りんぐすらいど

サイクルロードレース情報発信・コラム・戦術分析のブログ

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強風吹き荒れるパリ〜ニース2020第2ステージで展開した「ボーラ劇場」と、最後に勝った男とは

 

「太陽へと向かうレース」が意味するところは、太陽とは真逆の過酷な環境からスタートするということ。

昨年もプロトンを大混乱に陥れた強風が、今年も数多くの総合勢に致命的な打撃を与えると共に、この日の優勝候補と思われていたトップスプリンターたちを絶望に叩き落とした。

 

荒れに荒れた今年のパリ〜ニース第2ステージを振り返りつつ、その中で強さを見せた「黒い軍団」の走りと、これを出し抜いて勝利した男のその「秘訣」を探っていきたい。

 

 

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脱落する総合勢たち

 

昨年もこのパリ〜ニースは序盤から阿鼻叫喚であった。

第1ステージからミゲルアンヘル・ロペスやマルク・ソレルなどが総合タイムを失い、第2ステージでは落車によってリゴベルト・ウランやワレン・バルギルが即時リタイアとなる。

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今年も第1ステージですでにバルギルが落車。その後の集団復帰の際にドラフティングを利用したということで失格になっているが、この第2ステージではさらにエースのナイロ・キンタナが落車してタイムを失った。

それは残り25㎞地点を超えたところであった。同じ頃、メカトラによって後退していたジュリアン・アラフィリップもキンタナに合流。ドゥクーニンク・クイックステップは総出でこのエースを引き上げるべく努力するが、田園地帯に吹き荒れる横風は、彼らを1分30秒前方に位置する先頭集団に引き戻させることを不可能にした。

リッチー・ポートやロマン・バルデはすでに第1ステージでタイムを失っており、ティシュ・ベノートも第2集団に。先頭に残ることのできていたティボー・ピノも終盤のサガンのペースアップのタイミングで振るい落とされており、最終的に先頭集団に残ることのできた総合勢は、ヴィンツェンツォ・ニバリにセルジオ・イギータ、そしてマクシミリアン・シャフマンくらいであった。

 

そう、シャフマンはこの日もしっかりと総合タイムを守り切った。

前日の第1ステージ、抜け出したジュリアン・アラフィリップとティシュ・ベノートを追って、パトリック・コンラッドとフェリックス・グロスチャートナーが集団を猛牽引。そして飛び出したグロスチャートナーのリードアウトを受けて、シャフマンはしっかりと先頭2名にブリッジした。

最後はディラン・トゥーンスとの一騎打ち。ここを持ち前のパワーで押さえ込んだシャフマンが、初出場のパリ〜ニースで早速のマイヨ・ジョーヌ着用を果たしたのである。

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昨年のイツリア・バスクカントリーでも、タイムトライアルを含むステージ3勝を成し遂げたドイツの新鋭マクシミリアン・シャフマン。

このイツリア・バスクカントリーでは、クイーンステージとなった第5ステージでも、アスタナがペースを上げる1級山岳で、遅れては復帰してを繰り返す執念深い走りを見せていた。

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この登坂力とTT能力の高さを思えば、今回のパリ〜ニースで彼が総合優勝・・・というのも難しい話ではなさそうだ。それくらい、ライバルたちも苦しい状況に置かれているのだから。

 

では、そんなシャフマンがいかにしてこれだけ有利な状況を得ることができたのかというと、それはボーラ・ハンスグローエというチーム全体がうまく機能したからだと言える。

果たして、どんな走りを見せていたのか。

 

 

ボーラ劇場

 

ボーラ・ハンスグローエは残り30㎞からの大混乱より前の段階からすでに、チームとしての巧みな動きを見せていた。

それは残り50㎞地点の中間スプリントポイント。ボーナスタイム3秒を獲得すべく、3度の世界王者経験者ペテル・サガンがシャフマンをリードアウトしながらその3秒を奪わせた。

 

そして残り30㎞からの破局。テルプストラが、ランパールトが、サム・ベネットが、カレブ・ユアンが、リッチー・ポートが脱落し、キンタナとアラフィリップも悲劇に見舞われた。

そうして30名程度に絞り込まれた先頭集団で、さらにボーラ・ハンスグローエは強力な牽引を見せた。前を牽くのはやはり元世界王者のサガン。そして、現世界王者のマッズ・ピーダスンもまた、ツアー・ダウンアンダーに続き、彼のチームのエースのための献身的な牽引を見せていた。

今日は荒れた展開のスプリント。彼自身も十分に勝利を狙えるシチュエーションでありながら、ヴィンツェンツォ・ニバリのために、残り3㎞で力尽きるまで懸命に牽き続けた。

 

さらに残り10㎞を前にしてサガンが再びシャフマンを引き連れてペースアップ。

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この抜け出しはピーダスンが張り付くなどして押さえ込まれるが、このハイペースの中、ティボー・ピノも引き千切られた。

そして、わずか10数名の先頭集団が形成されるが、その中にボーラの選手が何と4名。シャフマンとサガンと前日も最後にシャフマンを発射したグロスチャートナーに、パスカル・アッカーマン。

そして残り3㎞を切ってピーダスンが脱落すると、今度は何とマイヨ・ジョーヌを着るシャフマンが自ら先頭を牽いてさらにペースを上げていった。

 

ボーラはこの日、圧倒的なチーム力でもって常に先頭集団を支配し、コントロールし続けた。

その結果、彼らはこの最終局面で「二兎」を追っていったのだ。

 

1つは、シャフマンの総合成績。ここまでの集団コントロールによって、その目的はほとんど果たされていた。最後にひと押し、ヴィンツェンツォ・ニバリからタイムを奪うべく、ラスト1.2㎞でニバリを背後に置いていたサガンがわざとペースを落としたり、彼が自らギャップを埋めて追いついてきたタイミングでシャフマンにアタックさせたりと揺さぶりをかけるが、これはニバリが体力を十分に残していたことで失敗に終わる。

それは、先ほどのピーダスンや、同じく集団の先頭に残って牽引を引き受けていたアレックス・キルシュなどのトレック・セガフレードの精鋭たちの成果であった。

 

それでも、ニバリとイギータ以外のライバルたちに対してはしっかりとタイム差をつけることができ、1つ目の目的はほぼほぼ達成することのできたボーラ・ハンスグローエ。

もう1つの目的はもちろん、パスカル・アッカーマンによるステージ優勝だった。

 

最終局面の残り3㎞においては、サガンだけでなくグロスチャートナーも、シャフマンも、積極的に前を牽いてローテーションを回していた。

一方で、集団の後方にいたアッカーマンはほとんど足を使わずに控えていた。そんな彼が、最後にペテル・サガンによって引き上げられながら、ラスト200mで最高のポジションを手に入れる。

そうして、いよいよ勝負所でスプリントを開始。

昨年のジロ・デ・イタリア2勝・ポイント賞の男のスプリントは、この最後の11名の中では最強であることは間違いなかった。

 

しかし、あまりにも過酷なこの日のレースは、決してクラシカルなライダーではないアッカーマンにとっては、あまりにも厳しいものであったようだ。

残り150mほどからスプリントを開始したアッカーマンの足は、残り100mを切ったところであまりにも早すぎる失速を迎える。

一方、残り3㎞からそのアッカーマンの後輪を捉え続けていた「伏兵」が、その背後から抜け出して残り80mで一気にまくり上げた。

そうして、最後の11名の中で孤独な走りを続けていた男が、最後の勝者となった。

ジャコモ・ニッツォーロ。「勝てない男」の代名詞が、今年2つ目のワールドツアー勝利を手に入れた。

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ジャコモ・ニッツォーロという男、その勝利の秘訣

 

ジャコモ・ニッツォーロは1989年1月、イタリアのミラノで生まれる。

2011年にレオパード・トレック(現トレック・セガフレード)でプロデビュー。翌2012年のエネコ・ツアー(現ビンクバンク・ツアー)の第5ステージで、人生初のワールドツアー勝利を果たす。

ゴール前残り300mからロングスプリントを開始したニッツォーロ。それを追いかけるユルゲン・ルーランツ(現モビスター・チーム)。

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手を上げたのはルーランツだった。

ニッツォーロ自身も負けたと思っており、「不愉快な気分でバスに向かっているとき」、実は写真判定で彼が勝っていたことを告げられる。

 

 「もちろん嬉しかったし、報われた気分になった」

 

23歳の若きイタリア人は、大舞台での勝利の味を思い知る。

その後彼は何度となくその甘美な味わいを経験することになるだろう。そう、彼自身も周りのファンも考えていたに違いない。

 

 

しかし、彼はその後、なかなかワールドツアーでの勝利を手に入れられないままに、時を過ごしていく。

大舞台での栄光は何度か掴み取っている。2015年と2016年のジロ・デ・イタリアにおけるポイント賞獲得はその代表である。

しかし2016年最終日スプリントステージ。先頭でゴールラインを突き抜けたのは彼だったが、その後、彼のゴール前の動きを斜行とみなされて降格処分を受けることとなった。

「今日最速だったのは僕だ」。言葉少なに語った彼は、その日のポイント賞授賞式のポディウムで、納得のいってなさそうな無表情で祝福を受けることとなった。

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このときの表情が実に印象的だった。

確かに強い男。しかし・・・勝てない男。

やがてデビュー以来8年間を過ごしたトレック・チームを去り、新たに南アフリカのチームと契約を結んだ彼は、そのまま30代に入り、目立たなくなっていくのだろうか・・・そんな風に思っていた。

 

しかし、ディメンションデータに入ってからの彼は、少しずつ「進化」しつつあった。

それまでは今は珍しくなりつつある「ピュア」スプリンターの印象が強かったニッツォーロ。

だが、2019年のブエルタ・ア・ブルゴス第1ステージ。2位にアレックス・アランブルが入ってくるようなスペインらしい登りスプリントステージ。

ここで、彼は見事な勝利を収めるのである。

さらに翌日も、ジョン・アベラストゥリが優勝し3位にジョナタン・ナルバエスが入るような登りスプリントであったにも関わらず、終盤の激坂で突如として追走集団の先頭に躍り出てきてそのまま2位に食い込んだのがニッツォーロであった。

その年はツアー・オブ・オマーンやツアー・オブ・スロベニアで優勝し、ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスでも何度か上位に食い込んでいた彼だったが、それ以上に印象的だったのがこのブルゴスでの優勝と2位であった。

 

彼は変わりつつある。

その思いが確信へと変わったのが、今年のツアー・ダウンアンダー第5ステージであった。

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ゴール前20㎞地点の2級山岳「カービーヒル」において、フィニッシュ地点のボーナスタイム欲しさにピュアスプリンターたちを振り払おうとしたミッチェルトン・スコットのペースアップによって、集団はかなり混沌とした状態に陥っていた。

最終的にはある程度大きくなった集団でカレブ・ユアンやサム・ベネットもスプリントに加わるが、すでにそこまでの展開で疲弊していた彼らは思ったよりも伸びず、むしろカービーヒルで明らかに遅れていたはずのジャコモ・ニッツォーロがするすると前に抜け出てきてそのまま圧倒的な強さでフィニッシュラインを先頭通過したのである。

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2012年の最初で最後だったワールドツアー勝利以来、8年ぶりとなる大勝利。

それも、本来の彼のカラーだと思われていたピュアスプリントではなく、激しいアップダウンを越えた先の混沌としたフィニッシュでの勝利だった。

 

 

そして今回の、パリ~ニースでの勝利。

これも、激しい雨風の中、サバイバルな展開で生き残ってのスプリントということで、彼のイメージからは少し離れた印象を覚える勝利であった。

しかも、「僕は彼ら(ボーラ・ハンスグローエ)が総合成績のために牽かざるを得ないことをわかっていたから、僕はただできる限り足を貯め続けた。そしてもちろん、彼らの中でのエーススプリンターはアッカーマンだったから、彼の後輪を捉えることに集中していた」と語るクレバーさと、残り10㎞で最後の決定的な分断が起きた際に即座に集団の先頭に飛び乗ることのできた判断の的確さなど、30を過ぎて単純な爆発力だけではない「ベテラン」としての上手さが身に着いてきているように思う。

 

もちろん、そんな彼を支える「NTT」チームもまた、「最強」ではないもののしっかりと仕事を果たしてくれていた。

たとえば残り32㎞地点で狭い街中から田園地帯へと突入し、集団が一気に3つに分裂した瞬間。先頭を牽引するマッズ・ピーダスンの背後で、同じように集団牽引とその後の決定的な30名の先頭集団形成に寄与したのがマックス・ワルシャイドであった。

その後も、残り10㎞の最後の集団分裂が起きる直前までは、ミヒャエル・ゴグルと共にニッツォーロを常に守り続けていた。

このとき彼らがニッツォーロの体力温存を手伝い続けていたからこそ、彼は最後の最後でアッカーマンもジャスパー・ストゥイヴェンも突き放すほどのスプリントを見せられたのではないか、とも言える。

それはツアー・ダウンアンダーで一度は遅れたニッツォーロをしっかりと最後のスプリントまでに引き戻してくれたときにも言える。

見えないところできっちりと働く。それがNTTプロサイクリングのアシストたちの強さである。

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進化するジャコモ・ニッツォーロ。そして、NTTプロサイクリング・チーム。

彼らのその結束によって、きっと今年、ニッツォーロは悲願の「ジロ・デ・イタリア勝利」を経験することになるだろう。

 

フォルツァ、ジャコモ。

 

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