モンタルチーノ、ゾンコラン、そしてコルティナ・ダンペッツォ・・・第2週最終日に至るまでの2週間で、エガン・ベルナルは彼が最強であることを証明した。
そうして得た総合タイム差は、総合2位ダミアーノ・カルーゾに対して2分24秒。あとは、これをいかにして最終日まで護り続けるか、であった。
そして、この第3週は決してベルナルにとって安楽な1週間ではなかった。
むしろ彼は何度となくライバルたちの攻撃に遭い、そして貯めていた総合タイム差を次々と失っていくばかりであった。
そんなとき、彼を支えたのは彼自身の強さだけではなく、彼の周りにいるチームであった。
「スカイ/イネオス」はまだ終わってはいない。
彼らは2020年代もなお、「最強」であり続ける。それは、ただ単に、強い選手たちだけを集めているという意味ではなく――。
今回は、前回語ったベルナルの「スタートライン」までの物語に続き、そこから先、どのようにして彼が最後の1週間を戦い、そしてチームがどのようにして彼を支えていったのかを語ろう。
そしてそれは、これから先の彼の物語へとつながるものだとも思っている。
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目次
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勝利への道筋
休息日を経て今年のジロ・デ・イタリアの第3週が始まった。
その初日、第17ステージは、ラスト55㎞から2つの1級山岳を登らせるレイアウトで、最後は山頂フィニッシュ。
最後の1級山岳セーガ・ディ・アーラ(登坂距離11.2km、平均勾配9.8%)の厳しい登りに突入すると、メイン集団の先頭はジョナタン・カストロビエホがハイ・ペースで牽引を開始していった。この動きの中で、総合3位ヒュー・カーシー、総合4位アレクサンドル・ウラソフ、総合7位ロマン・バルデ、総合9位トビアス・フォスなどが遅れていく。
そんな中、逆転を狙って動き出すライバルたちもいた。
まずは総合争いですでに10分以上遅れているドゥクーニンク・クイックステップのジョアン・アルメイダが残り5㎞地点でアタック。
これは見逃したイネオスだったが、続いて総合5位サイモン・イェーツがアタックすると、さすがにこれは無視することができなかった。
総合8位ダニエル・マルティネスと共にすぐさまサイモンに反応するベルナル。メイン集団先頭はアルメイダ、サイモン・イェーツ、ベルナル、マルティネスの4名だけになった。
そして残り3㎞。なおも加速するサイモン・イェーツと、ここに食らいつくジョアン・アルメイダ。そして、そこからなんと、ベルナルが遅れ始める。
当然、ここでベルナルを助けるべくペースを落としたのがマルティネス。
後方から遅れていたダミアーノ・カルーゾも追いついてきて、サイモン・イェーツとアルメイダは遥か先へ行ってしまう。
ここで、ある意味今大会を象徴するシーンが描かれる。
ベルナルを支え、これを引き上げ続けるマルティネス。なかなかペースが上がらないベルナルに対し、彼は右手を強く握りしめ、鼓舞するようにして叫んだ。
同じコロンビア人として、昨年まではライバル同士。そして今年は、支え合う仲間。
ときとしてエース以上にアシストが強い瞬間というのはあるが、こういう風にして、直接後ろを見て励ますという姿を見るのは、なかなか新鮮だった。
結果としてこの日は、マルティネスのアシストペースにも守られ、ベルナルはサイモン・イェーツから53秒を奪われるだけに留めた。すでに第16ステージでサイモン・イェーツから大きくタイムを奪っていたこともあり、この大失速を経てもなお、サイモン・イェーツとのタイム差は3分以上残っている。
そして、この日の反省としてベルナルは、無理にサイモン・イェーツのアタックに反応してしまったことを悔いていた。
冷静に、そして仲間を信じて――このとき得た教訓を、ベルナルはすぐさま第19ステージで生かすこととなる。
最後の山頂フィニッシュに至る1級山岳アルプ・ディ・メーラ(登坂距離9.8km、平均勾配8.9%)の登り。
その残り6.8㎞地点で総合8位ジョアン・アルメイダがアタックし、続いて残り6.4㎞でサイモン・イェーツがアタックした。すなわち、第17ステージの焼き直しである。
しかし今度はベルナルは反応しなかった。サイモンのアタックに、総合2位ダミアーノ・カルーゾも、総合4位アレクサンドル・ウラソフも、総合11位ジョージ・ベネットも反応してついていったが、ジョナタン・カストロビエホとダニエル・マルティネスに守られるベルナルはぴくりとも動かなかった。
そして残り5.4㎞。アルメイダとも合流したサイモン・イェーツたちの先頭集団から、さらにサイモンが単独でアタックを繰り出していく。
一気にタイム差が開いていくサイモンとベルナル。しかし、それでもベルナルは動かなかった。
動かないのか、動けないのか。
おそらくここは、「動かなかった」が正解だろう。
調子が万全ではないのは確かで、その中で早めに動きすぎたのが第17ステージの失敗だった。
そこから反省し、そして仲間を信じることを、彼は選んだ。
そして仲間もその信頼に応えた。
残り4㎞。カストロビエホが仕事を終了すると同時に、マルティネスがベルナルを引き連れて一気に加速した。
一気にアルメイダやカルーゾのグループに追い付いたマルティネスとベルナル。すぐさまその小集団の先頭をマルティネスが牽引し始める。
先頭のサイモン・イェーツとのタイム差が広がらなくなった。
残り2.5㎞。
ついにマルティネスが脱落する。
と、同時に、ここでベルナルが再加速。
やはり、「動けなかった」わけではなかった。ただ、タイミングが重要だった。
アルメイダとカルーゾ以外のライバルたちを一気に突き放したベルナルは、残り2.2㎞でカルーゾも突き放した。アルメイダはなおも食らいつく。
残り1.5㎞。先頭のサイモン・イェーツとのタイム差は18秒。
ベルナルはこれ以上ペースを上げ、無理にサイモンを捕まえようともしなかった。その間にベルナルの後輪で足を貯めていたアルメイダが、残り500mでこれを突き放し抜け出すが、ここでもベルナルは無理しなかった。
勝ったのはサイモン・イェーツ。アルメイダが2位。ベルナルは3位フィニッシュだったが、サイモンから失ったタイム差はボーナスタイム込みで34秒に留めた。
逆に直接のライバルであるカルーゾには8秒を奪い取ることに成功。
これで山岳ステージはあと、1つだ。
標高2,000mを超える1級山岳2つを含む総獲得標高4,000m前後の難関ステージ。
その1つ目の1級山岳パッソ・サン・ベルナルディーノ(登坂距離23.7km、平均勾配6.2%、標高2,065m)の登りでチームDSMが猛牽引。集団の数を減らすと共に、その山頂でチームのエース、総合6位のロマン・バルデを発射させた。
それだけならまだしも、ここにさらに総合2位ダミアーノ・カルーゾが、ペリョ・ビルバオに牽かれながら追加でアタックを繰り出した!
ベルナルとのタイム差は2分29秒。決して小さくはないが、残り50㎞以上残した地点から強力なアシストともに抜け出すというのは、なかなか看過できない事態であった。
しかしここでも、ベルナルは無理をしなかった。
ジャンニ・モスコン、ジョナタン・ナルバエスの2人に集団牽引を任せ、そのタイム差が大きく広がらないようにコントロールさせて、自らは冷静に集団の中に身を潜めていた。
そして2つ目の1級山岳パッソ・デッロ・スプルガ(登坂距離8.9km、平均勾配7.3%、標高2,115m)の登りに突入し、先頭のバルデやカルーゾたちとベルナルたちのタイム差は50秒。
徐々に開いてきてはいるものの、逆に言えば残り40㎞でまだ50秒差に留められているとも言える。
すでにモスコンとナルバエスも脱落し、アシストとしてはカストロビエホとマルティネスだけしか残っていない。
しかしここからカストロビエホはさらに延々と前を牽き続け、このタイム差を開かせないための最高の働きをし続けてくれた。
そして最後の登り、1級山岳アルペ・モッタ(登坂距離7.3km、平均勾配7.6%)。
とくにラスト2㎞から500mまでは平均9.8%の急勾配が続くこの登りで、今度はダニエル・マルティネスがベルナルのためのハイ・ペース集団牽引を敢行する。
先頭カルーゾとのタイム差は30秒にまで縮まる。そして、アタック所の急勾配区間でウラソフもカーシーも引きちぎられ、サイモン・イェーツもアタックしたいところだっただろうが、それも叶わぬまま、ただ残り距離が削られていった。
結局、残り2㎞での最大勾配13%区間でサイモン・イェーツは崩れ落ちた。
そして追いついてきたジョアン・アルメイダも、残り1.3㎞で再び突き放された。
そして残り800mでマルティネスは仕事を終え、あらゆるライバルを振り払ったうえで、エースを先頭に向けて発射した。
結局ベルナルはカルーゾに追い付くことはできず、カルーゾはプロ13年目にして自身初のグランツール勝利を手に入れた。
その背後で、カルーゾとの総合タイム差を2分弱で抑え込むことに成功したベルナルが、勝利の確信に表情を緩めていた。
そして最終日個人タイムトライアル。
ここではチームメートの助けは得られない? いや、確かに同じ自転車に乗ったチームメートの助けは得られないかもしれないが、イネオスの選手であればチームカーからのリアルタイムの的確なアドバイスを常に受け続けることでそのパフォーマンスを十二分に発揮することができるだろう。
フィリッポ・ガンナが第1ステージで、無線の調子が悪いと言って手を挙げた場面は印象に残った。彼もまたTT中は常に無線の情報を頼りにしているくらい、チームからの指示はイネオスの選手にとっては重要のようだ。
それはベルナルにとっても同様だった。印象的だったのがモンテ・ゾンコランのラスト500mで彼が無線を触り何かしらの指示を得ていたこと。
あの、ただひたすらにパワーだけで勝負するようなシンプルな局面であっても、彼はチームの指示を素直に受け、勝負所を探していた。
それこそがイネオスというチームの強さであり、それは単なるアシストとエースの関係に留まらない。
そしてベルナルは子の最終日個人TTにおいても、最後の最後で無線を触った。
ただそれはもう、最後のアドバイスを得るための無線ではなかった。
おそらく現在のタイム差状況を確認し、そしてそのあとの彼のパフォーマンスができるかどうかを確認するものだったのかもしれない。
もしくは――これは単なる妄想だが――無線を通じてチームへの感謝を表現したのかもしれない?
いずれにせよ、彼は残り50mで両手を離し、今大会2回目の「ガッツポーズ」を見せつけた。
「イネオス」というチーム
「ツールに勝ったあとの気持ちをコントロールすることは本当に難しかった。もしかしたらそれは、ツールに勝つことよりも難しかったかもしれない」
と、ジロを走り終えたベルナルはインタビューで語った。
「勝ち続けることへのモチベーションがあまりなかった。『朝8時にアラームをセットして、ストレッチングをして、重要な仕事をして、トレーニングをして』と自分に言い聞かせるためのモチベーションがなかったんだ。僕はこれまで自分なりのトレーニングをやって、やれることをやって、それでパワーメーターが示す数値がよくなることだけで嬉しかったんだ。でも、ツールのあとは、そのすべてが変わってしまった」
「2020年にヨーロッパに戻ってきたとき、ツールの前まではすべてうまくいっていた。けどそこで、背中の問題が起きて・・・やりたいこともやれなくなって、また疑問が出てきたんだ。僕は前のレベルに戻れるのか? 僕は一体、勝ちたいのか? そうじゃないのか?」
それはある意味で1月にレースからの一時離脱を宣言したトム・デュムランの言葉にも近いものを感じた。
その解釈が正しいものなのかどうかはわからないが、Cyclingnewsの記事はこのベルナルのコメントについて次のように注釈する。
「彼がモチベーションを維持できなかった要員の1つは、彼の人生における個人的な彼の変化だけでなく、ツールでの勝利が『サイクリング大国コロンビアにおける重大なる達成』と結び付けられてしまったことの困難さである」と。
そう考えたとき、彼が初めてツールに勝ったときに述べたあの言葉――「これは自分自身の栄誉というよりは、コロンビア全体の栄誉だ」という言葉がただ感動的なだけの言葉でなく聞こえてくる。
それは、わずか22歳の青年が背負うにはあまりにも大きすぎる重圧だったのではないか、と。
そんな重圧を解きほぐすきかっけになったのが、実は、イネオス・グレナディアーズのGM、デイヴ・ブレイルスフォードとの会食だったという。
「デイヴ・ブレイルスフォードはそのプロセスの中で僕を最も助けてくれた人物だった。彼は僕に、『もっと楽しんで行け、タイムボーナスのために中間スプリントポイント狙いに行くくらいの気持ちで』と言ってくれた」
2020年の3月。このチームを戦略面で支え続けてくれていた若きスポーツディレクター、ニコラ・ポルタルが急死した。
その直後、チームはうまく回らなくなっていった。ツール・ド・ランやクリテリウム・ドゥ・ドーフィネでは、チーム力の面でユンボ・ヴィスマに圧倒され、ツール・ド・フランス期間中も常にその山岳トレインの存在感が消え失せていた。
結果的にはベルナルのリタイア。もちろん、その直後にミハウ・クフィアトコフスキとリチャル・カラパスによるワンツーフィニッシュやテイオ・ゲイガンハートの驚くべきジロ制覇、そしてリチャル・カラパスのブエルタ・ア・エスパーニャ総合2位など、相変わらず結果を出している。
だが、どこかかつての「帝国」スカイ/イネオスが大きく変質しているような、そんな印象もまた、受けていた。
だが2021年に入り、前回の記事でも取り上げたツール・ド・ラ・プロヴァンスの成功や、ボルタ・シクリスタ・ア・カタルーニャでの総合表彰台独占、ツール・ド・ロマンディなど、あらゆるところで従来通りのこのチームの「最強山岳アシスト」が復活しつつあることを感じていた。
一方で、"more racing" という新たなテーマを打ち出したという2021年のイネオスは、単純な回帰ではなく、そこに新たな価値観を追加しようとしてきている。
それはブレイルスフォードがベルナルに語った言葉に象徴されるものであり、それを体現してみせたベルナルが、見事に「復活」のジロ総合優勝を掴み取った。
もう1度、ベルナルの話に戻ろう。
彼は確かに、2019年のツール・ド・フランスでの勝利以降、モチベーションを喪失していた。
そこに背中の問題も重なり、苦しんでいた。
しかし彼は、ブレイルスフォードの言葉を受け、そして信頼できるチームメートたちと共に戦い、ついには「スタートライン」に戻ってきた。
今回の勝利について、彼は次のように語る。
「ジロで勝ったことはとても嬉しい。多くの感情がうずまいている。
でもだからこそ、僕は地に足を着ける必要がある。まだたくさんのとても強力なライバルたち――プリモシュ・ログリッチやタデイ・ポガチャル——がまだそこには沢山残っている。彼らはとても強く、そして僕にモチベーションを与えてくれる。
僕はこの偉大なるレースで勝利した。そして僕はまた、ゲームに戻ってきたんだ」
個人的な話をすれば、まずは強いベルナルが戻ってきてくれて、純粋に嬉しい。
そして彼が、チームメートたちと協力し合い、ときに苦しみながらも、最後に勝利を掴んでくれたことも。
これからまた、彼と彼のライバルたちによる熾烈な争いが繰り広げられていくことだろう。その中で誰が勝つのか、誰が一番強いのか、それは正直、わからない。
ただ、まだやっと24歳になったばかりのこの青年が、引き続き自転車ロードレースの中で「楽しみ」続けることを切に願う。
おめでとう、エガン。
そしてゆっくりと休んで、また伸び伸びと走るその姿を、楽しみに待っているよ。
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