「やるしかないと分かっていた。
スプリントに挑んで5位や10位で終わるよりも、すべてを失うほうがまだマシだって分かっていた。
そうやって何も得られないことの方が多かった。けれど時折、とてつもなく大きなものを手に入れるんだ。
今日はその日だった。
信じられない・・・自分が何をやってのけたのか、まだ理解できていないんだ。
信じられないくらいに幸せな気分だよ*1」
300㎞に及ぶ超長距離。
6時間半を超える長時間の戦いの末に、勝ったのは「優勝候補外」であったはずのヤスパー・ストゥイヴェンであった。
彼が強かったのは間違いがなかった。
そして彼が今年、たしかに調子が良かったことも。
しかしそれでも、ワウト・ファンアールト、ジュリアン・アラフィリップ、マチュー・ファンデルプール、マイケル・マシューズ、カレブ・ユアン、ペテル・サガン、マッテオ・トレンティン、グレッグ・ファンアーヴェルマートといったトップライダーたちが集うあの局面において、彼が勝利を掴んだことはやはり奇跡のような結末であった。
しかしもちろん、奇跡で勝てるほど、モニュメントは甘くはない。
いかにしてこの男が勝利を掴んだのか。
その理由を、軌跡を、解き明かしてみようと思う。
そしてその伏線は、1年前のある大きな勝利にこそあった。
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「1つ目の勝利」
ヤスパー・ストゥイヴェンは1992年4月17日、ベルギー・フラームス=ブラバント州の州都ルーヴェンに生まれる。
22歳にトレック・ファクトリーレーシングの一員としてプロデビューを果たし、翌年にはブエルタ・ア・エスパーニャでスプリント勝利。
その翌年の2016年には、クールネ~ブリュッセル~クールネでラスト17㎞でアタックし、そのまま独走勝利を果たし、同年のツール・ド・フランス第2ステージでも、最後の450mまで逃げ続けるという執念の走りを見せていた。
独走力とスプリント力とを併せ持ち、石畳をものともしない186cmのフィジカル。
同じトレックに所属していたファビアン・カンチェラーラの「後継者」と注目するメディアもあるくらい、期待され続けていた男だった。
しかし意外にも、このクールネ~ブリュッセル~クールネ以降、なかなか北のクラシックでの勝利に恵まれない日々が続いた。
チームメートで同じく期待されていたエドワード・トゥーンスと共に、常に北のクラシックシーズンでは優勝候補として挙げられつつも、結果を出せずにいたストゥイヴェン。
それに合わせるようにして、チーム自体がやや停滞の時期を迎えていたのがこの頃であった。
そんな彼らが少しずつ上向きになっていくのが、2019年の終盤からであった。
ストゥイヴェン自身も、9月上旬のドイツ・ツアーで、得意のレイトアタックからの逃げ切りでタイムを稼ぎ総合優勝。
世界選手権の1週間前には、プリムス・クラシックというレースで、残り10㎞からのいつものレイトアタックを放ちつつも、残り3㎞でこれが飲み込まれそうになったとき、集団からエドワード・トゥーンスがアタック。
ストゥイヴェンがこれと合流し、そこから全力の牽引を開始。すでに空っぽだったはずのタンクの最後の数滴を振り絞るようにしてわずか数秒の牽引をトゥーンスのために行う。
そしてこの数秒が、チームメートの勝利を導いた。
最後のストレートで集団からミサイルのような勢いで飛んできたパスカル・アッカーマンをタイム差なしで振り切って、トゥーンスが見事なる逃げ切り勝利。
ストゥイヴェンの走りがチームの勝利をもたらした。
そしてヨークシャー世界選手権。
マッズ・ピーダスンによる、世界王者の獲得。
ピーダスンはその後、覚醒したかのようにその実力をめきめきと伸ばし、2020年のツアー・ダウンアンダーではリッチー・ポートのための完璧なアシストをこなし、彼の総合優勝を強力に支えた。
同年2月にはマヨルカ・チャレンジでマッテオ・モスケッティがパスカル・アッカーマンに対して2勝を稼ぎ、ツール・ド・オー・ヴァルではジュリアン・ベルナールがプロ初勝利。
特定の誰かが強いというわけではなく、チーム全体が良い雰囲気の中で「誰もが勝てる」というイメージが出来上がっていたように思える。
「チーム全体が昨年末からいい雰囲気になっていて、それが僕に『できる』って思いにさせてくれたんだ」
そんな中、迎えたのが2月末のオンループ・ヘットニュースブラッド。
ヤスパー・ストゥイヴェンにとって、2016年のクールネ~ブリュッセル~クールネ以来期待されながらも勝てずに居続けていた「北のクラシック」の開幕戦である。
このときの彼は間違いなく強かった。
最後の勝負所となるカペルミュールにて、最も強いと思われていたイヴ・ランパールトの前を走っていた時点で、例年以上のコンディションを彼が持ち合わせていたのは間違いなかった。
しかし、このときのオンループは、決してその実力だけで勝てるほど簡単な展開ではなかった。
動き出したのは残り90㎞。石畳区間「ハーフーク」と激坂「レベルグ」が連続する区間とはいえ、例年よりもずっと早いこのタイミングで、早速ストゥイヴェンとティシュ・ベノートがペースを上げていった。
この動きで、イネオス・グレナディアーズは完全に脱落。
そして直後の激坂「レケルベルグ」。
ここでまずはグレッグ・ファンアーヴェルマートがアタックし、これが引き戻されると、その後の細い道でフレデリック・フリソン、セーアン・クラーウアナスン、ティム・デクレルクが抜け出す。
これに反応してすぐさまブリッジを架けたのがイヴ・ランパールト、マッテオ・トレンティン、マイク・テウニッセン、ヨナス・ルッチ。
そしてストゥイヴェンもまた、この動きに飛び乗った。
このときのことを、彼は振り返っている。
「僕はブリッジを仕掛ける最後の選手だった。かつてであれば、僕はきっと、負けるのを恐れて動けなかっただろう。僕はもう敗北を恐れていない」
このときの彼の勝利が、自信につながったのだろう。
「何も得られないことの方が多いけれど、時折とてつもなく大きなものを手に入れることがあった」という冒頭に挙げた彼の成功体験の一つはこの勝利であったはずだ。
「他のレースでも同じように僕が優勝候補の筆頭だとは思っていない。この勝利にはとても満足しているけれど、また次のレースがすぐやってくる。
僕はこの良い状態を維持していかなければならない。そして、リラックスした気持ちで次のレースを迎えることにしよう」
だが、その「次のレース」がまさかわずか1年後に、しかも想像していた以上に遥かに大きなレースとしてやってくるとは、さすがの彼も想像はしていなかったであろう。
ミラノ~サンレモ2021 勝利への瞬間
シーズン最初のモニュメント。春の訪れを告げる「ラ・プリマヴェーラ」。
300㎞弱の長距離レースながらその勝負所はラスト10㎞に凝縮されており、シンプルな構成にも関わらず毎年白熱の展開を生み出す名レース。
今年もディフェンディングチャンピオンのワウト・ファンアールトを始め、2019年覇者のジュリアン・アラフィリップやマチュー・ファンデルプールなど、直近のストラーデビアンケやティレーノ~アドリアティコでも活躍した強豪が揃い注目を集めた開催となった。
↓勝負所の解説や過去のレース展開はこちらから↓
レースが動き出したのは例年通りの残り27.2kmから始まる「チプレッサ」の登り。
集団の先頭をティモ・ローセンが強力に牽引し、登りが本格化してからはチーム・サンウェブから移籍してきた若きクライマー、サム・オーメンが牽引を開始。
ダンシングでひたすらハイ・ペースを刻んでいくオーメンに寄って集団は縦に長く牽き伸ばされ、アタックは封じ込められた。集団からはアルベルト・ベッティオルやフェルナンド・ガビリアら実力者たちも脱落していき、集団の数も一気に絞り込まれていく。
そして、チプレッサの頂上を越えるとオーメンは脱落。
代わって先頭に躍り出たのはルーク・ロウを先頭とするイネオス・トレインであった。
一時は30名程度にまで絞り込まれた先頭集団も、残り9.2km地点から始まる「ポッジョ・ディ・サンレモ」への登りの麓までには再び80名近い大集団に。
ここで集団の先頭に立ったのがTT世界王者のフィリッポ・ガンナ。ポッジョ・ディ・サンレモの登り勾配をものともせず超ハイペースで集団を牽引していくガンナによって、エリア・ヴィヴィアーニもジャコモ・ニッツォーロも崩れ落ちていく。
残り7.2㎞でガンナが脱落するタイミングでその後ろにはディラン・ファンバーレ、カレブ・ユアン、トム・ピドコック、ミハウ・クフィアトコフスキ、ジュリアン・アラフィリップ、ワウト・ファンアールト、グレッグ・ファンアーヴェルマート、マキシミリアン・シャフマン、マイケル・マシューズ、マチュー・ファンデルプール・・・ヤスパー・ストゥイヴェンは、この集団の後方にかろうじて食らいついている状態であった。
そして残り6.6㎞。ポッジョ・ディ・サンレモ頂上まで残り1㎞地点にある、最大勾配8%の「毎年の勝負所」で、今年もまたジュリアン・アラフィリップのアタックと、そこに食らいつくワウト・ファンアールトという構図で戦いのゴングが鳴り響いた。
だが昨年と違って、このときのアラフィリップの攻撃は決定的な分断を生み出すほどには強力ではなかった。
ファンアールトも頂上までの最後の数百メートルで再プッシュするも、これでも小集団を引き離すことはなかなかできず、結果、下りにおいてペースを緩め、以下の12名の先頭集団が形成されることとなる。
- ワウト・ファンアールト(ユンボ・ヴィスマ)
- ジュリアン・アラフィリップ(ドゥクーニンク・クイックステップ)
- マチュー・ファンデルプール(アルペシン・フェニックス)
- カレブ・ユアン(ロット・スーダル)
- トム・ピドコック(イネオス・グレナディアーズ)
- マイケル・マシューズ(チーム・バイクエクスチェンジ)
- グレッグ・ファンアーヴェルマート(AG2Rシトロエン・チーム)
- マッテオ・トレンティン(UAEチーム・エミレーツ)
- マキシミリアン・シャフマン(ボーラ・ハンスグローエ)
- アレックス・アランブル(アスタナ・プレミアテック)
- セーアン・クラーウアナスン(チームDSM)
- ヤスパー・ストゥイヴェン(トレック・セガフレード)
「この強い選手たちと共にフィニッシュラインに行こうとはまったく考えていなかった。実際、僕は友人に言っていたんだ。『オール・オア・ナッシングで行くつもりだ』って。どの選手にもチームメートはいなかったし、それは僕にとって有利な状況だった。完璧なタイミングを見つけ、ギャップを作り、あとは足を空にしてひたすらフィニッシュラインに向かうだけだった*2」
その「完璧なタイミング」は残り3㎞で訪れることとなった。
アタックして逃げ切るには、やや長すぎる距離。
しかしそこで誰もが緊張を弛緩させる最適なタイミングだと彼が気づいたそのとき、彼はアクセルを踏むことに躊躇いがなかった。
彼はオール・オア・ナッシングでこの場所に来ていたし、1年前もまた彼はそんな「敗北を恐れない」思いで大きなものを手に入れていた。
「みんなが彼ら(ワウト、マチュー、アラフィリップ)のことを話題にするのは当たり前だと思っている。彼らと1対1で戦うとしたら、彼らの方が強いだろう。でも、今年の初めから言っていることだけど、4位になることを考えてスタートラインに立つわけじゃないんだ*3」
残り3㎞。
4位ではなく、優勝を目指して、「敗北を恐れなかった男」が2度目の勝利を目指してアクセルを踏んだ。
それは完璧なタイミングであり、かつ彼がまたこのレースの優勝候補では決してなかったことが、見逃される大きな要因となった。
だが、一方で、このアタック一発で勝てるほど甘くはなかった。
集団も確かに牽制状態には陥っているが、過去にもこのタイミングでアタックした選手たちは数知れず。
そんな彼らも結局は捕まえられることの方が遥かに多く、ストゥイヴェンもまた、この残り3㎞からの彼一人のアタックでは、やがて捕まえられて終わっていたことだろう。
しかし、そこに一人の男が現れる。
セーアン・クラーウアナスン。
昨年のツール・ド・フランスでも終盤のアタックによって2度の勝利を掴み取った名アタッカー。
彼もまたこの日の優勝候補ではなく、残り1.5㎞で彼が飛び出したとき、それを全力で追うものは現れなかった。
そして残り1㎞。
ストゥイヴェンはここで、一度後ろを振り返る。
そして迫りくるクラーウアナスンを、彼は「待った」。
「最後の1㎞で、僕はセーアンが来るのを見たので、僕はクランクの前まで足を休めることにした。それは僕に300mの休息期間を与えてくれ、そのあと彼が僕の前を牽いてくれたらいいと思っていたが、実際に彼はそうしてくれた*4」
残り1㎞通過直後に訪れる直角2連続カーブ。ここで追い付いてきたクラーウアナスンの前を牽きながら流しつつ足を休めていたストゥイヴェンは、クランク終了直後にペースを上げたクラーウアナスンの後輪をしっかりと捉えて離さなかった。
あとは、我慢比べだった。
後方からは牽制しつつも、マッテオ・トレンティンやジュリアン・アラフィリップによって何度かの加速を見せる小集団。
早すぎても届かないし、遅すぎても捕まえられる。
ギリギリの決断が求められるこの最終局面で――ストゥイヴェンは、クラーウアナスンの前に出ないまま勝負所のラスト150mを迎えることとなった。
ここまでくれば、勝利は確実だった。
50m後方の集団からはマチュー・ファンデルプールがスプリントを開始するが、もはや遅すぎたし、ファンデルプールの足ももう、残ってはいなかった。
迫りくるカレブ・ユアンをかわし、ストゥイヴェンは自身初のモニュメント制覇を掴み取った。
「ワウトもマチューもアラフィリップも、世界のほぼすべてのレースで最強のライダーだと思っている。でも、自分の足を信じることができれば、大きな成果を手に入れられるんだってことを僕は今日示すことができたように思う。そして彼らが、決して無敵なんかじゃないってことを。無敵な男なんていない*5」
「最強」が常に勝つわけではない。
そのことを、この男は常に思い知らせてくれる。
ヤスパー・ストゥイヴェン。これからもまた、彼自身の勝利と、そして彼のアシストによって誰かが勝利する瞬間を、たくさん見せてくれることだろう。
これからも期待しているよ。
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