りんぐすらいど

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UCIロード世界選手権2019男子エリートロードレース――「生き残り」続けた男が栄冠を手にした瞬間

残り200mで、優勝候補マッテオ・トレンティンが飛び出したとき、23歳のデンマーク人は、しっかりとこれに食らいついていった。

残り100m。トレンティンが思うように力を出し切れずにいるその背後から、腰を浮かせ、両足を乗せたペダルを交互に踏みしめながら、赤と白のジャージーを身に着けた男は着実にトレンティンとのギャップを開いていった。

残り25m。彼は振り返った。勝利を確信し、両腕を広げた。

最後は力強く右腕を突き上げて、史上初となるデンマーク人世界王者が誕生した。

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フィニッシュラインが見えたとき、身体中の痛みはすべて何処かに行ってしまった。そして僕は完璧なスプリントをすることができた。それは6時間半に及ぶ戦いで、誰もが限界に達していた。だから最後のスプリントで何が起こるかなんて、誰も予想できなかった

 

 

まさに奇跡のような勝利――だが、世界最強の座を決めるこの世界選手権の舞台において、奇跡が許容される余地などない。 

最強の男が必ずしも勝利するわけではないとしても、最後の瞬間に勝利を手に入れられるのは本当に強い者たちだけ。 

今回は、いかにして彼がこの日「最強」になったのか。そして、「最強」だと思われていた男たちがいかにして崩れ落ちていったのかを、詳細に振り返っていきたい。

 

 

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オランダの完璧なるレース戦略

この日、最も強い選手たちを揃えてきていたのはベルギーチームであった。

アルカンシェルと4つのモニュメント、そしてアルデンヌ・クラシックの制覇者であるフィリップ・ジルベールや、パリ〜ルーベとリオ・オリンピックの覇者グレッグ・ファンアーフェルマート。そしてわずか19歳にしてクラシカ・サンセバスティアンを制した鬼才レムコ・エヴェネプール。

その他にも強力なライダーたちを揃え、誰が勝ってもおかしくない布陣で彼らは乗り込んできていた。

しかし、今年の世界選手権の地ヨークシャーは、この地域特有の激しい悪天候でもって、彼らを絶望の淵へと叩き落とした。

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一日中降り注いだ冷たい雨は、コース短縮に加えて一時的な中継途絶、そして数多くの有力選手たちのリタイアを生み出した。

その中には昨年の覇者アレハンドロ・バルベルデの姿もあったり、直前のGPシクリスト・ド・モンレアル3位と好調だったイバン・ガルシアの姿もあったり。

そして、残り125km地点で発生した落車に巻き込まれ、最大の優勝候補の1人であったフィリップ・ジルベールが遅れを喫することとなる。さらにこれを助けるために下がったレムコ・エヴェネプールもまた、そのまま遅れを取り戻すことができず、最終的にはバイクを降りることとなった。

過酷なコンディションの中、最強チームベルギーはあっという間に勝利のための駒を2つ失ったのである。

 

 

一方で、完璧に近いレース運びをしてみせたのが、ベルギーに次ぐ有力国オランダ。

このチームには、今大会最有力候補のマチュー・ファンデルポールがいる。そしてチーム全体が、このファンデルポールを支えることを意図した構成となっていた。

 

その意図は彼らのレース中の走りにも如実に表れていた。 

まずは、レース中盤で黙々と先頭を牽き続ける世界トップクラスのルーラー、ヨス・ファンエムデン。

そしてレースが残り80㎞を切ったあたりからは、プロ16年目の大ベテラン、ピーター・ウェーニングの牽引が始まる。

残り67㎞でシュテファン・キュングとローソン・クラドックという2人の強力なTTスペシャリストたちが逃げに乗るも、これをウェーニングはひたすら集団先頭で追い続けた。

そして残り60㎞で脱落したウェーニングの後を継いだのが、今年急成長を遂げた機関車ディラン・ファンバーレ。

それでもなお逃げ続ける先頭集団に対し、オランダチームはもう1人の優勝候補マイク・テウニッセンを送り出した。

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今年、ディラン・フルーネウェーヘンの発射台として活躍しつつ、パリ〜ルーベ7位やダンケルク4日間&ZLMツアー総合優勝、さらにはツール・ド・フランス開幕ステージ優勝&マイヨ・ジョーヌという成績を次々と叩き出していった27歳のクラシカルスプリンター。

ピュアスプリンター向けではない今大会にはフルーネウェーヘンに代わってメンバーとして選ばれ、ファンデルポールに並ぶチームの優勝候補として期待された。

本来であれば彼の役割は、エースのファンデルポールが得意の終盤抜け出しを図ったあと、集団の中に残り万が一のスプリント決戦に備える、といったものであっただろう。

しかし今回のレースに関しては、ファンデルポールが最も得意とする残り距離に達するよりも前に、レースが大きく動き始めていた。

残り67㎞で抜け出したシュテファン・キュング。本来であれば早すぎる抜け出しであったが、この悪天候の中では、この攻撃が致命的なものになりかねない。

実際、今年のキュングはこの悪天候の抜け出しで、すでに勝利を飾っている

 

さらに、残り45㎞でアタックし、先頭に追いついたジャンニ・モスコン。今回のヨークシャーのような地形を得意とする彼の先頭合流は、彼自身の勝利だけでなく、集団内に元欧州王者マッテオ・トレンティンを抱えるイタリアチームを一気に有利にするものであった。

 

そこで、オランダチームは攻勢に出る。

テウニッセンによる、早めのブリッジ。

スプリント力の高い彼を先頭に置くことで万が一の逃げ切りにも勝ちの目を残し、かつ集団内にいるエースに有利な展開を作る。

事実、これまで集団を牽引していたオランダチームはこの辺りで鳴りを潜め、その責任を担うこととなったのはフランスとベルギーであった。

イヴ・ランパールトやオリバー・ナーセンといった、ベルギーチームの残り数少ないエース級の選手たちが、ここでアシストとしての動きに回らざるを得なかったことは、彼らの選択肢をより狭める形となった。

 

ただし、テウニッセンもこの日、過酷なコンディションの中で、最後まで走りきるほどの体力を残してはいなかった。残り33㎞で、彼は力尽きる。

だが、この瞬間、エースが動く。それはまるで、グランツールの山岳ステージで、全力を出し尽くした最後のアシストが力尽きたと同時にアタックするエースクライマーのような動きであった。

だが、残り33㎞。

いや、この距離は、マチュー・ファンデルポールにとって、最も得意とする距離であった。

ファンエムデンが、ウェーニングが、ファンバーレが、そしてテウニッセンが集団と逃げをコントロールし続け、ついにたどり着いた必勝のタイミング。

ファンデルポールは期待通りの鋭さでアタックを繰り出し、サガン、アラフィリップ、マシューズといった優勝候補たちは手も足も出なかった。

最強チーム・ベルギーのエース、ファンアーフェルマートも動けずにいた。こんなときに、ジルベールがいれば、また違ったであろう。こういった事態のために、彼やエヴェネプールの存在は期待されていた。

しかし彼らはすでにいない。ランパールトやナーセンも直前の牽引で足を使っていた。

オランダチームは見事なレース戦略でもって、最強チームを完全に封じ込め、そして必勝の一撃を放ったのである。

 

ただし1人だけ、この動きに反応できた男がいた。

その男の名は、マッテオ・トレンティン。

直前のツアー・オブ・ブリテンで、唯一マチュー・ファンデルポールの快進撃に喰らいつき続けた男でもあった。

 

 

イタリアが組み立てた必勝態勢

イタリアは今大会の優勝候補国の1つであった。

直前のカナダ2連戦で4位・2位さらには6月以降の各レースで常に好成績を叩き出し続けていたディエゴ・ウリッシを筆頭に、昨年のヨーロッパ王者でツアー・オブ・ブリテン総合2位のマッテオ・トレンティン。

今年のロンド・ファン・フラーンデレン覇者のアルベルト・ベッティオルに、集団スプリントになれば雨に強いソンニ・コルブレッリなど、様々なパターンでの勝利を狙えるエース軍団であった。

ウリッシこそ悪天候の餌食にはなったものの、前述の通り、終盤のキュングの抜け出しにモスコンを追い付かせ、集団内にはトレンティン、ベッティオル、コルブレッリらを控えさせていたイタリアは、レース前半からアシストたちを総動員してレースコントロールを行っていたオランダや、終盤の動きに反応できず追走にアシストの足を使わざるを得なかったフランスやベルギーと違い、ある程度駒を温存した状態で最終盤を迎えることができていた。

 

そして、残り33kmのマチュー・ファンデルポールのアタックに、ウリッシと並ぶ優勝候補トレンティンの追随。

先頭集団にはすでにモスコンがおり、残された集団においても、ベッティオルが先頭付近に陣取りローテーション妨害。そのうえでコルブレッリは来るべきスプリントに向けて足を蓄積中。

オランダの動きを利用しつつ、イタリアチームは着々と必勝態勢を組み立てつつあった。

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唯一にして最大の問題点は、マチュー・ファンデルポールの存在。

昨年のヨーロッパ選手権では彼を下しているトレンティンではあるものの、直前のツアー・オブ・ブリテンでは彼に対して1勝3敗。総合2位と十分に素晴らしい成績を残し絶好調間違いなしのトレンティンではあったが、ファンデルポールの存在はこの絶対的優位をいとも簡単にひっくり返しかねないものがあった。

 

だが、残り13km。

状況はまさかの展開を迎える。

それまで、逃げ集団を積極的に牽引し、わずか数十秒の差でしかなかった追走集団と逃げ集団とのタイム差を1分半以上に開き相変わらずの強さを見せつけていたファンデルポールが、唐突にその力を失ったのである。

 

要因は様々なものが考えられる。他の優勝候補たちを苦しめたのと同じ、冷たい雨風の影響。

8月のアークティックレース・オブ・ノルウェーでも彼は風邪を引いていた。もしかしたら彼は寒さには弱いのかもしれない? シクロクロスでは冬のベルギーの雨や雪にすら襲われることもあるが、1時間をほぼ全開で走るシクロクロスと、6時間半の大半をプロトンの中で「温存」しなければならないロードレースとでは、意外と雨風によるダメージの度合いは違っていたのかもしれない。

また、急激なペースダウンはいわゆるハンガーノックに近いものを感じさせる。

初のロードレース世界選手権。ロンド・ファン・フラーンデレンなども長距離レースではあったものの、それに匹敵する長距離と長時間に上記の雨風の影響が加わって、本来あるべき集中力や冷静さを欠いていたのかもしれない。

もちろん、残り33kmでアタックをして先頭集団に追い付いたあと、その先頭をかなりの長時間自ら牽き続けていたことも要因の1つとして考えられるが、本来の調子のファンデルポールであればあの牽引でこんなにも力を失うとは考えづらい。アタックしたタイミングも、他の選手であればいざ知らず、彼であれば決して早すぎることはないように思える。

 

やはり、調子を崩したと見るのが正確だろう。アタックの直前までは、彼自身は自らを調子良いと感じていたはずだ。しかし初の大舞台と悪コンディションに、さしもの彼も飲み込まれることとなった。

それでも彼は、10分以上遅れながらも完走を果たした。しっかりと自らの足で苦しみに満ちた残り13kmを走りぬけた。

この経験は彼にとって大きな財産となることは間違いない。そしてそう遠くない将来、彼は必ず、ロードのアルカンシェルをその身に纏うことになるだろう。

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そして、このアクシデントによって大きく勝利のチャンスをその手に手繰り寄せたのがイタリアだった。

先頭集団に残る選手はモスコン、トレンティン、キュング、ペデルセン。モスコンがやや足がなくなりかけていることを差し引いても、スプリント力においても大舞台での経験においてもトレンティンが頭一つ抜け出ていた。

 

誰もが、トレンティンの勝利を信じて疑わなかったであろう。

ただ、絶対的な優位というのは、ときに大きな劣位を形成することとなる。

とくにロードレースというのはそういう展開を生み出すことの多い競技である。

 

事実、最後に勝利を掴んだのはイタリア人ではなかった。

では、なぜ運命はそのように転んだのか?

 

 

ペデルセンが勝利を掴み取れた理由

デンマークチームもまた、強力な選手たちを揃えていた。

今年、リエージュ~バストーニュ~リエージュ勝利を始めアルデンヌ・クラシックで好成績を残し続けたヤコブ・フルサング。昨年オンループ・ヘットニュースブラッドとアムステルゴールドレースで優勝し、世界選手権でも上位に食い込んでいたミケル・ヴァルグレン。さらには今年ロンド・ファン・フラーンデレン2位やツアー・オブ・カリフォルニア総合3位など急成長を遂げているカスパー・アスグリーンなど、今回のヨークシャーとも相性の良い脚質をもつ強力なライダーたちが揃っていた。

 

しかしそのアスグリーンは残り64km地点でリタイア。

残り47kmでローソン・クラドックと入れ替わるようにしてマッズ・ペデルセンを先頭に送り込むことはできたものの、まだ23歳でワールドツアー勝利経験のない男。

優勝候補と言える存在ではなく、イタリアやオランダに比べると、デンマークは決して良い状態ではなかった。

 

しかし、このペデルセンという男は、かなり良い状態でこの世界選手権に挑むことができていた。

元々はデンマークやドイツのプロコンチネンタルチームを経験し2017年から現チームで走る。地元デンマーク最大のステージレース「デンマークルント」で同年に総合優勝を果たし、昨年のロンド・ファン・フラーンデレンでは、残り100km地点のカペルミュールで逃げ集団に乗り込んだあと、残り17kmの「3回目オウデクワレモント」でニキ・テルプストラにパスされたものの、逃げ集団の中から唯一、彼に最後まで10秒程度のタイム差をキープしながら喰らいつき続けた。

結局はテルプストラにおいつくことのできなかった彼だが、この日、彼はまぐれではない強さを見せつけていた。

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強力なTTスペシャリスト、あるいはルーラーとしての才能を見せつけていた彼が、また別の実力を垣間見せたのが今年のビンクバンクツアーであった。

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ここで彼は、チームのエーススプリンター、エドワード・トゥーンスの発射台役として活躍した。

第1ステージでは残り300mから100mまで、トゥーンスを引き連れて集団先頭を誰にも譲らない強力なリードアウトを見せていた。このときは明らかにトゥーンス以上の強さを彼は発揮していた。

その功績を認められたのか、続く第2ステージでは彼がエースの立場に。前日とは逆にトゥーンスが強力にリードアウトして良いポジションまでペデルセンを連れていくが、残念ながらこの日のペデルセンは振るわなかった。

第3ステージでは再びペデルセンがリードアウトの役割を担い、トゥーンスを強力にサポート。いずれも勝利には繋がらなかったものの、勝利に値する走りを連日見せていた。

 

そして世界選手権男子エリートロードレースのちょうど1週間前の日曜日、フランスで開催された1クラスのワンデーレース「グランプリ・ディスベルク」にて、ペデルセンは圧巻の独走勝利を成し遂げる。

昨年も同時期のユーロメトロポールにて優勝しているペデルセン。

決して悪くないコンディションでこのヨークシャーに乗り込むことができていたようだ。

 

 

とはいえ、自身も「今朝スタートしたときに自分が優勝するなんて夢にも思っていなかった」と語っているペデルセン。

実際、残り47kmで先頭集団に乗り込んだときも、あくまでも「後続のヴァルグレンとフルサングが後から追いついてくること」を戦略に組み込んでいた。

それがゆえに、そこにファンデルポール、そしてトレンティンが追い付いてきたとき、先頭牽引を彼ら2人に任せ、自らは前を牽かずに足を貯め続けることができていた。

いよいよチームメートたちが後ろから追い付いてくることはないだろうと理解したのちは、ただひたすら "survive" することだけを考えたという。

 

ただ生き残り、生き残り、生き残り、そして最後のスプリントに全力を尽くすことだけを考えた

 

 

そして最後の500mを迎える。

 

 

 

ラスト500m。右カーブを曲がり、最後の直線に入ってくる。

この時点で、先頭にいた3名はペデルセンを先頭にその後ろにトレンティン、そしてキュングという順で並んでいた。

しばらくは、先頭をゆったりとしたペースで流すペデルセン。何度も後ろを振り返り、最大のライバルトレンティンの動き出しを警戒していた。

 

ことここに至って、状況はなおもトレンティンが有利であった。

それは彼が最もスプリント力があるというだけでなく、後続からは、遅れながらもモスコンが近づきつつあった。

「待つ」ことで有利になるのはトレンティンであり、それがゆえにこの3名の先頭を牽かざるをえなかったのはペデルセン。慌てなくてはならないのはペデルセンとキュングであり、トレンティンは自らが最も得意とする距離からのスプリントを行える状態にあったのだ。

 

しかし、トレンティンはこのとき、ペデルセン以上に、自分の背後にいるキュングを警戒していたようだ。

そして、残り200mで、キュングが腰を上げた瞬間に、トレンティンはスプリントを開始した。

今の足の状況から言えばその距離からのスプリントが万全でないことは、トレンティン自身も理解していたであろう。

しかし彼は、過去の実績から、ペデルセン以上に警戒すべき相手がキュングであると判断し、彼のロングスプリントを完全に封じ込めるために、彼の動きに合わせて少し早すぎるスプリントを開始してしまった。

 

たしかにキュングは、そのままトレンティンの背後で沈むこととなってしまった。

もしもこれが一騎打ちであったならば、トレンティンの圧勝で終わっていたことだろう。

 

しかし、本当に警戒すべき相手は、その隣にいた。

トレンティンのスプリントにきっちりと喰らいつき、そして残り100mになってもなおそのパワーを衰えさせることなく、自らの右隣からさらなる加速を見せ始めた赤と白のジャージーの男。

「もしも」トレンティンが、キュングの加速にすぐさま反応せず、残り100mまで待つことを選んでいたら(あるいはそうなればペデルセンもキュングを追うこと優先していたかもしれないから)、トレンティンは今頃栄光のアルカンシェルをその身に纏っていたかもしれない。

 

だが、運命はいずれにせよ、この結末のみを選んでいたことだろう。

ペデルセンはまだ23歳。ロンド・ファン・フラーンデレン2位という実績は持ちながらも、ワールドツアーの勝利はまだない男。それでいてロンドの鮮烈なる走りからそのタフネスさは保証されており、そして後続にヴァルグレンとフルサングという優勝候補が残っている中で、十分に足を貯めることができていた。

一方のトレンティンは、後続にベッティオル、コルブレッリらが控えている状況ながらも、ファンデルポールすら脱落し「圧倒的優位」と感じられる現状を手放すことを恐れ、前を牽き続けた。

 

運命はすでに、残り500mに至るよりも前に決定付けられていた。

最後は、「生き残り」続けた男ペデルセンが、その実力でもって勝利を掴み取ったのである。

 

ヨークシャーの女神は、この日最強の座につくべき男として彼を選んだのだ。

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マッズ・ペデルセン。

デンマークの誇る屈強なるクラシカルスプリンター。

だが彼はまだ23歳。ワールドツアーでの勝利はなし。

彼の物語は、まだ始まったばかりなのだ。

 

2020年代のクラシックの舞台で輝くのはワウト・ファンアールト、マチュー・ファンデルポール、レムコ・エヴェネプールたちだけでない。

この男もまた、アルカンシェルを身に纏い、その強さを見せ続けていくに違いないだろう。

 

おめでとうマッズ。

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