※年齢の表記は全て2019年1月31日時点のものとなります。
まさに劇的な勝利だった。
シクロクロス3大シリーズ戦の1つ、UCIワールドカップの最終戦が、1月27日にオランダのホーヘルハイデで開催された。
UCIワールドカップの総合首位は世界王者のワウト・ファンアールト(ベルギー、25歳)。これをわずか3ポイント差で追いかけるのはベルギー王者のトーン・アールツ(ベルギー、26歳)。
6位以上は順位が1つ違うだけで5ポイント以上のポイント差がつくため、ファンアールトとアールツ、先にゴールした方がワールドカップの総合優勝者になるという、非常に分かり易い展開を迎えていた。
昨年までのことを考えれば、実力的には間違いなくファンアールトが上だった。
何しろファンアールトは昨年まで3年連続で世界王者の座を手に入れており、3大シリーズ戦制覇も数知れず。
マチュ―・ファンデルポール(オランダ、24歳)は規格外過ぎるのでさておき、彼に匹敵するかもしくはそれに次ぐ現代シクロクロス界の実力者であることは間違いがなかった。
一方のトーン・アールツは、かつて、ヨーロッパ選手権を制したことはあるものの、3大シリーズ戦を制したことはない。実力的には現代シクロクロス界の5本の指には入るものの、それでもファンデルポールやファンアールトには水をあけられてしまっている状態だった。
しかし、今年のアールツは例年よりも確実に力を増していた。
そしてファンアールトも、旧所属チームとのゴタゴタが尾を引いていたのか調子を出し切れないことが続いており、アールツとファンアールトとの差は、今年に関しては限りなく近づいていた。
そういったことが重なって迎えた、「3ポイント差」という僅差でのワールドカップ最終戦。
泥に塗れたテクニカルなコースでの1時間の激闘の末、勝利を掴み取ったのは「最強」マチュー・ファンデルポール。
そして、彼に続く2位、すなわちワールドカップ総合優勝を手に入れたのは、「挑戦者」トーン・アールツだった。
逆転。
そして彼にとって初となる、3大シリーズ戦での総合優勝。
しかし、そこに至るまでの道のりは決して平坦なものではなく、苦難に満ち溢れたものであった。
今回は、2018-2019シーズンの主人公の1人であったトーン・アールツが、いかにしてワールドカップの頂点に立ったのか、その道程を振り返っていく。
シクロクロスの簡単な概要については以下の記事を参照のこと。
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9月~10月:トーン・アールツの快進撃
トーン・アールツは高い実力を持つものの、同年代にマチュ―・ファンデルポールとワウト・ファンアールトという2人の化け物が存在するせいで、なかなか勝利に恵まれることの少ない選手であった。
2016年にはヨーロッパ選手権で優勝。しかしこれも、圧倒的な実力で勝ったというよりも、それまで大きなレースでの勝利がなかった彼を、ファンアールトばかり意識していたファンデルポールがしっかりと追うことができなかったがゆえの勝利、とも言える。
実際、アールツはその高い実力にも関わらず、3大シリーズ戦での総合優勝は一度もなかった。UCIワールドカップでのステージ優勝も、今年のワールドカップ開幕戦「ウォータールー」(アメリカ)での勝利が初であった。
そんな彼にとって、今年は大きな飛躍の年となった。このウォータールー、そして第2戦「ジングルクロス」(アメリカ)では、絶対王者ファンデルポールが不在の中、世界王者ファンアールトを相手取り圧勝する強さを見せつけた。
ファンアールトは実際、今年明らかに精彩を欠いていた。
シクロクロスシーズン開幕とほぼ同時期に勃発した、所属チーム運営母体のスナイパー・サイクリングとのトラブルと、泥沼化する移籍問題。
シクロクロスにはトップ選手としては珍しい「所属チーム無し」の状態で挑むが、十分な練習環境の不足や心身の疲弊によって、シーズン前半を良いところなしに過ごすことになる。
ファンデルポールと並ぶ化け物と思われていたファンアールトの思わぬ不振によって、優位に立ったのがトーン・アールツ。
さすがに最強のファンデルポールが参戦してくると勝利を譲る場面が多くなるが、DVVフェルゼクリンゲン・トロフェーの開幕戦となる「コッペンベルグクロス」では、そのファンデルポールまでもが弱みを見せ、初戦にして4分以上ものタイム差がつくことに。
この日もアールツが勝利し、ワールドカップに続き、このDVVでも総合首位に立つこととなった。
今年はアールツの年になるか。
そう思われていた時期だった。
11月~12月:ファンデルポールの圧倒的な強さとファンアールトの復活
ファンデルポールが総合争いには加わらず、ファンアールトも不調が続いていたUCIワールドカップ、そして初戦にてファンデルポール、ファンアールト共に不調だったDVVフェルゼクリンゲン・トロフェー。
この2つのシリーズ戦で総合首位の座を手に入れたアールツは、今年、彼にとって初めてとなる3大シリーズ戦での総合優勝を確実なものにしつつあった。
しかし、ファンデルポールの強さは想像を超えるものであった。
DVVフェルゼクリンゲン・トロフェーの初戦「コッペンベルグクロス」にて、大きな不調に遭い4分以上ものタイムを失ったファンデルポール。
他2つのシリーズ戦と違い(ロードレースのように)総合タイムで順位がつけられるDVVにおいて、4分というタイム差は絶望的なもののように思われた。
しかし、DVV第3戦「フランドリアンクロス」。この日、ファンデルポールはスタートからチームメートのトム・メーウセンを従えていきなりの独走状態に入った。
まさに圧倒的な力量差だった。途中まではメーウセンのために先導していたファンデルポールも、やがて、この勢いならば4分差をひっくり返すことも可能だと気づいたのか、ついにメーウセンも切り離して独走。
最終的にメーウセンには44秒差、3位以下には1分55秒差、そしてアールツに対して2分1秒のタイム差をつけてゴールした。
アールツももちろん調子が悪かったわけではない。
それなのに、4分という絶望的なタイム差を、たった1日のレースで半分にまで縮めた。
しかも、途中まではチームメートを背負っていたのであり、もしそれがなければ、もしかしたら、ということすらありえた。
この日アールツは悟ったに違いない。
このDVVでの総合優勝は、もしかしたら厳しいのかも――と。
それでも、UCIワールドカップはまだ可能性が十分にあった。
こちらはポイント制のため、アールツがよほど落ち込まない限り、どれだけファンデルポールが力を見せつけても、逆転されることはない。
UCIワールドカップ第5戦「コクサイデ」。
激坂とサンドセクションのアップダウンが特徴のこのレースで、ファンアールトは少しずつ調子を取り戻してきた様子を見せ、アールツより上位でゴールすることとなった。
しかし勝者は圧倒的にファンデルポールであり、2位ファンアールトと3位アールツとのポイント差は5ポイントしかつかない。
今後もたとえ、ファンアールトがアールツに勝ち続けたとしても、ファンデルポールが1位を獲り続け、アールツが3位に入り込めれば、総合首位の座を奪われることはない。
アールツはまだまだ安全圏にいた。
はずだった。
しかし、年末に開催された第6戦「ナミュール」で、少しずつ雲行きが怪しくなってくる。
この日、ファンアールトは(このところ頻発していた)スタートダッシュの失敗により序盤は沈み、アールツにとって有利な状態でレース序盤をこなしていた。
しかし、泥に塗れた下りセクションでアールツがまさかの落車。
バイク交換も余儀なくされ、その隙に、後方から怒涛の追い上げを見せたファンアールトがアールツを追い抜く。
実はこの週に、ファンアールトには大きな転機が訪れていた。
すなわち、前所属チームのフェランダス・ウィレムスクレラン(の運営母体であるスナイパー・サイクリング)との契約問題に端を発した「所属チーム無し」問題が、かねてより噂のあった「チーム・ユンボ・ヴィスマ」との正式契約締結により、解決することができたのである。
心の枷が解き放たれたことによる良い影響があったのか。
スタートダッシュこそ遅れたものの、その後の追い上げはかつての勢いを感じさせるものを見せたファンアールトは、そのまま3位を50秒以上突き放しての2位ゴールを果たした。
そして、なんとか3位に入り込んで総合首位を死守したいアールツは懸命にペダルを回すが、その背後から迫ってきたのが、23歳の新鋭、チーム・サンウェブのオランダ人ヨリス・ニューエンハイス。
一度はニューエンハイスに追い抜かれてしまうアールツ。
しかしここで3位に入れるかどうかは彼の人生に関わる重大事。
執念を見せ、なんとかニューエンハイスを抜き返して3位に滑り込んだアールツ。
まさに死闘であった。
だが、3日後に開催された第7戦「ヒュースデン・ゾルダー」で、またしても混戦が続いた。
まず、今回はスタートダッシュに成功したファンアールトだったが、1周目でパンクに見舞われて大きく遅れることに。アールツにとっては再び大きなチャンスとなった。
しかし、ここでまたファンアールトの怒涛の追い上げが見られることに。みるみるうちに縮まっていくアールツとのタイム差。やはり、彼の実力は復活しつつあった。
さらにはこの日、アールツが急坂セクションでのミスを連発。
勢いが足りずに足をつくことが何度もアリ、結果、4周目についにファンアールトに追い付かれてしまう。
加えて、前戦ではなんとか追い抜き返して破ったニューエンハイスが、この日再び強い走りを見せ、今回は完全にアールツを打ち倒した。
1位ファンデルポール、2位ファンアールト、そして3位にニューエンハイス、4位アールツ。
5ポイント差で推移すればファンアールトに勝てなくとも総合優勝できたアールツが、この日10ポイントもの差を付けられたことで、残り2戦のどちらかでファンアールトを倒さなくてはならなくなった。
しかも、第8戦「ポンシャトー」はファンデルポールの欠場が決まり、もしもここでファンアールトが優勝してしまえば、アールツが2位につけても総合は逆転されてしまう。
すでに1/1のGPスヴェン・ネイスにてDVVフェルゼクリンゲン・トロフェーではファンデルポールに逆転されてしまっているアールツ。
せめてワールドカップでは首位を死守したいところだが・・・その可能性は今、限りなく低くなっていた。
1月:アールツの執念
やはりファンデルポールに次ぐ最強はワウト・ファンアールトなのか。
今年もまた、アールツは3大シリーズ戦の総合優勝を勝ち取れずに終わるのか。
そんな絶望の中で、しかしアールツはまだ、諦めていなかった。
1月13日に開催された、シクロクロス・ベルギー選手権。
ベルギー人シクロライダーの最強を決めるこの大会において、絶対の優勝候補は復調しつつあるファンアールトであった。
実際、雨でドロドロになったテクニカルコースで、アールツは中盤以降に遅れを見せ、そのままファンアールトの独走が決まるかと思われた。
しかし、その後、さすがの悪コンディションに、思った以上に体力を奪われていたファンアールトが失速。
逆にアールツが少しずつ追い上げを見せ、やがて、残り2周でこれを追い抜いた。
最終的にはアールツがファンアールトに1分近いタイム差をつけて圧勝。
初のベルギー王者に輝く。あまりの喜びに、彼は涙すら流したという。
問題のUCIワールドカップ第8戦はその1週間後に開かれ、予想通りのファンアールト優勝、2位アールツとなった。
これにより、総合順位は逆転。
しかし、総合首位ファンアールトと、総合2位アールツとのポイント差はわずか・・・3点。
ベルギー選手権の走りがある以上、何が起きるか、わからなくなってきた。
かくして、この最終戦、もはや順位も何も関係なし。
ただ単純に「より相手より高い順位でゴールした方が総合優勝」という状態で、運命の日を迎えることとなった。
UCIワールドカップ最終戦「ホーヘルハイデ」
最終戦の舞台となったのは、オランダの南西部、ベルギー国境沿いでアントウェルペンにも程近い町ホーヘルハイデ。
この日、アールツは非常に調子が良かった。
1周目から先頭に躍り出たファンデルポールに喰らいつき、さらにはこれを颯爽とかわし、この怪物を堂々と先導することに。
3周目にはミスにより失速したファンデルポールを突き放し、先頭アールツと追走ファンアールト&ファンデルポールとのタイム差は16秒にまで開いた。
彼らが決して遅いわけではないことは、その後方の4位以下がすでに1分以上ものタイム差をつけられていることからよくわかる。
この3人は明らかにずば抜けており、その中でも、今日のトーン・アールツが頭一つ抜き出た走りをしているのは確かだった。
だが、ファンデルポールはやはり強かった。
5周目に入るとファンデルポールはファンアールトを突き放し、再びアールツのもとへと戻ってきた。6周目の途中でついにアールツすら切り離し、いつもより遅めではあるもののいつもの独走態勢に突入。
そのまま、今期26勝目を飾る。
だが、アールツにとって、もはやファンデルポールに勝とうが勝てまいがどうでもよかった。
とにかくも、後方のファンアールトに追い付かれないように先にゴールすればそれでよい。
5周目途中の段階でファンアールトとのタイム差は21秒。
このままいけば、総合優勝は確実に手にできる。
しかし、ここで世界王者が意地を見せた。
6周目。バイク交換し、突然目が覚めたかのようなペースアップを見せたファンアールト。
この1周だけで、先ほどは20秒以上開いていたタイム差を、一気に10秒近くにまで縮める。
ファンデルポールに突き放され、ペースメーカーを失ったアールツも、前半のハイペースのツケが回ってきたこともあり、少しペースダウンしてしまう。
まだ、残り1周半残っている。
このペースでは、追い付かれて逆転も――ありうる。
――が、ファンアールトの最後の足掻きは、この1周だけで終わってしまった。
6周目終了時点で、再びアールツとファンアールトとのタイム差が21秒にまで開かれる。
このタイム差がこれ以上大きく縮まることはなく、アールツはこの日最高の走りを見せて2位ゴールを果たした。
結果、2ポイント差での総合逆転。
人生初の、3大シリーズ戦総合優勝を手に入れた。
2/3には今年のシクロクロス世界選手権が、デンマークのボーゲンセにて開催される。
絶対的優勝候補は今年28戦中26勝のマチュー・ファンデルポール。これまで彼からアルカンシェルを奪い取り続けてきた最大のライバルであるファンアールトは、今年の不調からの完全なる脱出を果たし切れていない。
とはいえ、チーム対抗戦ではなく国別対抗戦となるこの世界選手権で、不調のファンアールトに代わりトーン・アールツが今、台頭しつつある。
2016年のヨーロッパ選手権のように、このアールツとファンアールトがファンデルポールを翻弄することによって、再び世界王者の座はベルギーの手に収まる可能性は十分にある。
それはもしかしたら、アールツの手に届くかもしれない。
今年、大きな飛躍を成し遂げたトーン・アールツ。
世界選手権では、ぜひ彼の走りにも注目をしていただきたい。
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