今年のツアー・ダウンアンダーは、例年にも増して白熱したレースとなった。
最終的な総合優勝者リッチー・ポートと、2位ディエゴ・ウリッシとのタイム差は25秒で、それだけ見れば、ポートの圧勝のようにも思える。
しかし実際には、最後の瞬間まで、誰が勝つのか全く分からない、そんなギリギリの展開が続いていたのである。
そして今年がとくに面白かったのは、この「秒差の争い」の中心となった2チーム――ミッチェルトン・スコットとトレック・セガフレード――が、それぞれ明確な戦略と戦術でもって戦いに挑み、実行していたからでもある。
自転車ロードレースとは、個人の争いの形式を持ちながらも、決して個人の争いではなくチームワークが重要になる。そんなロードレースの魅力が存分に詰まっていたのが、今回のツアー・ダウンアンダーであった。
一方で、結局勝つのは個人であり、それを助けたアシストたちはともすれば無名のままに終わるという、独特な仕組みをもったスポーツでもある。
今回は、2020年シーズンのツアー・ダウンアンダーを振り返りながら、そんなロードレースの魅力を語りつつ、そこで確かに重要な役割を果たした「勝者でなき強者たち」についても、しっかりとフォーカスを当てていきたいと思っている。
それではいってみよう。
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ミッチェルトン・スコットの戦略
ツアー・ダウンアンダーでの勝利の秘訣は、大会最大の勝負所とされているウィランガ・ヒルで勝つことではない。その途中でいかにボーナスタイムを得られるかである。
その理由は、ウィランガ・ヒルが全長3㎞、平均勾配6%程度と、数十秒もタイム差をつけられるような登りではない点にある。ここを6連勝しているリッチー・ポートであっても、そのうちの5回は敗北しているのだ。
たとえば2016年、リッチー・ポートはウィランガ・ヒルでサイモン・ゲランスに17秒ものタイム差をつけた。にも関わらず、そこまでのステージで2勝と中間スプリントポイントでのボーナスタイムを稼いでいたゲランスは、最終的に9秒のリードを残して総合優勝を果たしている。
2018年のダリル・インピーも、ウィランガ・ヒルでポートから8秒遅れの2位ゴールとなったものの、そこまでの3ステージでの2位が功を奏し、なんとか総合タイム差0秒で初の総合優勝を勝ち取った。
翌年のインピーは2回のステージ3位と1回のステージ優勝、そしてウィランガ・ヒルでもポートとはタイム差なしでフィニッシュできたことにより、総合タイム差では13秒もリードして「余裕」の総合連覇を果たした。
ピュアスプリンターたちが生き残りにくい丘陵ステージで区間上位に入れるスプリント力と、そこそこの登坂力を持ち合わせたゲランスやインピーのようなパンチャータイプこそツアー・ダウンアンダーには有利であり、その点だけを考えれば、インピーの3連覇達成の可能性は高いように思えた。
しかし、今年のダウンアンダーのコースレイアウトは、そう単純ではなかった。
ポイントは第3ステージのパラコーム。登坂距離1.2㎞、平均勾配9.9%というレイアウトは、人によってはウィランガ・ヒル以上に決定的な差がつきうる登りだとも言われる。
実際、前回この登りが登場した2017年には、リッチー・ポートがウィランガだけでなくこの登りも制したことによって、2位のエステバン・チャベスに48秒ものタイム差をつけて初の総合優勝を飾っている。
今年、同じ登りが登場することは、インピーにとっては大きな逆風となることは間違いなかった。
ゆえに、インピーとミッチェルトン・スコットは、この不利を跳ね除けるための戦略を選んだ。
すなわち、序盤から徹底してボーナスタイム獲得に動く、ということである。
第1ステージ タヌンダ〜タヌンダ 150km(平坦)
スタート後15㎞地点に最初の中間スプリントポイントが用意されていたことで、6日間のダウンアンダーは全く平穏でないスタートを切ることとなった。
いつもならさらっと決まるはずの逃げがまったく決まらず、ミッチェルトン・スコットの隊列によって押さえ込まれたプロトンは、そのまま15㎞地点まで一団となって押し寄せた。
そして放たれたダリル・インピーはチームメートの努力に報いるようにしてまずは3秒のボーナスタイムを獲得。
とりあえずは3秒。もちろん、非常に大きな3秒だ。
第2ステージ ウッドサイド〜スターリング 135.8㎞(丘陵)
この日は最初の中間スプリントポイントが74.9㎞地点にあったため、さすがに前日のような作戦は取れず。
ただし、フィニッシュ地点が定番の「スターリング登りフィニッシュ」。クライマーには緩すぎるが、ピュアスプリンターには厳しすぎるこのパンチャー向けフィニッシュは、過去に登場した際(2015年、2018年)もインピーが2位フィニッシュでボーナスタイムを手に入れた登りでもあり、今年こそは優勝して10秒のボーナスタイムを手に入れたいところではあった。
そのための、フィニッシュ前におけるミッチェルトン・スコットの隊列は完璧だった。
彼らが先頭に姿を現したのは残り3.5㎞から。そこからアシストの1人が猛烈にペースアップを図り、残り1.8㎞で2人目に、そして残り1㎞のゲートを潜った直後に、最後から2番目のアシストであるルーカス・ハミルトンにバトンタッチした。
この間、当然インピーも彼らに率いられて集団の先頭に上がっていた。そのおかげで、残り1.5㎞で発生した大規模な落車に巻き込まれることもなく、しっかりと最後のスプリントに挑むことができたのである。
スプリント勝負は残り1㎞だけで決まるわけではない。そこまでの数㎞の場所取り、とくに集団先頭を取り続けることの重要さと難しさは、ProCyclingManagerをプレイすると物凄く実感できる。
そして残り1㎞を切っていよいよスターリングの本格的な登りに突入。ここで先頭牽引の役目を担ったのが、昨年のウィランガ・ヒルでもインピーを強力にサポートしたルーカス・ハミルトン。
今年ブエルタ・ア・エスパーニャのエースを任されるかもしれない、ミッチェルトン・スコットの期待の若手クライマーである。
彼の勢いはすさまじく、途中でCCCチームのルーカス・ウィシニオウスキがアタックを仕掛けるも、簡単にこれを飲み込んでしまった。
インピーの3つ後ろで、ミケル・モルコフに守られながらサム・ベネットがポジションを確保していたものの、彼の表情もすでにして苦しそうで、このあとの失速の伏線が張られていた。
残り500mでハミルトンも終了。最後のリードアウターは、オーストラリアチャンピオンジャージを着たキャメロン・マイヤー。
残り180mで、インピーが発射。ほぼ同じタイミングでモルコフから放たれようとしていたサム・ベネットは、完全にガス欠の状態で力なく失速していってしまった。
ただし、このサム・ベネットの後ろから、赤いロケットが凄まじい勢いで飛び出してきた。
インピーは間違いなく誰よりも先にゴールラインに到達するはずだった。この赤いロケットが、驚異的な勢いで彼を追い抜くことさえなければ。
結局、2年前のスターリング同様、インピーはこの若手オージースプリンターの前に3度目の2位を経験することとなってしまった。
それでも、ボーナスタイム6秒を獲得。
これで合計9秒のリードをリッチー・ポートから得ることに成功した。
そして運命のパラコームステージ。
第3ステージ アンリー〜パラコーム 131㎞(丘陵)
最初の中間スプリントポイントは84㎞地点ということもあり、ここではボーナスタイムを得るなどという甘い考えは最初から捨てている。
最後の強烈な登りフィニッシュでいかにしてポートからタイムを失わずに済むか。その一点に集中する必要があった。
この日、ミッチェルトン・スコットの先頭牽引は、ゴール前10㎞以上離れたかなりの遠距離からスタートしていた。
途中、サンウェブの選手などが前に出ることなどもあったが、基本的にはミッチェルトン・スコットの数名とインピーが先頭付近を固め、ガンガンにペースを上げている状況だった。
総合リーダージャージを着ているでもなく、登りが他チームよりも得意なわけではない彼らがそこまでして長距離を先頭で支配し続ける理由は何か?
1つは登りをできるだけ先頭で確実に入るためかもしれない。実際、登りが苦手なエースはできるだけ先頭で登りに突入させることが、傷口を最小限に抑えるうえでは重要となる。
ただし、そう考えるには先頭支配が早すぎる。
むしろ重要なのは、平坦が得意な彼らが、この長い平坦区間を利用して少しでもリッチー・ポートの足を削っておきたい、と考えたのかもしれない。
実際、終盤の平坦の超高速展開というのは、たとえアシストたちに守られていたとしても、ピュアクライマーにはかなりくるものがある。たぶん。これもProCyclingManagerで学んだ。あくまでもゲームなので、実際にはどうなのか、確言はできないけれど。
少なくとも穏当に残り2㎞からの登りに突入しただけでは、ポートに絶大な傷を負わされてしまうのが落ち。
彼に決して休ませない状況を作り出すことが、この日、ミッチェルトン・スコットの「平坦チーム」たちに与えられた任務であった。
そして、いよいよ登りに突入。先行するディエゴ・ウリッシを追うことなく、集団の先頭はキャメロン・マイヤーが坦々と牽いていく。
直後、トレック・セガフレードのゼッケンNo.15・・・ネオプロのファンペドロ・ロペスが先頭に躍り出る。そして遅れてついてきたリッチー・ポートがこれに飛び乗って、そのままロペスが強力なリードアウトを開始した。
マイヤーは堪らず脱落。ポートたちを追撃する役割はサイモン・イェーツに引き継がれた。
ウリッシを追い抜き、止まってしまうほど力を出し尽くしたロペスが脱落すると同時に、ポートが飛び出した。
ポートの勢いは圧倒的であった。おそらく、ミッチェルトン・スコットが予想していたよりもずっと。昨年のウィランガではやや力の衰えを感じてもいたリッチーだったが、今年の彼の足は、全盛期にも届かんばかりにまで復調していた。昨年のツール以来の沈黙の結果が、まさにこの瞬間に爆発したかのように。
ゆえに、ミッチェルトンは「プランB」を選択した。すなわち、サイモン・イェーツによる追撃。ロブ・パワー、ジョージ・ベネットと共に集団から抜け出したイェーツは、インピーを置いてポートに迫ろうとした。
「クライマー向け」の今大会。パラコームでの状況によってはこういったオプションがありうることは、戦前から予想されていたことだった。
ただ、インピーにとっては幸いなことに、そしてリッチーにとっては不幸なことに、この日の登りはひたすらに向かい風であった。
そして、登りならばまだしも、その頂上からフィニッシュに至るまでの緩斜面において、それは実に致命的なものとなった。
この緩斜面で、置いていかれたインピーも再びイェーツらとの合流に成功。
そして、一時は10秒以上開いていたポートとのタイム差も、5秒にまで縮めることに成功したのである。
結果的に、リッチー・ポートがこの日は優勝。
しかし、彼が手に入れることができたリードはわずか6秒のみ。
インピーとミッチェルトン・スコットは、引き続き「プランA」のまま進めることを決断した。
ただし、たとえ6秒でもポートにリードされた状態で最終日ウィランガ・ヒルに突入するわけにはいかない。
翌日からのミッチェルトン・スコットの戦略はより激しくアグレッシブになっていく。
だが、このパラコームの結果を経て、危機感を抱いたのはトレックも同じだった。
彼らもまた、チーム一丸となった戦略でもって、ミッチェルトン・スコットのプランを打ち崩しにかかることに決めた。
キーとなる人物は、世界王者、マッズ・ピーダスンである。
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トレック・セガフレードの戦略
第4ステージ ノーウッド〜マレー・ブリッジ 152.8㎞(平坦)
第4ステージは第1ステージ同様に、ピュアスプリンター向けのステージとなる。
ゆえに、フィニッシュ地点でのボーナスタイムは望めないものの、その代わりに、18.1km地点と40.3㎞地点という比較的近い位置に2つの中間スプリントポイントが用意されていたため、ミッチェルトン・スコットは一丸となって逃げを封じ込め、このボーナスタイムを奪いに行った。
結果的に、第1中間スプリントポイントは3位通過、第2中間スプリントポイントは2位通過となり、合計で3秒のボーナスタイムを獲得。
インピーたちにとって決して満足できる成果ではなかったものの、それでもポートとのタイム差は3秒にまで縮まった。
しかし、インピーが1位通過できなかったのはなぜか。
そのライバルの1人は、インピーとポイント賞ジャージで争うジャスパー・フィリプセンである。
トップスプリンターたちとも互角に立ち向かうフィリプセンのスプリントを前にしては、さすがのインピーも1位通過は諦めざるを得なかった。
しかし1つ目の中間スプリントポイントでは、フィリプセンだけでなく、世界王者のピーダスンもまた、インピーに先行してラインを通過した。
決して純粋なスプリンターではないピーダスンだが、昨年のヨークシャー世界選手権で、あの大雨の過酷な環境の中、最後の最後に力を振り絞ったスプリントでマッテオ・トレンティンを下した男である。
もちろん、ピーダスンの狙いは自身のボーナスタイムでもポイント賞でもない。エースのリッチー・ポートがスプリントを争えない代わりに、ライバルのインピーのボーナスタイムを1秒でも削り取るために、中間スプリントポイントに挑んだのである。
「秒差」を巡る争いに、トレック・セガフレードも本気で戦略的に乗り込んできた。
第5ステージ グレネルグ〜ヴィクター・ハーバー 149.1㎞(丘陵)
第5ステージの中間スプリントポイントは33.9㎞地点と56㎞地点。
決してスタートから物凄く近いというわけではないが、それでもミッチェルトン・スコットは1秒でも稼ぎ出すために、やはり逃げを絶対に許さない構えで集団をコントロールしていった。
そして、トレック・セガフレードも、マッズ・ピーダスンによる中間スプリントポイント妨害に全力を尽くした。
まずは第1中間スプリントポイント。ここではしっかりとピーダスンがインピーに先行し、そのボーナスタイムを1秒、削り取った。
しかし第2中間スプリントポイントでは、インピーがついにピーダスンもフィリプセンも下し、先頭でポイントを通過した。
これで合計5秒のボーナスタイムを獲得。
ついに総合成績においてインピーがポートを2秒、上回ることとなった。
このとき、ピーダスンは第1中間スプリントポイント通過後、すぐにインピーの背中を叩く仕草を見せた。
そして第2中間スプリントポイントでは、インピーに敵わないと知るや否や、ペースを落としたように見えた。そして、フィリプセンに2位を譲ったように。
勝負には真剣に取り組みつつ、ライバルたちへのリスペクトも忘れない、そんな、アシストとして完璧なだけでなく一人の人間としても見本にすべき姿勢がこの世界王者にはあるように思えた。
そしてそんなピーダスンは、さらにこの日、仕事を続ける。
2つの中間スプリントポイントも終わり、いよいよ逃げが生まれる瞬間。イアン・スタナードやヨセフ・チェルニーらが含まれた4名の逃げの中に、ピーダスンの姿もあった。
これもまた、「秒差」を巡る、トレック・セガフレードの戦略であった。
この第5ステージは、ヴィクター・ハーバーをフィニッシュ地点に定めている。このフィニッシュを採用した直近の2回はピュアスプリントステージであったが、その前の2016年に登場した際は、今回と同様、ゴール前数十㎞地点に2級山岳カーバーヒルが用意されていた。
決して単体で厳しい上りではないが、ここで意図的にペースを上げることによって、ピュアスプリンターたちが振い落とされる可能性は高い。実際2016年はカレブ・ユアンも脱落し、残った小集団のスプリントをサイモン・ゲランスが制したことで、彼の4度目の総合優勝への大きな一手となったフィニッシュなのだ。
当然、今回のミッチェルトン・スコットも同様の戦略を考えていたことだろう。
そうなれば、トレック・セガフレードとして考えられる1つの手段は、逃げ切りを発生させることで危険なボーナスタイムを消すことである。
もちろん、だからといって、4名の逃げで逃げ切るというのはやはり難しい。それでも、ピーダスンが逃げ集団に含まれていることで、総合リーダーを擁し本来は集団牽引の責任を持っているはずのトレック・セガフレードが、その責任を免れることが可能というのは大きい。
そして、逃げ集団の中のピーダスンも、積極的に先頭に出て牽引する姿を見せる。逃げきれなくとも、少しでも長く逃げを残すことで、集団牽引をせざるを得ないミッチェルトン・スコットのアシストたちを疲弊させることができるーーそんな狙いをもった走りを、ピーダスンは行っていたように思える。
そして、2級山岳カーバーヒルに突入。逃げ集団4名もここで吸収される。
しばらくはアスタナとモビスターも協力して集団のペースアップを図るが、やがて先頭に躍り出たルーカス・ハミルトンの牽引があまりにも強力すぎて、その他のチームは先頭から引きずり降ろされていった。
そして、集団が分裂。頂上まで残り300mを切って、先頭はわずか11名に。ジョージ・ベネットやリッチー・ポート、ディエゴ・ウリッシ、ロブ・パワーなどはいるが、いずれもアシスト不在でたった1人。ローハン・デニスは新人賞ジャージを着るパヴェル・シヴァコフやディラン・ファンバーレが傍らについているが、それ以外にアシスト含め3名体制で残っているのはミッチェルトン・スコットだけであった。
そして、カレブ・ユアンやジャスパー・フィリプセン、サム・ベネットなどのピュアスプリンターたちを含む集団は30秒遅れで山頂通過。
ミッチェルトン・スコットの戦略はうまくいったのか?
しかし、ハミルトンの牽引が強すぎてキャメロン・マイヤーまで脱落してしまったのは想定外だった。
ハミルトンとサイモンでは平坦を牽引するにはややパワー不足。
追いすがるスプリンター軍団から距離を開くべく、インピーが自ら先頭を牽引する必要があるほどに、状況はミッチェルトン・スコットに不利になりつつあった。
そして、孤独な戦いを強いられたリッチー・ポートは、ここで徹底してローテーションに加わらず、集団牽引を拒否。
それはそうである。このままピュアスプリンターたちを含まない集団のままゴールに到達すれば、インピーにボーナスタイムを渡しかねない。
この日一日中、集団牽引を引き受け続けたミッチェルトン・スコットに対し、常に戦略的に牽引を拒否し続けたトレック・セガフレード。
この構図は、このラスト20㎞の状況においても不変であった。
結果的に、後続集団はトーマス・デヘントの鬼牽きもあって残り6㎞で合流。
最後はややカオスな展開にはなったもののおおむねピュアスプリンターたちによる争いに終わり、インピーは10位で終了。
この日、最初の5秒を上回るボーナスタイムは得られずに終わった。
結局、最終日を前にして総合首位インピーとポートとのタイム差は2秒。
「ウィランガの王」ポートに対してのこのタイム差は、インピーにとってはかなり苦しい状況であることは間違いなかった。
だからこそ、最終日、彼らはかなり大胆な賭けに出た。
この「2秒」を死守するために――ミッチェルトン・スコットは、ロードレースの常識を塗り替えるようなギリギリの戦略に出た。
果たしてトレック・セガフレードは、この戦略にどう、対抗したのか。
そしてその結末は。
ミッチェルトン・スコットの最終戦略とそれが打ち砕かれた瞬間
第6ステージ マクラーレン・ヴェイル〜ウィランガ・ヒル 151.1㎞(丘陵)
毎年恒例「ウィランガ・ヒル」決戦。長らく最後から2番目のステージに用意されていたこの登りフィニッシュも、昨年からは最終日に設定され、日曜日の朝の段階でこの6日間の勝者が誰になるのか、誰にも分らない状況を迎えることとなった。
特に今年は、残り3㎞まで本当にわからないままだった。
その理由の一端を担ったのは、ツアー・ダウンアンダーでは珍しい26名もの大規模逃げ集団の形成。
そしてその中に、総合タイム差わずか58秒という、総合争いを揺るがしかねない危険な存在――ジョセフ・ロスコフ――が含まれていたことで、その混沌はいよいよ本格的なものとなった。
そもそもこの日、集団コントロールの役割はミッチェルトン・スコットが担うはずだった。彼らがこの日のスタート時点で、総合リーダーを擁するチームだったのだから。
しかし、彼らはこの日、その役割を完全に放棄した。そうして、26名もの大規模な逃げ集団を許し、彼らとのタイム差を致命的な状況になりかねないレベルにまで放置した。
その目的は、逃げ切りを生み出すことである。
前日とは正反対に、この日のフィニッシュはリッチー・ポートがボーナスタイムを獲得する最大のチャンスである。
1位フィニッシュで得られるボーナスタイムは10秒で、2位フィニッシュで得られるそれは6秒。
たとえ、最後のウィランガ・ヒルで、ポートとインピーが同タイムでゴールできたとしても、ポートが1位であればその時点で逆転総合優勝が決まってしまうのである。
逆に、1位だけでもだれか別の選手に取らせてしまい、ポートが2位、インピーが同タイムで3位につけたりすれば、そのボーナスタイムの差は2秒。
総合成績では同タイムで並び、あとは各ステージの順位合計の小さいほうが優先されるというルールのもとで――インピーが総合優勝を果たすこととなる。
よって、たとえ1人も逃げ切りは発生させてしまうほうが、ミッチェルトン・スコットには有利に働く。
この日、彼らが集団を牽引する理由は確かになかった。
一方で、ロスコフの存在はこの戦略に対する大きなリスクともなっていた。
現在山岳賞ジャージを着用し、その確定のための最初のウィランガ・ヒルを狙う30歳のアメリカ人は、インピーからわずか58秒しか総合成績では遅れておらず、ミッチェルトン・スコットが逃げ切りを許すことに全力を使いすぎてしまうと、リッチー・ポートではなくこのロスコフに総合優勝の座を奪い取られかねなかった。
だから、ゴールが近づいてくれば、さすがのミッチェルトン・スコットも前を牽かざるを得ないだろう・・・そんな楽観的な予想は、残り40㎞を切ってもなお、4分以上のタイム差が残っている現実を前にして、少しずつ不安へと変わっていった。
当然、彼らが動かなければその責任を担わざるを得ないのがトレック・セガフレードだった。ロスコフに総合リーダーを奪われるリスクはもちろん、ボーナスタイムがすべて消滅してしまうような逃げ切りを許してしまえば、最後のウィランガ・ヒルでリッチー・ポートが2秒以上インピーを突き放さなければならないという必要に迫られてしまう。
今年のリッチーはパラコームの登りを見るに調子は決して悪くなさそうだが、昨年もインピーには同タイムでゴールされている。
となれば、トレック・セガフレードとしては、何としてでもすべての逃げを吸収し、最後のウィランガ・ヒルの先頭をポートに取らせる必要があった。
そこで動いたのが世界王者マッズ・ピーダスンである。
残り40㎞でタイム差4分。これ以上、このタイム差を維持するわけにはいかないと判断したピーダスンは、自ら集団の先頭に立ってほぼ1人でこれを牽引し続けた。
すると10㎞ほど走ってタイム差は3分を切るほどにまで縮小。一度ほぼオールアウトしかけるような勢いでペースを落とし落ちていくが、その後再び集団のペースが緩んだのを確認すると、再度集団の先頭に復帰。
再び不死鳥のようにして集団牽引を始めたのである。
ほかにもAG2Rの選手たちやチームメートのクーン・デコルトなども協力するも、ほとんどの時間をこのピーダスンが延々と牽き続けた。
今大会誰よりもエースを守り続けた最強のアシストが世界王者だったというわけだ。
だが、それでもやはり限界はある。
1周目のウィランガを越え、1度は1分半近くにまで迫ったタイム差も、残り15㎞に至って再び2分半にまで開いていた。
その後の5㎞も、常にこのタイム差は減ることなく推移。
残り10㎞で2分半。いくら最後にウィランガ・ヒルがあるとはいえ、このタイム差は逃げをすべて飲み込むところか、ジョセフ・ロスコフの58秒すら削り取れるか微妙な状況になりつつあった。
本当にミッチェルトン・スコットはそれでいいのか?
慎重すぎた彼らの戦略は、裏目に出てしまったのか?
だが、残り10㎞を切って、いよいよ彼らは動き出す。
ミッチェルトン・スコットの最強TTスペシャリストたちである。
1人目は、ルーク・ダーブリッジ。この1月の頭に、世界王者ローハン・デニスを打ち破り、昨年に続く国内TT王者の座を手に入れたオーストラリア最強TTスペシャリスト。
2人目は、2017年にニュージーランド国内TT王者に輝いている逃げスペシャリスト、ジャック・バウアー。
そして3人目は、オセアニア大陸TT王者の経験もある男マイケル・ヘップバーン。
この3名のTTスペシャリストたちによって集団は縦に長く引き伸ばされ、恐ろしい勢いでペースアップが図られていく。
残り8㎞からの4㎞で、逃げとのタイム差は一気に1分半にまで縮まる。
そして残り3㎞のウィランガ・ヒル突入の瞬間に、そのタイム差は1分に。
ジョセフ・ロスコフの総合逆転優勝の夢は、一瞬にして粉々に砕け散った。
かくして、ミッチェルトン・スコットの戦略は見事に嵌った。
「ロスコフの総合逆転優勝は許さず、かつ逃げを捕まえ切らないことによって、リッチー・ポートがボーナスタイムだけで総合優勝の座を手に入れるという事態を回避する」という実に難易度の高いミッションを、3名の「平坦王」は見事にやり遂げたのである。
チームもまた、彼ら3人の実力を信頼していたからこそ、このギリギリの戦略を最後までやり遂げることができたのであろう。
今大会におけるミッチェルトン・スコットのチームワークは、まぎれもなく今大会最強クラスであった。
しかし、突出した才能はときに、見事に積み重ねられた戦略の束をものの見事に打ち崩してしまうことがある。
リッチー・ポートという男の底力は、まさにその類のものであった。
残り1.5㎞。
リッチーたちと先頭の逃げ集団とのタイム差はまだ30秒開いていた。
そして、ケニー・エリッソンドのいつものチェーンを暴れ回らせるかのような激しいリードアウトが終わると、メイン集団の先頭はリッチー・ポートとアントワン・トールク、サイモン・イェーツ、そしてディラン・ファンバーレの4名だけとなっていた。
次の瞬間、リッチーが動き出す。
例年彼がそのすべてのライバルたちを蹴散らすことになる「残り1.2㎞」で、 彼の「止まらないダンシング」が始まった。
たまらず突き放されていくライバルたち。唯一残ったのはミッチェルトン・スコットの「プランB」サイモン・イェーツだけ。
しかし彼も、過去のローハン・デニス、セルヒオ・エナオ、エステバン・チャベス、そしてダリル・インピーと同様に、やがて残り1㎞のラインを越えた瞬間に突き放されていく。
そうして残り700m。
残り10㎞の時点では、いや残り4㎞の時点でさえ、「絶対に追いつかない」と思われていた先頭の逃げ集団をいとも簡単に飲み込んでしまったリッチー・ポート。
ウィランガの王はやはり健在。総合優勝を確実なものとしただけでなく、不可能と思われていた7度目のウィランガ制覇を「確実」と皆に思わせる走りを披露してみせた。
この瞬間、「リッチー・ポートに1位通過させない」ためにミッチェルトン・スコットがこの日積み上げてきた戦略のすべてが打ち砕かれた。
リッチー・ポートという男の残り1.5㎞からのアタック1つによって。
だが一方で、ポートもまた、一瞬にして「確実」と思わせることに成功した7連覇への道を、さらにまた塗り替えられてしまうような存在に出くわしてしまう。
最後まで逃げ続けていたマイケル・ストーラーは、追いつき、追い抜いていったリッチー・ポートの背中になんとか飛び乗った。
このままあと600m、追いつき続ければ、勝利のチャンスは巡ってくる――そんな思いは、残り500mでなおも腰を下ろすことのないリッチーの勢いの前に、もろくも崩れ去った。
だが、そのまま崩れ落ちるストーラーの背中から飛び出して、開いたギャップを一気に埋める形で残り400mでリッチーに追いついてきたのが、今年27歳のネオプロ、マシュー・ホームス。
元マディソン・ジェネシスで昨年の東京オリンピックテストイベントで4位だったまだ「無名」のクライマーが、リッチーの背中に食らいついたまま「残り300m」に突入した。
ここまで来たら、もはや勝負は登坂力ではない。
ほぼ平坦に近いラスト300mでは、先行するリッチーの背後で少しでも足を休めることのできたホームスが圧倒的に有利な状況となってしまった。
ホームスもこの日150㎞の逃げに乗り続けていた点で決して足はフレッシュではなかったはずだが、それは残り1.2㎞からダンシングを続けてきたリッチーも同じことだった。
勝負は決した。
ウィランガの王は7年目にして敗北を喫する。
それでも彼は、ついに2度目の総合優勝を成し遂げた。
2位ディエゴ・ウリッシとのタイム差は25秒。
3年前と同様に、パラコームの登りを含んだ彼の得意なコース設定の年。
にもかかわらず、今回の勝利は、彼にとって決して楽な勝利ではなかった。
この勝利は、完璧なまでに組み立てられたミッチェルトン・スコットの戦略に対し、パラコームで牽いたファンペドロ・ロペス、最終日に平坦牽引の重要な役目を担ったクーン・デコルトやミヒェル・リース、最後のウィランガ・ヒルでの発射台となったケニー・エリッソンド、そしてインピーと互角のスプリントや長距離に渡る先頭牽引に逃げとまさに八面六臂の活躍を見せた世界王者マッズ・ペダースンなど――チームメートのすべての力を結集して挑んだトレック・セガフレードのチーム戦略によって成し遂げられた勝利であった。
だからこそその固く握られた右腕には、勝利への喜びと共に、チームメートたちへの誇りが強く込められていたに違いない。
おめでとうリッチー。そしてトレック・セガフレード。
勝ったのはリッチー・ポートだった。
それはおそらく、戦前数多くの人が予想していた結末だったように思える。
だが、そのリザルトからだけでは決して見えてこないいくつものギリギリの戦いがこの6日間には込められていた。
そしてその中には、簡単なレースレポートだけではなかなか名前が出ることのないような数多くのアシストたちの努力が刻み込まれていた。
そのすべてを、この記事で書ききれたとは思えない。ここでは書ききれないような数多くの選手たちのドラマが、たしかにこの6日間の中にはもっともっといっぱいあった。
それでも、そのうちの少しだけでも、この文章の中で表現できていれば幸い。
そしてそれは、決して、この6日間だけのものではないだろう。
今年もいよいよサイクルロードレースシーズンが始まる。
今年もきっと、数多くの伝説が生まれ、新たなヒーローが誕生していくことになるだろう。
その中でまた、奇跡のような瞬間と、「勝者でなき強者たち」の輝きを、楽しみにしていきたい。
まずはリッチー、おめでとう。
今年こそあなたがツール・ド・フランスで輝ける瞬間を楽しみに待っている。
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