トム・デュムランが無期限の活動休止を発表した。
今年のツール・ド・フランスもプリモシュ・ログリッチと共に出場することが発表された翌日の、あまりにも急で衝撃的すぎる発表であった。
「昨日、これを決心した。チームも僕を理解してくれて、とても嬉しかった。それはまるで、100㎏もあるバックパックをようやく背中から降ろすことができたかのような気分だった。
ようやく、僕は自分で自分のために時間を使うことができる。僕はずっと、とても長い間、『自転車選手としてのトム・デュムラン』としての未来の描き方がわからずに苦しんでいたんだ。
僕は非常に多くの人たちから寄せられた期待に応えるべく、ただひたすら、よりよく走ろうと努力してきた。
チームを喜ばせるために、スポンサーを喜ばせるために、妻と、家族とを喜ばせるために、そして全ての人のために――でも、僕はその間、僕自身のことをすっかり忘れていた。
一体、僕は何がしたいんだ?
僕はまだ、ライダーでいたいのか? どのようにして?」
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もちろん、現時点で何かを言うべきことはない。チームも認め、納得したことであれば、それを静かに見守るしかない。
ただ、私にとって、トム・デュムランという男は、私の自転車ロードレース観戦の歴史の中において、重要な存在であり続けていた。
常に強くあり続けていたわけではない。勝ち続けていたわけではない。
ただ、私の自転車ロードレース観戦の歴史の中において、彼は始まりであり、そして一つの終わりであった。
今回は、彼について話そう。
トム・デュムランという男が歩んできた、2010年代後半のロードレースシーンについて。
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2015年
私が自転車ロードレースを見始めたのは2015年。
当時、『弱虫ペダル』にハマってロードレースに乗り始め、その勢いでJsportsオンデマンドと1ヵ月だけ契約してツール・ド・フランスを見始めた妻の後ろから、その映像を何となく眺めていた。
そのうちよくルールも分からないままに何度もツール・ド・フランスの映像を見返していて、1ヵ月後にブエルタ・ア・エスパーニャが始まるとき、また契約しないのかと妻に尋ねたが、彼女はどうやらその気はなかったようなので、仕方なく今度は自分で契約することにした。
そして迎えたブエルタ・ア・エスパーニャ。
ルールもある程度理解し、コースプレビューもしっかりと見て、準備万端で臨んだ最初のグランツール。
そこで、鮮烈な走りを見せてくれたのがトム・デュムランだった。
当時、彼はその年のツール・ド・スイスで総合3位などには食い込んではいたものの、そこまで総合系のライダーとして注目されていた記憶はない。
どちらかといえばやはり世界トップクラスのTTスペシャリストであるという印象で、2015年のツール・ド・フランス第1ステージの個人TTでは、彼の母国オランダでの開催ということで注目されていたが、ローハン・デニス、トニー・マルティン、ファビアン・カンチェラーラに次ぐ8秒遅れの4位という結果に終わっており、世界の頂点を掴むにはまだあと一歩足りない、そんな感じの評価をされている選手というイメージだった。
だが、2015年のブエルタ・ア・エスパーニャ。
私が初めてそのスタートからリアルタイムで見始めた、最初のレース。
第1ステージのチームタイムトライアルを終え、迎えた第2ステージ。
いきなりの3級山岳山頂フィニッシュとなったそのステージで、直前のツール覇者クリス・フルームも、総合2位ナイロ・キンタナもそこまで芳しい走りを見せられない中で、抜け出したのがエステバン・チャベスと、このデュムランという男だった。
小柄ないかにもクライマーといった体型のチャベスと違って、180㎝を超える巨体で悠々と激坂を登って勝利まであと一歩というところにまで達し、最後は力なく項垂れてしまったこの男の姿は、非常に印象的であった。
TTスペシャリストと目されていた男の、意外な山頂フィニッシュでの活躍に、当時の実況席も沸いていたように記憶している。
しかし、彼がその後、より素晴らしい走りを披露してくれたのが第9ステージであった。
1級山岳クンブレ・デル・ソルに至る最大勾配19%の激坂。
残り1㎞で、先頭を独走するトム・デュムラン。
そこに、プロトンの中から、序盤いまいち上がり切っていなかった調子を取り戻しつつあったクリス・フルームが猛烈な勢いでアタック。
ライバルたちを引き千切り、ただ一人、激坂ハンターの「プリト」ことホアキン・ロドリゲスのみを引き連れて、一気に先頭のデュムランのすぐ背後にまで迫ってきた。
デュムランはそれでも前を牽き続け、懸命にペダルを回していた。
残り400mでこれも完全に捉えられ、ロドリゲスが先頭に躍り出て加速する。
その加速にもフルームはしっかりとついていき、そしてここで、デュムランは一度、引き離される。
そして残り300m。ここでフルームはもう一段階加速し、ホアキン・ロドリゲスを突き放す。
ロドリゲスの父が描いたという、「プリト」の路面ペイントを踏みつけて、2010年代最強のグランツールライダーが勝利に向かって突き進んでいった。
だが、残り200mで5秒後方にいたはずのトム・デュムランが、ここから腰を上げてさらなる加速を開始した。
シッティングで先頭を突き進んでいたフルームも、後方から迫りくる男の姿を見て、残り100mからダンシングを開始した。
しかし、すでにデュムランはフルームの隣に並んでおり、そして彼はそのままの勢いで、ツール王者を抜き去った。
そのまま止まることなく突き進む新人賞ジャージの男。
最後は肩を落とし全身の疲労に崩れ落ちそうになりながらも、右手だけは高々と掲げ、力強くそれを振り下ろした。
今もなお、この1㎞は史上最高の1㎞として、何度も繰り返し観返している。
当時は徹夜で仕事に勤しむこともあり、そんなときに自分に勇気を与え、震え立たせたいときに、この1㎞を観返していたものだった。
私の人生の一部であり、幾度となく力を与えてくれた、トム・デュムランの勝利。
だが、2015年のブエルタ・ア・エスパーニャは、彼にとって勝利の味をもたらした栄光の3週間であると同時に、その目の前から勝利を奪い取った無念の3週間でもあった。
すなわち、第20ステージ。
マドリードの最後のフィニッシュラインまであと150㎞を切ったところまでマイヨ・ロホを着続けていたデュムランは、この日の最後から2つ目の1級山岳の登りで、アスタナ・プロチームのファビオ・アルのアタックによって、ついに集団から崩れ落ちることとなる。
その後の下りで一度はアルに追い付きかけたデュムランだったが、その絶妙なタイミングで「前待ち」をしていたアスタナのルイスレオン・サンチェスとアンドレイ・ゼイツがアルを引き上げると、あとはもう、デュムランが栄光の真紅ジャージを掴み取ることは二度となかった。
彼にとって初となる、グランツール総合争いの夢が、終わった。
2017年
その夢は、2年後、「サンウェブ」と名前を変えたチームのエースとして挑んだジロ・デ・イタリアで実現することとなる。
あの奇跡のような2015年のブエルタ・ア・エスパーニャの後、2016年は元々リオ・オリンピックを最大の目標に据えていたこともあり、メディアからの過剰な期待に対しても、あくまでもステージを狙っているだけだと飄々とかわし続けていた。
実際に、出場したジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャでは、それぞれステージ勝利を手に入れつつも、アクシデント的にとはいえレースを途中で去っている。
そして迎えた2017年のジロ・デ・イタリアは、最初から明確に総合優勝を狙っていた。
実際これは、彼にとって初めて、最初から総合優勝を目指して挑んだグランツールとなった。
最大のライバルは2014年ジロ・デ・イタリア覇者で前年のブエルタ・ア・エスパーニャ覇者でもあるナイロ・キンタナ。
また、前年に2度目のジロ制覇を果たしたイタリアの英雄ヴィンツェンツォ・ニバリやティボー・ピノ、バウケ・モレマやイルヌール・ザッカリンなど、強豪クライマーたちが揃う混戦状態を呈していた。
そんな中、第10ステージの40㎞長距離個人TTで下馬評通りのステージ優勝とマリア・ローザ獲得を果たしたトム・デュムランは、いよいよ重要な中盤の勝負所である「パンターニの山」オローパの山頂フィニッシュへと挑んだ。
残り4㎞。すでに総合3位のバウケ・モレマや新人賞ジャージを着るボブ・ユンゲルスらが脱落する中、ついに総合優勝候補筆頭のナイロ・キンタナがアタックを繰り出した。
一気に集団から10秒のタイムギャップを手に入れたキンタナ。
一方の集団では、マリア・ローザを着るデュムランに先頭牽引の責任を押し付け、他の誰も一切追撃の構えを見せようとしない、そんな状況に陥っていた。
そしてデュムランはここから、猛烈な勢いで単独集団牽引を開始する。
得意の一定ペースによるシッティング登坂。対するキンタナは、ダンシングを多用するインターバル走行。
段々とそのタイムギャップは縮まっていき、逆に加速する集団の中からはヴィンツェンツォ・ニバリを含む有力勢が次々と千切れていき、残り1.5㎞でキンタナを捕らえたときには先頭集団の中に残っているのはキンタナとデュムランとミケル・ランダ、そしてザッカリンの4名だけとなっていた。
残り250m。フィニッシュライン直前に用意された石畳区間で、イルヌール・ザッカリンがラストスパートを仕掛けた。
それにダンシングで対抗するトム・デュムラン。その加速は、2年前のクンブレ・デル・ソルでクリス・フルームを打ち破ったときと同様の走りであった。
TTでも、登りでも、そして最後のスプリントでも圧倒的な力を見せつけたトム・デュムラン。
今年のジロ・デ・イタリアは最終日までマリア・ローザが入れ替わる波乱の様相を呈したが、ある意味でこの日、このオローパの山頂フィニッシュで、トム・デュムランによる初のグランツール制覇は決定づけられたと私は思っている。
決して、最強のメンバーではなかった。
2010年代を通して君臨し続けたチーム・スカイのような陣容でもなく、2020年のツール・ド・フランスを席巻したユンボ・ヴィズマの最強軍団でもなく、フィル・バウハウス、シモン・ゲシュケ、チャド・ハガ、ウィルコ・ケルデルマン、シンドレ・ルンケ、ゲオルグ・プライドラー、トム・スタムスナイデル、そしてローレンス・テンダムの9名は、決してグランツール覇者を生み出すような「最強」チームではなかっただろう。
だが、ケルデルマンが早々にリタイアし苦しい状況になった中でも、パンチャーのゲシュケを含めたチームメート1人1人がデュムランのために持てる力のすべてを出し切り、そして最後はミラノの表彰台の頂点に彼を置いた。
チーム・サンウェブはトム・デュムランという男を勝たせ、そしてその名を螺旋のトロフィーに刻ませたのである、
そしてデュムランは最大の目標である、ツール・ド・フランスの頂点を目指すこととなる。
2018年
2018年。
トム・デュムランはこの年、まずはディフェンディングチャンピオンとしてジロ・デ・イタリアに再び挑戦することとなった。
初日の個人TTでは予定通り勝利を掴み、マリア・ローザを着用。
しかし最初から総合リーダーの座を得ることはチームへの大きな負担になるという判断もあり、第2ステージではローハン・デニスによるマリア・ローザ獲得への戦略をあえて見逃し、総合2位に。
その後、エトナ山でのサイモン・イェーツによるマリア・ローザ獲得を経てもなお総合2位の座を守り続け、そして第9ステージのグラン・サッソ山頂フィニッシュで一度エステバン・チャベスに総合2位の座を譲ったとき以外は、最終日まで総合2位の座を守り続けることとなった。
逆にサイモン・イェーツも、その総合首位の座を、第19ステージで失うこととなる。
それは、歴史に残る大逆転劇となった、「フィネストーレ決戦」。
チーム・スカイとクリス・フルームという2010年代を彩る最高のチームと男による劇的なドラマが演じられ、トム・デュムランはその中で完全なる敗北を喫することとなる。
トム・デュムランの敗北の要因は、それまでの彼を常に支え続けてきた攻撃性・積極性が、ディフェンディングチャンピオンとして臨み、そして総合首位サイモン・イェーツが崩れ落ち自動的に自分の手の中にマリア・ローザが舞い降りかけていたこの瞬間に、決定的に失われてしまったことであった。
そして、そのことを戒めるかのような、クリス・フルームによる実にアグレッシブな逆転劇。
デュムランはこの走りに目を覚まし、翌日の第20ステージでは最後の瞬間まで攻撃的なアタックを繰り返し放ち続けた。
結局それはこのジロで実を結ぶことはなかったものの、続いて出場したツール・ド・フランスでもやはり同じように、マイヨ・ジョーヌを着るゲラント・トーマスを相手に「挑戦者」としてデュムランは戦い続けた。
最終的にはこのツールでクリス・フルームを打ち破り、ジロに続く総合2位でフィニッシュすることになる。
勝てはしなかったが、同年のジロ、ツールで共に総合2位に君臨するという、類稀なる結果を残したトム・デュムラン。
このときは勝てなかったが、いつか必ず、この頂点に上り詰める瞬間が来る。
彼のファンは誰しもが、そう、確信していたことだろう。
結果として、その「未来」は、少なくとも現時点では実現されていない。
それどころか、翌2019年。
総合優勝候補として挑んだ3度目のジロ・デ・イタリアで、彼は第1週目からまさかの落車に見舞われ、あまりにも早すぎる戦線離脱を経験した。
その後、彼の身に本当は何が起きたのかは分からない。
しかし、これ以降、彼が総合エースとして走り続ける姿は、このサンウェブにおいてはもちろん、続いて移籍したユンボ・ヴィズマにおいてすら、見ることができなかった。
トム・デュムランという男が描く総合エースとしてのドラマは、これで一旦の終幕である。
2010年代後半を駆け抜け、その終わりと共にひっそりと姿を消していった男、トム・デュムラン。
彼は一旦、そこからの離脱を選択することとなった。
そこからの復活があるのかどうかは分からない。それは誰にとっても、彼自身にとっても。
そしてそれを期待することも、諦めることも、私にはできないし、多くの彼のファンにとっても、難しいことだろう。
だから、私にできることはただ、彼と共に生きたこの5年を振り返ることだけ。
彼があのときの私を支え、勇気づけてくれた男であり、夢を見させ、それを実現していった男でもあるということを、拙い言葉でもって証明していくこと、ただそれだけだ。
ありがとう、トム。そしてしばし、さよならだ。
願わくは、自転車を愛し続けてくれることを。
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