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オンループ・ヘットニュースブラッド2022プレビュー① 2018年~2021年の過去の名レースを振り返る

 

今年もいよいよ「春のクラシック」が始まる。

その開幕戦を飾るのが、オンループ・ヘットニュースブラッド。

ロンド・ファン・フラーンデレンのかつての伝説的なフィニッシュ、すなわちカペルミュールからボスベルクに至る「伝説の17㎞」を2018年以降再現している、唯一のレースである。

このクラシック開幕戦は過去にも数多くの名勝負を生み出してきている。

今回は、その2018年以降の4回のレースを詳細に振り返りつつ、今年の「開幕戦」のプレビューとしたい。

 

果たして今年はどんなドラマが描かれるのか。

過去の振り返りと共に、予習していこう。

 

目次

 

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レースについて

初開催は1945年。当時すでに人気を博していた「モニュメント」ロンド・ファン・フラーンデレンへの対抗として開催された経緯がある*1

例年翌日に開催されるクールネ~ブリュッセル~クールネと合わせ、北のクラシックの開幕を告げる「オープニング・ウィークエンド」と呼ばれている。スプリンター向けのクールネに対し、こちらのオンループ・ヘットニュースブラッドはより北のクラシックらしい、ロンド・ファン・フラーンデレン前哨戦として相応しいレースとなっている。

とくに2018年からは、かつての(それこそ有名な「カンチェラーラ爆発」時代の)ロンド・ファン・フラーンデレンのラスト20㎞を再現。

すなわち、残り17㎞地点からの「カペルミュール」と残り13㎞地点の「ボスベルグ」の再現である。

もちろん時期や距離の違いから本家ロンドと同じような展開になるわけではないものの、それでも白熱したレースが2018年以降も毎年開催されている。

以下、その新レイアウトが登場した2018年以降のレースを振り返っていこう。

 

 

2018年――「最強」ではない男たちが掴んだ「チーム」での勝利

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カペルミュールが復活した2018年は、まさにそのカペルミュールが勝負を動かした。

残り17㎞地点に用意された激坂カペルミュール。この登りで抜け出したセップ・ファンマルクとゼネク・スティバルは、しかしそのまま最後の16㎞を2人だけで逃げ切ることは、残念ながらできなかった。

 

それでも、カペルミュールは集団を限りなく小さくすることには成功した。

結果、生き残ったのはファンマルクとスティバルを含めてもわずか11名。

そして、その中に3名もの選手を残していた唯一のチームが、アスタナであった。

 

北のクラシックからは最も縁遠いチームの一つですらあるように思えるアスタナだったが、この日残っていた3名はオスカル・ガットアレクセイ・ルツェンコ、そしてミケル・ヴァルグレンと、確かにクラシック巧者ではあった。

それでも、ファンマルク、スティバル、グレッグ・ファンアーヴェルマート、ワウト・ファンアールトといった精鋭クラシックハンターたちの中では、やはり力不足感の否めないメンバーではあった。

 

しかし、だからこそ彼らは、数の有利をしっかりと活かし切った。なにしろクイックステップですらスティバルしか残せていない局面。3人どころか、2人すら残せているチームがいない中で、3名も残せていたというのは大きな利点であった。

 

そしてアスタナはこの数の有利をしっかりと生かし切る。

その先鋒を切ったのが、当時はまだ母国デンマークでの勝利しかなかった若き26歳のヴァルグレンであった。

 

僕たちは、何かをしなければならなかった。なぜならこの大集団の中に、何人かの強力な優勝候補がいたから。アスタナとしても、ガットやルツェンコが彼らと競い合うことは十分できると思っていた。だから、アタックするならば僕がやらなければならなかった

 

決して自らが勝つためではなく。

精鋭集団の中でチームが勝利を掴むために、ヴァルグレンは自ら先陣を切ってアタックした。

ラスト11㎞の平坦。1度、2度、3度、そして4度。積極的なアタックを、繰り返していった。

 

その度に飲み込まれるヴァルグレン。

だが、その度に彼は集団の後方に戻り足を貯め、その間に集団の先頭では平坦巧者オスカル・ガットが集団のペースをキープ。次のヴァルグレンのアタックに向けての、時間稼ぎを担っていた。

そして3人の中で最も実績のあるエース、アレクセイ・ルツェンコは、そんなヴァルグレンの積極的な動きをじっと見守りながら、自らのチャンスを窺っていた。

 

残り2.4㎞。

互いに牽制し合う集団の左側から、セップ・ファンマルクがアタックを繰り出した。

これにオスカル・ガットが、しっかりと反応。危険な飛び出しを、未然に防ぐことができた。

 

そしてこれに対するカウンターで、ミケル・ヴァルグレンがこの日5度目のアタック。

その勢いは鋭く、そして誰もこれに反応することができないように思えた。

ただ一人、マッテオ・トレンティンを除いては。

 

集団の最後尾付近で、ヴァルグレンの動きを警戒していたトレンティンは、ヴァルグレンのアタックを見て自らも加速する。

そしてこの瞬間、これまで静観していたルツェンコが反応し、トレンティンの後輪を完全に捉えた。

 

結果として、ヴァルグレンの勢いは余人の想像を超え、トレンティンが追いつくことはなかった。

しかしもし追い付いたとしても、そこにルツェンコもいて2vs1の体制を作ることができていたならば、いずれにせよアスタナにとって有利なことに変わりはなかった。

 

最終的には、ミケル・ヴァルグレンの独走勝利。同年、アムステルゴールドレースも制することになる、新たなクラシックの王者の誕生の瞬間であった。

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それは、アスタナという、決してクラシックでは最強ではないチームが、チームで掴み取った美しき勝利でもあったのだ。

 

 

2019年――「無冠のクラシック王」の背中を押したチームの言葉

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新コース2年目。この年のオンループの勝負に最も大きな影響を及ぼしたポイントは、残り43㎞。今年のコースにはない、「モレンベルク」と呼ばれる急坂だ。

ここで、先頭集団は17名に絞り込まれる。イヴ・ランパールトとゼネク・スティバル(クイックステップ)、ティシュ・ベノートとティム・ウェレンス(ロット・スーダル)、ワウト・ファンアールトとダニー・ファンポッペル(ユンボ・ヴィスマ)等々、各精鋭チームがエースとセカンドエースの2枚ずつ残すような展開であった。

 

そんな中、事件が起こる。

残り29㎞。隊列の中ほどにいたティシュ・ベノートが、濡れた路面にタイヤを滑らせて転倒。そこで集団を真っ二つに割り、抜け出していた6名が残ることに。

すなわち、ゼネク・スティバル、ティム・ウェレンス、アレクセイ・ルツェンコ、ディラン・トゥーンス、ダニエル・オス、そしてグレッグ・ファンアーヴェルマート。

この中でクラシックの実績において頭一つ抜けていたのがファンアーヴェルマート。しかも、彼以外の選手は後方にチームメートを残しており、積極的に牽く理由がなかった。

ゆえに、ファンアーヴェルマートは自らの足を使ってでもペースを上げる必要があった。そんな彼にとって、カペルミュールは絶好の勝負所でもあった。

だが、ここではダニエル・オスを落としただけで、他の4名はなおも生き残っていた。

 

続いて、残り13㎞のボスベルク。ここでも、ファンアーヴェルマートは積極的にプッシュし、集団を引き千切りにかかった。

だが、スティバルがこれに食らいつき、しかもここで一旦は遅れたアレクセイ・ルツェンコもティム・ウェレンスもディラン・トゥーンスも、結局は追いついて先頭は5名のままフィニッシュを迎えることとなった。

 

ファンアーヴェルマートは最後のスプリントに懸けるしかなかった。

元々スプリント力もある彼にとって、それは決して悪い材料ではなかったが、しかしカペルミュール、ボスベルクと、足を使ってしまっていたのは事実であった。

また、ティム・ウェレンスやアレクセイ・ルツェンコといったスプリント勝負に持ち込みたくないアタッカーたちの飛び出しには常に警戒する必要があった。

彼らが飛び出したとき、その追走の責任を負わされるのは2017年のパリ~ルーベ覇者である自分であると、彼は理解していた。

 

何しろこのときのスティバルはまだ、北のクラシックで1勝もできていない「無冠の王」だったのだ。

だが、スティバルはそんな自分の立場を良く理解していた。

 

ティム・ウェレンスが先頭交代に入らないのを見て、彼が攻撃するに違いないと踏んだ。登り坂が含まれる残り4㎞地点で行くだろうと予想していたけれど、そのとき彼はまだ行かなかった。でも、僕はそれでも待った。そしてついにウェレンスがアタックして、ファンアーヴェルマートがこれに反応したとき、道の真ん中が開いた。

 ここだ、と僕は思った

 

彼もまた、「最強」ではなかった。そしてこのとき彼は一人であった。だが、状況を冷静に分析して、来るべきときを待って、そして最善のタイミングで、彼は飛び出した。

 

常に、クラシック常勝軍団のチームの中で、彼らを勝たせるための「先鋒」役を務めることの多かったスティバル。

そんな名脇役だったからこそ、仕掛けるべきタイミングを熟知していた。

そして、そんな彼が主役になることを後押ししたのは、無線から聞こえてくる監督トム・スティールスの言葉であった。

 

後ろには3人のチームメートが控えている。だが、その全員がお前のために走る。お前は自分の足を信じろ。お前は絶対に勝てる!

 

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ウルフパックは、コンビネーションだけで勝利するのではない。

その精神、その仲間の存在が、たった一人であっても、勝つべき者の背中を押すのである。

 

 

2020年――敗北を恐れなかった男の勝利

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新コースになって最初の年である2018年は残り17㎞のカペルミュールで、そして翌年2019年は残り43㎞のモレンベルクで。3年目となる2020年は、残り90㎞地点の石畳区間「ハーフーク」と急坂「レベルグ」が連続する区間で最初の動きが巻き起こる。

すなわち、ジャスパー・ストゥイヴェンとティシュ・ベノートが仕掛けたペースアップによって、イネオス・グレナディアーズの面々を置き去りにしたのである。

 

さらに、残り70㎞。今年は登場しない急坂である「レケルベルグ」を前にして集団が活性化。最初に仕掛けたグレッグ・ファンアーヴェルマートは引き戻されるが、レケルベルグ終了後の細い道で今度はフレデリック・フリソン、セーアン・クラーウアナスン、ティム・デクレルク、ヨナス・ルッチら4名が抜け出す。

さらにここにすぐさま反応してイヴ・ランパールト、マッテオ・トレンティン、マイク・テウニッセン、そしてジャスパー・ストゥイヴェンの精鋭4名がブリッジを仕掛ける。

ファンアールトはここには反応できず。前年も調子が上がり切らず残り29㎞からの展開に乗り遅れてしまっていた彼は、この年もまた、早くも勝負権を失う結果となった。

 

しかし2018年の残り17㎞、2019年の残り43㎞、そして2020年の残り70㎞と、勝負所が年々遠くなっていくのは興味深い。

 

もちろん、それだけ遠い距離で形成されたわずか7名の逃げ。それが逃げ切るのは決して容易なことではなかった。

今回、それを成し遂げたのは、イヴ・ランパールトのためにこの先頭7名(先ほどの8名からヨナス・ルッチだけが脱落)の中に残っていたアシスト、「トラクター」ティム・デクレルクの献身のおかげであった。

 

ひたすら7名の小集団の先頭を牽き続ける世界最強の平坦アシスト、デクレルク。彼のほぼ独力によって、残り17㎞のカペルミュールに至るまで、後続のメイン集団とのタイム差を2分以上には縮めさせなかったのである。

そしてカペルミュールに到達すると同時にデクレルクは脱落。そして、この思いを託されたイヴ・ランパールトが、ここでアタックを繰り出した。

ランパールトにとっても、ストゥイヴェンやトレンティン、テウニッセンといったスプリント力のある強豪と一緒にフィニッシュにまで辿り着きたくはなかった。

ゆえに、このカペルミュールで彼らを引き離すことは絶対の条件であったのだが――ここに食らいつく男がいた。

 

それは、ジャスパー・ストゥイヴェン

2016年、23歳のときにクールネ~ブリュッセル~クールネで驚異的な独走勝利を成し遂げて脚光を浴びながらも、その後、期待されたクラシックでの勝利をなかなか挙げられずにいた男。

そんな彼が、この日、勝利を掴んだ最初の瞬間は、あの残り70㎞の分断の瞬間であった。

 

僕はブリッジを仕掛ける最後の選手だった。かつてであれば、僕はきっと、負けるのを恐れて動けなかっただろう。僕はもう、敗北を恐れていない

 

そして彼は、カペルミュールでのランパールトのアタックに耐え、残り2㎞で繰り出したランパールトの最後のアタックにも食らいつき、そして最後のスプリントできっちりと勝利を手繰り寄せた。

この日の彼は、確かに強かった。しかしその強さを勝利に結びつけるための最高の瞬間を、彼は勇気をもって選び取ることに成功したのだ。

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そしてこの物語には続きがある。

再び、この「最強ではない」男が勇気をもって掴み取った、最高の勝利の物語が。

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2021年――ウルフパックが魅せた、最高純度のチームワーク

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2021年のオンループ・ヘットニュースブラッドは、2018年~2020年とはまた違った展開となり、我々を驚かせてくれた。

それは結論からいえば、45名にも及ぶ大集団でのスプリントでの決着であった。

しかし、その結末に至るまでの間に繰り広げられたのは、「最強チーム」ウルフパックことドゥクーニンク・クイックステップが描き出したドラマであった。

 

大きな動きが巻き起こったのは2019年大会と同じ残り43㎞の「モレンベルク」。残念ながら今年の大会には登場しない登りだが、やはり残り17㎞のカペルミュールだけでなく、この残り40㎞台や残り70㎞台での動きには、今年も注意しておいた方が良いだろう。

このモレンベルクで、2019年は17名が絞り込まれたが、この年もまた、同じく17名が抜け出すこととなった。

だが、2019年と違って、この都市はクイックステップが実に3名もの選手を忍び込ませた。2019年覇者ゼネク・スティバル、2月のツール・ド・ラ・プロヴァンスでも活躍していたダヴィデ・バッレリーニ、そして世界王者ジュリアン・アラフィリップである。

 

とはいえ、これだけの強豪チームが3名も残していれば、当然マークも厳しくなる。強くてかつ数でも有利なら、責任もって集団を牽いてよ、となるわけだ。

だから、ここでクイックステップは大胆な策に出る。

すなわち、残り32㎞で、アラフィリップ自らが、単独で抜け出すという作戦だ。

 

残された16名の集団はお見合い状態。何しろ、集団内にはまだ2人もクイックステップの選手が残っており、ここで足を使って無理やり追いかけることは、せっかく17名の中に残ったにも関わらず、勝機を失うことになりかねない――クイックステップは、まさに数の有利を活かす業に長けていたのである。

 

が、ここでクイックステップにとって誤算だったのは、この17名の中に、そんなロードレースの呪いとは無縁の「挑戦者」が含まれていたこと。

彼の名はトム・ピドコック。現シクロクロス世界王者であり、東京オリンピックマウンテンバイク金メダリスト。そしてこの年のアムステルゴールドレースでもワウト・ファンアールトと競い合ってギリギリの2位につけるほどの男である。

そんな彼が牽制など知らないとばかりに自ら集団を牽いてペースアップをするものだから、グレッグ・ファンアーヴェルマートやセップ・ファンマルク、マッテオ・トレンティンらも慌ててこれについていき、総勢11名がジュリアン・アラフィリップを追う展開となる。

もちろんスティバルとバッレリーニのクイックステップの2名もきっちりとここに食らいつく。それは良かったのだが、次の瞬間、肝心のスティバルが落車。

これがクイックステップにとっての第2の誤算。

2人も残っていたからこそ、アラフィリップも足を使って飛び出したのだ。

このまま10名が追いついてきてアラフィリップを飲み込んでしまえば、あとはもう、バッレリーニが一人で戦うしかない。

圧倒的な数の有利を武器にするはずだったクイックステップが、一転して不利な展開へと変わってしまう、そんな危機的な状況を迎えていたのである。

 

だが、ここからさらにウルフパックはすぐさま作戦を変更する。

すなわち、「だったらメイン集団に捕まえられてしまえばいい」という戦略だ。

すぐさま足を緩め、カペルミュール直前に10名の追走集団に捕まえられることを選択したアラフィリップ。

そして追走集団内にいたバッレリーニも徹底的に抑えに回りペースを落とし、さらに後方から追走してくるメイン集団に吸収される作戦をとることとした。

 

カペルミュールでのジャンニ・モスコンのアタックや、そこに追随するセップ・ファンマルクやクリストフ・ラポルトの動きなどもあったが、その後もメイン集団内でのクイックステップの牽引などにより、残り13㎞のボスベルグまでにこれらの抜け出した集団はすべて吸収。

40名以上の大規模な集団を残したまま、近年のオンループ・ヘットニュースブラッドでは珍しい「大集団スプリント」へと、突入していくことになる。

 

 

だが、本来であればこの残り13㎞でも一波乱、二波乱あるのが北のクラシックの常であった。それがそのまま人数を残して大人しく集団スプリント、とはそうはならない。

 

それを実現したのは、クイックステップの明確な意思であった。

すなわち、残り13㎞からの、数を活かした「超高速トレイン」の形成である。

 

一度は落車で遅れながらもティム・デクレルクの献身によって集団復帰を果たしていたイヴ・ランパールトを先頭に、デンマーク王者のカスパー・アスグリーンと世界王者ジュリアン・アラフィリップ――このレースの本来のエースとも言うべき3名が、迷うことなく集団先頭をローテーションし続け、超高速でラスト13㎞を駆け抜ける。

このハイ・ペースの前に、ライバルチームは誰も、アタックを繰り出すことなど、できない。

 

「絶対に、何が何でも、集団スプリントに持ち込む」

 

それが、この「クラシック開幕戦」で、2021年のクイックステップが取った明確な戦略であった。

 

あとはもう、勝つだけであった。

残り3㎞でアラフィリップが脱落し、シュテファン・キュングなどのライバルチームの精鋭たちが先頭に出始めるが、ラスト1㎞からは最終発射台のフロリアン・セネシャルが先頭を奪い返し、さらにペースアップ。

集団は縦に長く伸び、セネシャル――その年のブエルタ・ア・エスパーニャで、ファビオ・ヤコブセンのためにやはり最高のリードアウトを見せていた男――が、ラスト150mという完璧なタイミングまで、エースを先頭で守り続けていた。

 

そして放たれる、ダヴィデ・バッレリーニ。

チームにとっては新参者に過ぎない彼が、世界王者、パリ~ルーベ3位の男、そしてヘント~ウェヴェルヘム2位の男らに導かれながら、その最強のバトンを先頭につなぐ最後の役割を果たして見せた。

 

彼らの名はクイックステップ。

ウルフパック。そして、北のクラシックに君臨する、最強の軍団。

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今年も、彼らがこの「開幕戦」の勝利を掴み取ってしまうのか。

 

 

いや、今年は、今年こそは、あの男が出てくるはずだ。

 

 

(続く)

 

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*1:このオンループ・ヘットニュースブラッドの元々の名称は「オンループ・ヘットフォルク」。ロンド・ファン・フラーンデレンを主宰していたヘットニュースブラッド紙のライバルであったヘットフォルク紙が主催するレースであったが、のちにこのヘットフォルク紙が休刊。2009年からはヘットニュースブラッド紙が主催することになり、現在の名称となった。かつて対抗したライバルに乗っ取られるというのはなかなかの皮肉である。

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