロ(約24億円)まで増額。エースのティボー・ピノがイル・ロンバルディア制覇や今年のツールでの大活躍を見せるなど、チームとしての勢いも着実に増しつつある。

そんな中、期待したいのは次代の育成。今やピノに次ぐセカンドエースとなりつつある元ラヴニール覇者ダヴィ・ゴデュや、デマールに次ぐエーススプリンターとしての可能性をもつマルク・サロー、そして、ステージレースおよびアルデンヌ・クラシックでの可能性を秘めているヴァランタン・マデュアスなど・・・原石は十分に抱えており、あとはチームがそれをどれだけ花開かせることができるか。

 

1997年~2002年:ラ・フランセーズ・デ・ジュー

2003年~2004年:FDジュー.com

2005年~2009年:ラ・フランセーズ・デ・ジュー

2010年~2011年:FDJ

2012年     :FDJ・ビッグマット

2013年~2014年:FDJ.fr

2015年~2017年:FDJ

2018年~    :グルパマ・FDJ

  

 

AG2Rラモンディアル(1992年~)

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1992年にロードレースを引退したヴァンサン・ラヴニュが、同年にシャザルをスポンサーに据えて創設。1997年からは年金などを管理・運用する共済組合AG2Rラ・モンディアルがサブスポンサーを務め、2000年以降はメインスポンサーに昇格した。

初期にはアレクサンドル・ヴィノクロフが在籍したり、プロツアー入りを果たした2006年以降にはフランシスコ・マンセボやクリストフ・モロー、ニコラス・ロッシュなども活躍を見せた。

2014年にはツール・ド・フランス総合2位にジャン=クリストフ・ペローが上り詰め、同年に総合6位となった若きロマン・バルデが2016年には自らまた総合2位を手に入れた。フランス人による30年ぶりのツール総合優勝が2度も目前にまで迫ったわけではあるが、その後、2018年以降にバルデが不調の海の中に沈む。今もなおその苦しみからは抜け出せない中で、オリバー・ナーセンやステイン・ファンデンベルフなど、北のクラシックの強化や国際化など、これまでとはまた違った方針を定め始めている。

 

1992年~1995年:シャザル

1996年     :プティ・カジノ

1997年~1999年:カジノ=AG2R・プレヴォワイアンス

2008年~    :AG2Rラモンディアル

 

 

UAEチーム・エミレーツ(1991年~)

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ジロ・デ・イタリアで2度の総合優勝経験をもつジュゼッペ・サロンニが、自身がかつて所属していたデル・トンゴ(1982年~)の解散を受け、これを継承する形で結成した。当初のチーム名は自転車メーカー「コルナゴ」と、鉄板製造会社「ランプレ」とが共同スポンサーとなった「コルナゴ・ランプレ」。コルナゴの名は1993年に消滅するが、UAEチーム・エミレーツとなった現在のバイクスポンサーも彼らが務めている。

ランプレがスポンサーを離れた翌年にチームは一度解散する。1999年にダイキン工業イタリア法人との共同出資で復活するが、その後もスポンサー探しには苦労を重ねた。

2013年からは台湾のバイクメーカー・メリダ社が新たなスポンサーに加わり、一旦の安定期を迎えたものの、財政的には常に苦しく、その中でディエゴ・ウリッシによるジロ・デ・イタリア勝利やルーベン・プラサによるツール・ブエルタ連続逃げ切り勝利などそれなりの実績を重ねていったため、少ない予算で結果を出すコストパフォーマンスの良いチームなんて言われたりもしていた。

しかし2016年末に解散危機や中国スポンサーの突然の撤退などの混乱を経て、翌2017年からはアラブ首長国連邦および同国最大の航空会社エミレーツ航空という超巨大スポンサーを獲得。潤沢な資金でもってアレクサンドル・クリストフ、フェルナンド・ガビリア、ファビオ・アル、ダニエル・マーティンなどの大型選手を次々獲得。さらにベテランだけでなくタデイ・ポガチャルやジャスパー・フィリプセン、来期についていえばブランドン・マクナルティやミッケル・ビョーグなど、才能豊かな若手選手たちも次々と獲得している。

低予算で結果を出してきた「コストパフォーマンスの良いチーム」が、大金を手に入れたらどう変貌するのか、前向きな気持ちで見ていきたい。

 

なお、ランプレ時代は日本とも関わりのあるチームだった。ジャパンカップ優勝経験もあり現在もよく来日してくれるジロ・デ・イタリア覇者ダミアーノ・クネゴも過去に在籍。在籍当時にジャパンカップで2回勝っている。

そして2016年には新城幸也が所属しており、ツアー・オブ・ジャパンやジャパンカップにも出場。チャンピオンシステムが手掛けるランプレチームジャージは新城の加入で売り上げが5倍になったという話も。

ただしその蜜月関係も、新城がバーレーンに移籍し、チームもアラブ首長国連邦籍となってしまった2017年以降は断絶。チームとしても面白くなりつつあるこのUAEが、再び日本に訪れてくれることをひそかに期待している。

 

1991年     :コルナゴ・ランプレ

1992年     :ランプレ・コルナゴ

1993年     :ランプレ・ポルティシ

1994年~1995年:ランプレ・パナリア

1996年     :パナリア・ヴィナヴィル

1999年~2002年:ランプレ・ダイキン

2003年~2004年:ランプレ

2005年     :ランプレ・カッフィータ

2006年~2007年:ランプレ・フォンディタル

2008年     :ランプレ

2009年     :ランプレNGC

2010年     :ランプレ・ファルネーゼ・ヴィーニ

2011年~2012年:ランプレISD

2013年~2016年:ランプレ・メリダ

2017年~    :UAEチーム・エミレーツ

 


ロット・スーダル(1985年~)

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ベルギーの宝くじ公社ロットが一貫してメインスポンサーを務める。バイクサプライヤーも、2009年~2011年の一時期を除いて同国の自転車メーカーであるリドレーが務めている。

チーム監督はこのチームでの選手経験ももち、一時期はマペイ・クイックステップの監督も務めていたマルク・サルジャンが2003年以降一貫して務めているが、ビジネスマネージャー(≒GM?)はどうやらころころ変わっているらしい。このあたりの体制についてはやや不明。

クイックステップのスポンサーも務めていたオメガファーマ社は、近い時期にこちらのロットチームの方のスポンサーにもなっていた。ダヴィタモン・ロット、プレディクトール・ロット、サイレンス・ロット・・・すべてオメガファーマ社の製品名である。
それは現在、シーリング・コーキング材メーカー「スーダル」がスポンサーについてからも変わらぬ宿命で、1シーズンに一度だけ、同社の製品「フィクソール」を冠した「ロット・フィクソール」にチーム名称およびジャージを変えるレースが存在する。
まあ、それもある意味風物詩、ということで・・・。

かつてはロビー・マキュアンやフィリップ・ジルベール、次いでアンドレ・グライペルなどに代替わりしていきながら、スプリントとクラシック(とくにアルデンヌ)での活躍を重ねてきた。そのマインドは現在も変わらず、今シーズンからグライペルに代わってカレブ・ユアンがエーススプリンターを務め、ジロ2勝ツール3勝など彼自身にとっても史上最高の成績を叩き出している。

またクラシックではフランドル・ステージレース寄りのティシュ・ベノートやアルデンヌよりのティム・ウェレンスを2大エースとしつつ、トーマス・デヘントの山岳逃げ、ヴィクトール・カンペナールツのアワーレコード更新など話題に事欠かない。現在の2つのスポンサーも2022年までの契約延長が発表されており、しばらくはこの赤いチームも安泰でい続けることだろう。

この間にぜひ若手の育成を、と思っていたところでビョルグ・ランブレヒトのあまりに早すぎる喪失・・・悲しみを乗り越え、さらなる成績を。

 

 

1985年     :ロット

1986年     :ロット・エメルキシル・メルクス

1987年     :ロット・メルクス

1988年~1989年:ロット・フラーンデレン・ヨング・Mbk・メルクス

1990年     :ロット・スーパークラブ

1991年     :ロット

1992年     :ロット・マヴィックMBK

1993年~1994年:ロット

1995年     :ロット・イソグラス

1996年     :ロット

1997年     :ロット・モビスター・イソグラス

1998年~1999年:ロット・モビスター

2000年~2002年:ロット・アデッコ

2003年~2004年:ロット・ドモ

2005年~2006年:ダヴィタモン・ロット

2007年               :プレディクトール・ロット

2008年~2009年:サイレンス・ロット

2010年~2011年:オメガファーマ・ロット 

2012年~2014年:ロット・ベリソル

2015年~    :ロット・スーダル

  

 

チーム・ユンボ=ヴィズマ(1984年~)

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このチームも非常に紆余曲折の激しいチームである。
スタートは1984年のクワンテュム・ハレン=デコソル=ヨーコ。その後は2~3年でチーム名が変わる時期がしばらく続くが、1996年にオランダ・ユトレヒトに本拠地を置く金融機関「ラボバンク」がメインスポンサーに。これが10年以上続いたことで、今でもなおこのチームのことを「ラボバンク」「元ラボバンク」「ラボバンクチーム」と呼ぶ人も多いくらい、ロードレースファンの間では象徴的な名前となっている。

それゆえにその撤退はあまりにも衝撃的だった。2012年。ランス・アームストロングのドーピング違反が確定となったことを受けて、ラボバンク社がロードレース界からの完全撤退を宣言。「もはやこのプロの世界がこのスポーツを公正かつ潔白なものとすることはできないと確信した」

ただしラボバンク社は、名前こそつけることは認めないものの、新たなスポンサーを獲得するまで、2013年の間は出資を続けることを約束した。チームは名前を「ブランコ(スペイン語で「白」の意)」と改め、異例の「スポンサー名なし」の状態での新たなスポンサー探しに奔走した。

なんとか2013年の後半と2014年は、アメリカのコンピュータ関連会社ベルキンのスポンサーを得ることに成功する。2015年からはオランダの宝くじ公社「ロットNL」と、オランダのスーパーマーケット「ユンボ」がスポンサーとなり、2019年からはロットNLの撤退に伴い、ノルウェーの非公開会社「ヴィズマ」が新スポンサーとして加わった。

かつてはデニス・メンショフやオスカル・フレイレなどがグランツール総合やステージ優勝、世界選手権などで活躍。2010年代に入ってからはロベルト・ヘーシンクやバウケ・モレマ、ステーフェン・クライスヴァイクなどがオランダの総合系を支える存在として活躍していった。

そして今、クライスヴァイクによるツール総合3位や、プリモシュ・ログリッチェによるジロ総合3位など、グランツール総合争いにおける最有力チームの1つに数えられるまでに成長しつつある。さらにはスプリントにおいてもディラン・フルーネウェーヘンを筆頭としたタレントが揃い、ロードレースのあらゆる局面において活躍するトップチームであることは間違いない。

その「あらゆる局面」にはクラシックも当然入ってくる。それを支えるのがこのチームとシクロクロスの関係である。結成当初はアドリ・ファンデルプールやスヴェン・ネイスといった才能を輩出してきたこのチーム。今年、ワウト・ファンアールトという才能が新たにチームに加わり、クリテリウム・ドゥ・ドーフィネやツール・ド・フランスにおいてその才能を発揮し始めている。

シクロクロスでの活躍も間違いなしと思われていたファンアールトだが、残念ながらツールでの落車により2019-2020シーズンはきびしいかもしれない。代わって、フルーネウェーヘンの発射台として急成長を遂げているマイク・テウニッセンが、今年はシクロクロスに戻ることを宣言。シクロクロスシーズンにおける彼らの活躍も楽しみになりそうだ。

 

1984年~1986年:クワンテュコム

1987年~1989年:スーパーコンフェックス

1990年~1992年:ブクラー

1993年~1994年:ワールドパーフェクト

1995年     :ノヴェル

1996年~2012年:ラボバンク

2013年~2014年:ベルキン・プロサイクリングチーム

2015年~2018年:チーム・ロットNLユンボ

2019年~    :ユンボ・ヴィズマ

  


モビスター・チーム(1980年~)

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現存するワールドツアーチーム最古のチームとなるのがこのチーム。元レイノルズ、元バネスト、元ケス・デパーニュ。1つ1つのスポンサー期間も長いため、上記の名称でこのチームのことを覚えている人たちも多い。むしろモビスターという名前はかなり「新しい」印象ではあるようだ。

チーム最大の功績はバネスト時代のミゲル・インドゥラインによるツール・ド・フランス5連覇。世界選手権も制したそのTT能力の高さを生かしたツール制覇は、のちのウィギンスやフルームのスタイルにも継承されていく。

現在は現世界王者バルベルデやツール総合2位経験者キンタナなど、スペイン語圏の有力総合系選手を多く抱える。しかしここ2年の「トリプルエース」体制は完全に失敗。今年のジロを制したカラパスを含め、キンタナ、ランダとエース級の選手たちが流出する事態となっている。

だが、それはこのチームにとってもプラスになるものと信じている。彼らが抜けたあとにも、マルク・ソレルという才能豊かな若手が残っており、またエンリク・マスという「コンタドールの後継者」も新たに獲得する。バルベルデも2021年まではチームに残り支えてくれることを宣言しており、チーム結成40年目となる来年、このチームは新たな輝きを放ち始めることになるだろう。

なお、2014年からバイクサプライヤーを務めるキャニオン社の意向もあり、ドイツ若手の獲得もちらほら。このチームも少しずつ、国際化の波の影響を受け始めていきそうだ。北のクラシックはたぶん、強化しないのだろうけれど・・・。

 

1980年~1989年:レイノルズ・チーム

1990年~2000年:バネスト

2001年~2003年:iバネスト.com

2004年~2005年:イリュスバレアレス・バネスト

2006年     :ケスデパーニュ・イリュスバレアレス

2007年~2010年:ケス・デパーニュ 

2011年~    :モビスター・チーム

  

 

チーム名変遷一覧(Googleスプレッドシート)

19WTTチーム名変遷表

(リンク先では大きな画像で見られます)

 

  

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