りんぐすらいど

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ジロ・デ・イタリア2021――いかにしてエガン・ベルナルはもう一度「スタートライン」に立ったのか

 

残り300mで上体を上げ、レインジャケットのファスナーを下ろす。

残り200mで両手を離し、完全にジャケットを脱ぎ捨てた。

その下にはマリア・ローザ。イネオスのロゴが大きく表示された、栄光のピンクジャージ。

残り25mで彼は両手を広げ、高く空に突き上げた。

 

「何か特別なことをしたかった。ゲームに戻ってきたことを示したかった。チームは僕を信頼し続けてくれていた。だから僕は挑戦したんだ。もちろんそれは大変なことだった。でも、天候が厳しいときには、心も強くする必要がある。僕は心を強く持ってスタートし、そしてそれを維持し続けた。それはとても苦しい1日だったけれど、僕はやりとげたんだ*1

 

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ジロ・デ・イタリア2021、第16ステージ。

元々予定されていた総獲得標高5,700mは、悪天候のためのレース短縮により多少易化したものの、それでも標高2,233mのチマ・コッピを擁する153kmのステージは、標高2,650mの環境で生まれ育ったツール覇者に大きなリードを与えるのには十分すぎるステージとなった。

 

前日まで2分以内に4名の選手が固まっていた中で、この日のベルナルの圧倒的な走りは、彼らライバルたちを一気に突き放す結果となった。

ある意味、この日、今年のジロ・デ・イタリアは決着した。

第16ステージのフィニッシュ地点で見せたベルナルのパフォーマンスは、彼のこの3週間の戦いへのグランド・フィナーレであり、マリア・ローザ獲得を祝福するものであった。

 

そしてそれは、2019年にツール・ド・フランスを制したあと、彼に襲い掛かった苦難の歴史への1つの終止符であり、そしてそれは新たなる旅路への出発を意味する瞬間でもあった。

 

 

止まっていた時計は動き出す。

ここからベルナルの2020年代が始まりを告げる。

 

今回は、そんなエガン・ベルナルの「スタートライン」に至るまでの歴史と、このジロ・デ・イタリアでの道のりを振り返っていこう。

 

目次

 

ジロ・デ・イタリア全21ステージのレースレポートはこちらから

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イタリアへの道

エガン・ベルナル。本名エガンアルリー・ベルナルゴメス(Egan Arley Bernal Gómez)。

彼は1997年1月13日、コロンビアの首都ボゴタから車で1時間半の位置にある、「塩の教会」で有名な町シパキラ(Zipaquirá)で生まれ育った。

標高2,650mのその町で、幼少時に身体を作り上げたこの才能の塊は、2015年、18歳のときに、アンドラで行われたジュニアマウンテンバイク世界選手権のために初めてヨーロッパに足を踏み入れた。

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コロンビア車連で働いていたイタリア人コーチのアンドレア・ビアンコが、エージェントとして活動し始めていた元ライダーのパオロ・アルベラーティに「有望な人物がいる」と電話で連絡したことが、ベルナルがその後1ヵ月間アルベラーティの自宅のあるシチリアで過ごすきっかけを作った。

このときすぐにアルベラーティはベルナルの才能に惚れ込んだ。そして急遽出場させたイタリアの3つのレース全てで勝利し、そのうちの1つが「ソニャンド・イル・ジロ・デッレ・フィアンドレ(フランダース・ツアーを夢見て)」と呼ばれる(おそらくは)未舗装路のレース。

そしてアルベラーティは、アンドローニジョカトリのGM、ジャンニ・サヴィオにベルナルを売り込んだ。最初、サヴィオは彼がまだ若すぎると思って一旦拒否したものの、次いでアルベラーティが送ってきたラボテストの結果を見て、すぐさま彼に電話をした*2。 

ベルナルのプロ契約はすぐに決まった。一度コロンビアに戻った彼はすぐさまイタリアに引き返し、そしてトリノを州都とするイタリア北西部ピエモンテ州にて2年間を過ごすこととなる。

 

2016年(19歳)の主な戦績

GPインダストリア&アルティジアナート(1.1) 12位

セッティマーナ・コッピ・エ・バルタリ(2.1) 新人賞

ジロ・デル・トレンティーノ(2.HC) 新人賞

ツール・ド・スロベニア(2.1) 総合4位&新人賞

ツール・ド・ラヴニール 総合4位

※現ツアー・オブ・ジ・アルプス

2017年(20歳)の主な戦績

ブエルタ・ア・サンフアン(2.1) 総合9位&新人賞

GPインダストリア&アルティジアナート(1.HC) 5位

ティレーノ~アドリアティコ(2.WT) 新人賞2位

セッティマーナ・コッピ・エ・バルタリ(2.1) 総合4位&新人賞

ツアー・オブ・ジ・アルプス(2.HC) 総合9位&新人賞

シビウ・サイクリングツアー(2.1) 区間2勝&総合優勝

 ツール・ド・ラヴニール 区間2勝&総合優勝

イル・ロンバルディア(1.WT) 13位

 

個人的に彼の存在に注目し始めたのは、2017年のティレーノ~アドリアティコ第5ステージであった。

当時はイーガンアルリー・ベルナルと呼んでいたが、ペテル・サガンが勝ち、ティボー・ピノやプリモシュ・ログリッチ、ゲラント・トーマスといった錚々たる顔ぶれしか残らない先頭集団から、わずか6秒遅れの11位フィニッシュを果たし、ボブ・ユンゲルスから一時的に新人賞ジャージを奪い取った彼に、近い将来の可能性を感じた瞬間だった。

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その後、彼はチーム・スカイ(現イネオス・グレナディアーズ)との契約が噂され、さらにはツール・ド・ラヴニールでの総合優勝という結果がついてきた。

成功を約束された男。

しかし、そのポテンシャルは、想像をはるかに超えていた。

 

 

世界最強の男へ

2018年。噂通りチーム・スカイと契約し、わずか21歳でワールドツアーデビューを果たしたラヴニール覇者、ベルナル。

その緒戦となる1月のツアー・ダウンアンダーでは総合6位&新人賞。続く2月のコロンビア・オロ・イ・パ(現ツアー・コロンビア)で総合優勝。ここまでは割と、想像の範囲内であった。

3月のボルタ・シクリスタ・ア・カタルーニャでは最終日直前まで総合2位の位置につけていたベルナル。残念ながら最終日のモンジュイックの丘ステージにて落車し、リタイアしてしまうが、復帰緒戦のツール・ド・ロマンディで見事リベンジ達成となる総合2位。総合優勝を果たしたプリモシュ・ログリッチに対してわずか8秒差と、すでにして世界トップライダーの仲間入りを果たす成績を叩き出していた。

そして迎えた、5月のツアー・オブ・カリフォルニア。ここで彼は2つの山頂フィニッシュ(ジブラルタルロードとサウスレイクタホ)を共に制し、総合2位ティージェイ・ヴァンガーデレンに対して1分25秒差という圧倒的なタイム差で総合優勝を果たした。

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ワールドツアー1年目、わずか21歳での、ワールドツアーレースでの総合優勝。

前年のラヴニール覇者と言っても、それまでの「ラヴニール覇者」は、2010年に総合優勝し2013年にツール・ド・フランス総合2位になったナイロ・キンタナや、2011年に総合優勝し2015年のブエルタ・ア・エスパーニャで頭角を現したエステバン・チャベスなど、ラヴニール勝利から結果につながるまでに数年のスパンが必要というのが基本認識のはずだった。

しかし、このベルナルから――正確に言えばファビオ・ヤコブセンやアルバロホセ・ホッジ、カスパー・アスグリーンなどが勝利者として名を連ねる「2017年ラヴニール世代」から――その常識は明らかに変質していった。

 

そうして高まる期待の果てに出場した2018年のツール・ド・フランス。

彼にとって当然初となるこのツールにて、彼は第1週の最終日にあたる「パリ~ルーベ・ステージ」でのアクシデントで大きくタイムを落とし総合争いからは早々に脱落。それでもその後の山岳ステージでは、クリス・フルームとゲラント・トーマスのダブルエースをしっかりと支え、とくにクイーンステージとなった第17ステージの終盤で崩れ落ちたフルームを牽引して助け出す姿は、多くの視聴者の印象に残ったことだろう。

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彼はいつか将来近いうちにツールを制する男だ、というのがこのときの衆目の共通認識だった。育ての親、ジャンニ・サヴィオもまた、それを当たり前のものとして認識していた。

とはいえ、フルームもトーマスもいる中、ベルナルがエースとしてツールを走ることができるのはあくまでも数年後。

チームも彼も同様に考え、2019年はまずはジロ・デ・イタリアにエースとして出場する予定であった。

 

しかし、直前のトレーニング中の事故により鎖骨骨折。

ある意味ツール以上に思い入れのあった「コルサ・ローザ」デビューのチャンスを失うこととなった。

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その結果が、2019年のツール・ド・フランスである。

ジロを回避したベルナルは、前年同様のこのツールでのフルーム&トーマスの最強山岳アシストとして出場が予定されていた。

だが、直前のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネにおける、クリス・フルームの衝撃的な事故。

これによりベルナルはトーマスとダブルエース体制でツールに臨むこととなり、これは多くのファンによって、「もしかしたら」と予感させるのに十分な出来事であった。

 

 

2019年ツールの最初の山場となる第6ステージ、「ラ・プランシュ・デ・ベルフィーユ」では、最終盤の未舗装路の激坂フィニッシュで先行したのはトーマスの方だった。3名の逃げきりに次いでメイン集団の先頭(4位)でフィニッシュしたゲラント・トーマスから遅れること9秒。ベルナルは12位だった。

総合成績ではトーマスから4秒遅れの総合6位に。さらに第13ステージのポーの個人TTでは区間2位トーマスから1分22秒遅れの区間22位でフィニッシュし、総合成績においても一旦は5位にまで転落した。

 

だがある意味で、彼はこの立場を利用したアグレッシブな攻撃を第18ステージで仕掛けることとなる。

 

アンブランからヴァロワールまでの208㎞山岳ステージ。

フィニッシュまで9㎞の地点に山頂が置かれた超級山岳コル・ドゥ・ガリビエ。

標高2,642m。標高2,650mのシパキラで生まれ育ったベルナルにとっては、ホームグラウンドとも言うべき環境であった。

 

この頂上まで残り3.2kmの地点で、彼は動いた。総合2位ゲラント・トーマスから、「勝負を動かしてこい」という指示を受けてのアタックだったという。

アレハンドロ・バルベルデがここに貼りつこうとしたが、すぐさま振り払われた。そのまま総合勢としては単独で8位フィニッシュ。世界最強の片鱗を見せつけた瞬間であった。

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この結果、トーマスを5秒上回っての総合2位に浮上。

イネオスにとっては、最終決戦に向けて選択肢を増やす結果となり、そして前年のトーマスとフルームによる総合ワンスリーに続く表彰台支配のチャンスでもあった。

あとは、1分30秒先行するフランスの英雄、ジュリアン・アラフィリップを打ち倒すだけ。

その舞台となったのは、第19ステージ。アルプスで最も高い峠であるイズラン峠を越えるステージである。

 

 

その日は快晴のままスタートした。序盤で総合5位ティボー・ピノがまさかの涙のリタイアという波乱を含みつつも、最終決戦場イズラン峠に向けて、ジュリアン・アラフィリップと彼のチームメートを崩壊させるべく、総合3位のゲラント・トーマスや総合4位のステフェン・クライスヴァイクが執拗に攻撃を繰り返していく。

やがて、アラフィリップの足が止まった。

それを見て、ベルナルはついに動き出した。

前日はゲラント・トーマスの指示を受けてのアタックだった。

しかしこの日、彼は、自らの意思でイズランの山頂に向けて羽ばたいた。

 

一瞬で先行していたトーマス・クライスヴァイクに追い付き、さらにはこれを追い抜いた。

逃げに乗っていたニバリも、ウランも、バルギルも、突如やってきたこの白い弾丸に触れることすらできなかった。

 

誰もがこの瞬間、悟った。

彼こそが、世界最強の男なのだということを。

 

フィニッシュまで残り40㎞。

前年のジロ・デ・イタリアで、クリス・フルームが見せつけた80㎞独走逆転勝利に匹敵する伝説的な独走劇が、今まさに繰り広げられるはずであった。

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だが、伝説の再現は唐突に打ち切られた。大自然の猛威によって。

 

「全チームに極めて重要なメッセージあり。コース上に大量に雹が降り、いまだ路上に積もっている状況だ。通行できる状態ではない。即時ステージを中止する!*3

 

結果的にこの日のイズラン峠の山頂通過時間が総合タイム差に反映されることとなり、ベルナルはアラフィリップを上回り総合首位、マイヨ・ジョーヌをついに手にすることとなった。

 

 

その先の結末は言うまでもない。第20ステージの最後の山頂フィニッシュでもベルナルは危なげなくそのタイム差を守り切り、ついにコロンビア人初となるツール総合優勝の栄誉を手に入れた。

「これは自分自身の栄誉というよりは、コロンビア全体の栄誉だ」と涙と共に語ったベルナル。あくまでも謙虚に、そして無邪気に喜ぶ、若き王者の姿がそこにはあった。

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きっと彼はこの先の2020年代の新たなヒーローとして活躍し続けていくことになるだろう。

大怪我を負い、かつての力を取り戻しての復帰ということに不安の残るクリス・フルームに代わり、新時代のイネオスを引っ張っていく存在となるだろう。

 

2020年代はベルナルの時代である。

たとえフルームが達成できなくとも、ベルナルがすぐにでも「5勝クラブ」入りを果たしてしまいそうだ。

 

そう、このときは思っていた。

 

 

痛みと共に

新型コロナウイルスの影響によって滅茶苦茶にされてしまった2020年シーズンではあったが、8月からのシーズン再開直後、まずは1クラスのルート・ドクシタニーにおいてベルナルは順調に総合優勝を果たした。

しかし、続いて開催された同じく1クラスのツール・ド・ランでは、前年のブエルタ・ア・エスパーニャ覇者プリモシュ・ログリッチとの一騎打ちに敗れ、総合2位に。

2010年代にわたり常に最強の山岳トレインを用意し続けてきたスカイ/イネオスに対し、このオランダの急成長チームは、前年ツール総合3位のステフェン・クライスヴァイク、2018年ツール総合2位のトム・デュムランをアシストに据えるという豪華な布陣でイネオスに挑み、そしてこれを制したのである。

続く前哨戦クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ。ここでもまた、ユンボ・ヴィスマの山岳トレインは最強であることを証明し、一方のイネオス側は、クリス・フルームやゲラント・トーマスの不調によって思うように存在感を示せずにいた。

 

そしてこのドーフィネ中の、突然のベルナルのリタイア。

それは背中の痛みによるリタイアという報道ではあったが、リタイアの翌日にはトレーニングライドに出かけた姿も報じられており、これは歯車の噛み合わない前哨戦を早々に取りやめてツール本戦へと集中するという戦略的な決定だったのか?という疑いの声もあった。

 

 

だが結果としてその背中の痛みは本物であり、ツール・ド・フランスの最初の2週間を経て重ねていった無理が彼の膝にも影響を及ぼすに至り、ついにグラン・コロンビエにおける崩壊を招いた。

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かくして、スカイ/イネオス「帝国」は2010年代の支配ののち、2020年代の最初の年にその栄光を失った。

代わりにその初年度で頂点に立ったのはベルナルの翌年にラヴニールを制し、同じくワールドツアーデビュー初年度にツアー・オブ・カリフォルニアを制した男、タデイ・ポガチャル。

「2020年代はベルナルの時代になる」という言葉が、やや空虚なものとなりつつあった。

 

 

2021年。

相変わらず新型コロナウイルスの影響により混乱しているシーズンスケジュールの中で、彼は珍しく南フランスのレースでシーズンデビューを飾った。

緒戦となるエトワール・ド・ベセージュでは無理をせず総合64位でフィニッシュ。第3ステージではミハウ・クフィアトコフスキと共に逃げに乗り、彼のためのアシストに徹していた。

続くツール・ド・ラ・プロヴァンスでは、むしろ本気の体制で臨んでいた。レース開幕前はイバン・ソーサのアシストに徹すると宣言しており、事実クイーンステージとなる第3ステージで彼を発射させ、総合優勝をアシストしたものの、その実力は彼自身が総合優勝したとしても何らおかしくない雰囲気すら感じさせた。

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2020年代はその存在感を失いつつあったイネオスの「最強山岳トレイン」の復活を感じさせるとともに、ベルナル自身の復活も予感させるようなこのプロヴァンスでの走り。

さらには3月のトロフェオ・ライグエーリアでの2位、そしてストラーデビアンケでの3位と続き、ついには昨年ツール覇者にして最大のライバルとも言うべき存在、タデイ・ポガチャルとの一騎打ちを、3月のティレーノ~アドリアティコで迎えることとなった。

 

しかし結論から言えば、それは大敗であった。むしろここではポガチャルの圧倒的過ぎる強さだけが際立ち、トーマスとベルナルのイネオスコンビはその引き立て役だけに終わってしまった。

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とはいえ、このチームが最も重要なレースの前のレースで、必ずしも結果を出さないことは今に始まったことではない。

レースで仕上げていくわけではなく、計画されたトレーニングメニューによって十分なものへと仕上げていく。

ベルナルが当初予定していたジロ・デ・イタリア前哨戦「ツアー・オブ・ジ・アルプス」をスキップし、ティレーノ~アドリアティコ終了からジロまでの1ヵ月間を高地トレーニングにだけ費やすという選択を行ったことも、その戦略的な考え方からであり、決して背中の痛みが再発したわけではない、とチームは主張していた。

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それでも、やはり不安は憶測を呼んだ。

そしてベルナル自身がジロ開幕直前にその不安に形を与えた。

 

「すべては僕の背中がどう反応するかにかかっている。もしすべてが問題なければ、僕は総合争いに集中し、ミラノでのマリア・ローザ獲得に向けて戦うだろう。日々、様子を見ていく。何しろ僕はまだ今年2か月しかレースをしていないのだからね。間違った約束をしても意味はない*4

 

ベルナルの背中の痛みは再発するかもしれない。そして彼はジロ総合優勝に向けて戦えないかもしれない。

 

 

そんな不安と共に、コルサ・ローザ、3週間の戦いが開幕した。

 

 

最強の(再)証明

開幕してしまえば、そんな不安は日を追うごとに薄れていった。

初日の個人TTではレムコ・エヴェネプールから22秒遅れ、ウラソフからは15秒遅れではあるものの、最大のライバルと目されていたサイモン・イェーツやヒュー・カーシーからは1秒遅れで留めるなど、1ヵ月ぶりの復帰レース、不安の多い中では悪くない結果であった。

 

そしてそこからはむしろ、勇気づけられるような走りの連続であった。

第4ステージの大会最初の山岳級ステージではミケル・ランダ、アレクサンドル・ウラソフ、ジュリオ・チッコーネ、ヒュー・カーシーと共に抜け出してフィニッシュ。エヴェネプールやサイモン・イェーツに対して秒差を取ることに成功した。

 

より本格的な山頂フィニッシュとなる第6ステージではイネオスが積極的な分断作戦に出るなどベルナルの調子の良さを感じさせるアグレッシブさを見せつけ、最終的にはダニエル・マルティネスに先行してアタックさせるという、ラ・プロヴァンスでソーサにやらせたような戦術も発揮してライバルたちを手玉に取り、最終的にはチッコーネ、エヴェネプール、ダニエル・マーティンらと共に4名の小集団でフィニッシュした。

ここでもまた、サイモン・イェーツやダミアーノ・カルーゾらにタイム差を付けることに成功したのである。

 

そして第1週の最終日。大会初の正式な「山岳」カテゴリステージ。

ラスト1.6㎞に平均勾配8.8%・最大勾配14%の未舗装路激坂が待ち受けているこのステージで、ついにベルナルはその強さを明らかなものとした。

ジャンニ・モスコンによる献身的な牽引の末、ラスト500mでアタックしたベルナルは、張り付いたチッコーネをあっという間に突き放し、先行して逃げていたジョフリー・ブシャールやクーン・ボウマンを鮮やかに抜き去って、先頭でフィニッシュに辿り着いた。

それは、2年前のあのイズラン峠ステージで幻に終わった彼のグランツール初勝利であり、今大会最も強いのは自分であるということの何よりの証明でもあった。

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しかしこのときの彼はガッツポーズを見せることはなかった。

あまりにも過酷なフィニッシュレイアウトを制することに無我夢中だったのか、前を向き、歯を食いしばり、ハンドルに置いた両手に力を籠め続けながら、フィニッシュラインを通過した。

 

その勝利は一つの達成であると同時に、彼の通過点でもあった。

1週目は非常にうまくいった。だが、まだ2週目がある。

昨年のツール・ド・フランスも第9ステージまではうまくいった。しかし第13ステージから崩れ始めたのだ。

 

まだ、全力で喜ぶには早すぎた。

 

 

ゆえに、第2週も彼は常に攻撃的に走り続けた。

 

まずは第11ステージ。休息日明け、第2週初日にあたる「ストラーデビアンケ」ステージ。

過酷ではあるものの山岳ステージというわけではなく、総合でタイム差がついたとしてもそこまで大きくはないはずのステージだった――が、しかし、ここで今大会最初の「大きな動き」が巻き起こる。

 

第10ステージを終えた時点で、総合首位ベルナルと総合2位レムコ・エヴェネプールとのタイム差はわずか14秒であった。3位とは22秒差。総合9位以内が1分以内に収まっており、いかようにもなりうる状況であった。

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だがそれが、第11ステージを経て大きく変質する。

 

まず大きかったのが、総合2位レムコ・エヴェネプールの脱落である。

第9ステージではベルナルから10秒遅れでフィニッシュし、総合リーダーの座を明け渡した彼ではあったが、それはラスト1.6㎞まで続いた長いトンネルの中で他チームの選手とタイヤをハスらせてしまいポジションを落としてしまったがゆえであり、むしろその状態から区間4位まで上げてきているあたり、状態はかなり良いように感じていた。

 

しかしこの第11ステージ。休息日明け。これまで彼が経験していない長期レースの洗礼は、8か月ぶりの実レースという環境と合わせたときに、彼自身予想していなかった反応となって表れてしまったようだ。

ジョアン・アルメイダの献身に助けられながらも失速は止まらず、最終的にはベルナルたちから2分以上遅れてのフィニッシュ。

決して致命傷ではまだない。今後の走り次第では挽回できる傷口に抑えることはできた。しかし、エヴェネプールの失速はここから先も止まることはなかった。

 

 

さらにすべての未舗装路が終わり、エヴェネプールを突き放すために全力で牽引を続けていたイネオスのハイ・ペースによって疲弊しきっていたライバルたちを襲ったのが、ラスト8㎞から始まる9%超勾配の登坂区間である。

ここでまず飛び出したのがボーラ・ハンスグローエのエマヌエル・ブッフマン。

これを追いかける集団のペースアップにより、総合4位のジュリオ・チッコーネが脱落する。

さらに残り4.5㎞の山頂直前の10%弱区間で、ベルナルが加速。

同じタイミングで飛び出したアレクサンドル・ウラソフも置き去りにし、単独で先行していたブッフマンに追い付く。

 

最後はフィニッシュ直前の短い登りでブッフマンも突き放し、総合勢では単独トップでフィニッシュラインを通過。

これで総合2位ウラソフに45秒差。そして総合3位カルーゾ以下には1分以上のタイム差をつけ、いよいよベルナルの本格的な総合首位独走が開始された。

 

 

これをさらに決定づけたのが第14ステージだった。

 

悪名高きゾンコラン。よく使われるオヴァーロルートよりも全体的には緩やかだと言われるストゥリオルートを使用したものの、ラスト3㎞の平均勾配が11%以上という、むしろ凶悪な登り。

その区間に向かうまでの道のりでイネオス・グレナディアーズが残り9㎞から集団を完全支配。

残り9㎞からジャンニ・モスコン、残り8㎞からジョナタン・ナルバエス、残り6㎞からジョナタン・カストロビエホと、次々先頭牽引役を交代させながらペースアップを図り、ニバリやヴァルテルが脱落するとともにウラソフのアシストもすべて丸裸にしてしまった。

 

残り3㎞でカストロビエホが仕事終了。総合10位ダニエル・マルティネスが先頭牽引を開始する。

レムコ・エヴェネプールも早くも脱落する中、いよいよ最大の勾配区間へと突入していく。

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残り2㎞。

ここまで、不気味なほどに沈黙を保ち続けてきた男、サイモン・イェーツが、ここで加速を開始する。

ダンシングで先頭に躍り出て、あとはひたすら後ろを振り向くことなくまっすぐ前だけを見て、ひたすら30秒間ペダルを回し続けた。

 

その加速に、他のライバルたちは誰もついていけなかった――ただ一人、ベルナルを除いては。

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3年前のジロ・デ・イタリアで鮮烈なハットトリックを決めて誰よりもマリア・ローザに近い男として目されつつも、最後の最後で失速した男サイモン・イェーツ。

その復活を象徴するかのような走りに、ベルナルもひたすら食らいついていった。

そして残り500m。

彼は、無線を操作した。

前輪が浮いてしまうのではないかというほどの超激坂で、彼は冷静に無線を通してチームの指示を聞き――そして、後ろを一度振り返ったあと、腰を上げた。

 

 

その一撃に、サイモンは反応することができなかった。

再び、ベルナルは彼が最強であることを証明した。

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これでベルナルは総合2位サイモン・イェーツに対して1分33秒差。

総合3位カルーゾに1分51秒差、総合4位ウラソフに1分57秒差。

それ以外のライバルたちには軒並み2分以上のタイム差を付けることとなった。

 

 

そしてそれは、第2週中盤の難所という、昨年のツールで彼が崩れ落ち始めた場所を無事に乗り越えたことを意味していた。

 

そして、いよいよ昨年のツールで完全に失速したグラン・コロンビエに相当する、第2週最終日のクイーンステージへと挑む。

 

モンテ・ゾンコランまでのレースの詳細は以下参照。

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もう一度、スタートラインへ

ジロ・デ・イタリア2021、第16ステージ

本来であれば2,000m級の山岳を3つ越える、総獲得標高5,700mの最難関ステージだったはずが、天候不順を理由として3つのうちの最初の2つをキャンセル。距離も212㎞から153kmに短縮された。

それでも、最後の山パッソ・ジャウ(登坂距離9.9km、平均勾配9.3%)とそこからのフィニッシュレイアウトは元のまま残され、標高2,233mのチマ・コッピへと向かう登りは変わらず高い難易度を誇る。

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そして、登りの厳しさに加え、激しい悪天候がプロトンを襲う。

 

戦いは最後のパッソ・ジャウに至る10㎞の登りで始まる。

まずは総合7位レムコ・エヴェネプールが早くも脱落し、止めを刺される。

さらには総合4位アレクサンドル・ウラソフも登り口でパンクに襲われ、失速。

さらにはゾンコランで死闘を繰り広げたサイモン・イェーツがこの日、登りの途中ですでに小集団の最後尾につけるなど、苦しそうな様子を見せていた。

 

残り22㎞。山頂まで5㎞弱。

ここで、ベルナルがダニエル・マルティネスに牽かれてペースアップ。

そうして引き伸ばされた集団の先頭から、ベルナルがアタックした。

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それは、かつて中断された、ツール・ド・フランス2019第19ステージでの「独走」の再現だったのかもしれない。

そのときよりは距離は短いけれども、その前年のジロ・デ・イタリアで偉大なる先達クリス・フルームが見せた伝説的な大逃げの再現でもある。

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それは、一度は最強の座を手に入れながらも、その後すぐにそれを手放さざるを得なかった男が、再びスタートラインに立つために必要な儀式でもあった。

それこそ3年前のジロのフルームのように、雪壁を横目にベルナルは独りでフィニッシュへの道のりを駆け抜けていった。 

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そして、彼は還ってくる。

 

第9ステージのように、余裕のない表情でガッツポーズなく先頭で帰ってきたときとは違う。

ゆっくりと上体を起こし、レインジャケットを脱ぎ、そしてイネオスのロゴの入ったマリア・ローザを堂々とカメラに向ける。

 

彼は言った。

「ゲームに戻ってきたことを示したかった」と。

 

彼は言った。

「天候が厳しいときには、心も強くする必要がある」と。

 

それは決して、この日のことだけを指しているわけではないだろう。

彼は1年前のあの日、味わった逆境を経て、今もなお背中に残り続ける困難と向き合いつつ、それでも、この場所にやってきた。

 

 

彼は今度こそ右手を挙げて、歓喜のガッツポーズを見せつけてくれた。

それは、彼が今ようやく、止まっていた時計を動かして、再びスタートラインにやってきたことを象徴する勝利であった。

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だが、まだジロは終わらない。

 

このあとも、過去10年間において7回逆転劇が演じられているという魔の第3週が待ち構えている。

そしてどれだけ盤石に見えても、いつベルナルの背中の爆弾が爆発するか、わからない。

 

事実、このあとのベルナルは、ここで得た2分24秒のタイム差を少しずつ削りながら戦っていくことになる。

 

 

スタートラインに立ったあとのベルナルが、いかにして「ジロ総合優勝」を掴み取ったのか。

それは、彼個人の力ではなく、イネオス・グレナディアーズというチームによる成果であったのだ。

 

それはすなわち、ベルナルの復活だけでなく、かつて2010年代を支配し続けてきた中で、2020年代の始まりと同時にツール勝利を失い、「崩壊」したかのように思われていた帝国の復活を感じさせる勝利であったのだ。

 

 

次回はそんな、「スタートライン以後」、ベルナルと「イネオス」に関する話をしよう。

 

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