今年すでにいくつもの信じられない記録が生まれている。
タデイ・ポガチャルのワールドツアー総合優勝最年少記録。
エガン・ベルナルのマイヨ・ジョーヌ最年少記録。
あるいはマチュー・ファンデルポールの、アムステルゴールドレースにおける衝撃的な勝利の仕方、ワウト・ファンアールトのドーフィネおよびツールでの勝ち星など・・・。
その中に、レムコ・エヴェネプールの躍進も加えることができるだろう。
2000年生まれの19歳。昨年までジュニアカテゴリで走っていて、今年U23カテゴリを飛び越えていきなりのワールドツアーチーム入りを果たしたばかりの彼が、初戦のブエルタ・ア・サンフアンで新人賞、ツアー・オブ・ターキー総合2位、そしてベルギー・ツアー総合優勝を果たしてきたのである。
サッカーから自転車に転向してまだ3年目というのも驚きで、常識を超えた走りを披露し続けてきたエヴェネプール。
しかし、この週末、彼はさらなる衝撃を我々にもたらしてくれた。
クラシカ・サンセバスティアン。
グランツール総合争いを繰り広げるような世界トップクライマーたちが鎬を削り合う、本格的クライマーズクラシック。
この、実力が真に試される難関レースで、彼は世界王者やリオオリンピック金メダリスト、過去のこのレースの優勝者たちすべてを出し抜いて、見事な勝利を成し遂げたのである。
それも、彼が得意とする、彼のフィールドとも言える逃げ切り勝利で。
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これにて、今期4勝目。そしてワールドツアー初勝利。
さらに言えば史上最年少のワールドツアー勝利者となった。
ポガチャルとベルナルが築き上げた最年少記録に、さらに付け加えた形となったのだ。
いや、ありきたりな言葉だけではこの凄さを表現するのに適切ではない。彼の成し遂げたことは、真の意味での歴史的、それこそ、(彼はそう言われることを嫌うだろうが)エディ・メルクスの再来という言葉が真に相応しいレベルのものである。
彼が成し遂げたことを正確な言葉にして表現するのはまだ少し時間がかかりそうだが、せめて今回のクラシカ・サンセバスティアンで何が起きたのかについては、できるだけ正確に記述しておきたいと思う。
以下はそのレポートである。
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クラシカ・サンセバスティアンはスペイン・バスク地方で行われるワールドツアークラスのワンデーレースである。
バスク地方特有の厳しいアップダウンを特徴とし、その獲得標高差は4,000m~5,000m近くに達する。
それはグランツールの超級山岳ステージ並であり、最後の最大勾配19%に達する激坂「ムルギル・トントーラ」を越えた時点で残っていられるのはグランツール総合争いを行えるようなトップクライマーたちばかりである。
序盤からグロスチャートナーやボウマンなどの有力クライマーたちによる逃げが形成されるも、最後から3番目の登り「エライツ」を越えた時点で生き残っていたのはエウスカディ・バスクカントリーのフェルナンド・バルセロ(スペイン、23歳)ただ1人。
このバルセロも最後から2番目の登り「メンディゾロッツ」に差し掛かるとともに吸収され、すべての逃げが消滅したまま残り40㎞を迎えた。
このときすでに、昨年優勝者ジュリアン・アラフィリップはツールの疲れが取りきれておらずリタイア。それ以外にもエガン・ベルナル、アダム・イェーツ、ダニエル・マーティン、ローレンス・デプルスなど有力選手たちが早々に脱落していった。
そして、レムコ・エヴェネプールもこのとき、集団から遅れを喫していたようだった。
集団の先頭はモビスター・チームが強力に牽引。とくにアンドレイ・アマドールが、ツール・ド・フランスに続き献身的に牽き続けていた。彼らのバスク人エース、ミケル・ランダもすでに遅れていたが、それでも世界王者アレハンドロ・バルベルデは残っており、調子は良さそうだった。
モビスター以外にもアスタナ・プロチームも積極的に前を牽いていた。彼らはゴルカ・イサギレとペリョ・ビルバオという2人のバスク人エースを抱えていた。
集団は40名ほどにまで絞り込まれていた。
そんな中、残り21㎞で、攻撃の口火を切ったのがトレック・セガフレードのトムス・スクインシュであった。
そして、このラトビアロード王者の動きに反応して集団から飛び出したのが、先程遅れていたはずのレムコ・エヴェネプールであった。
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ゴールまで残り20㎞。
通例のクラシカ・サンセバスティアンでは、ここで決定的な動きが巻き起こることはない。
勝負所はあくまでも残り10㎞から始まる激坂「ムルギル・トントーラ」であり、そこまでは脚を溜め、最後の勝負所に備えることがセオリーであった。
エヴェネプールとスクインシュのタンデムは徐々にプロトンとのギャップを開いていき、やがてそれは40秒近くにまで達するが、最大勾配19%のムルギル・トントーラの登りでは、これが一瞬で0になってもおかしくはない。
そしてスクインシュも、後方にモレマ、チッコーネなどの有力選手を控えさせているがゆえに、ややハイペースすぎるエヴェネプールの走りに合わせる必要はなく、やがて先頭交代を拒否し始めた。
よって、この40秒のギャップはエヴェネプールただ1人で保っていたのである。
明らかにオーバーペースであった。
誰もが、この先の激坂で彼は失速し、そしてプロトンに飲み込まれるであろうことは予測していた。
それでもエンリク・マスというエースもいるわけで、エヴェネプールにとって勝利を得るごく僅かな可能性はこの彼の得意とする「逃げ」にしかなく、その意味でこの走りは決して悪手ではなく最善の手であった。
勝てるはずがないにしても。
しかし、残り10㎞。
平均勾配11%、最大勾配19%のムルギル・トントーラの登りに突入してもなお、彼のペースが落ちることはなかった。そして40秒というタイム差が縮まることもなかった。
やがて、スクインシュが千切れた。
ずっと19歳の新人ライダーの背中に貼り付いていたラトビアチャンピオンが、彼の走りに耐えきれず、引き千切られていった。
プロトンもムルギル・トントーラに突入する。40秒遅れで。そしてその雰囲気は明らかに一変していた。
バルベルデが前に出てくる。パトリック・コンラッドも。ツール・ド・スイスでクイーンステージ100㎞独走逃げ切りを成し遂げたヒュー・カーシーもアタックする。
マス、ウッズ、バルベルデ、ヒルシ、モレマ、チッコーネといった精鋭たちが残って追走を仕掛けるも、エヴェネプールたった1人との距離がまったく縮まらない。むしろ、開いていく。
マスもドゥクーニンクお得意の「ローテーション妨害」を行ってくれていたのもあるが、それにしてもこのタイム差の縮まらなさ具合は異様だった。
こうなってしまえば、誰もが認めるしかない。
この男がまた、歴史的な瞬間を生み出すことを。
サンフアンで我々を驚かせた。新人賞。まだ理解はできた。
ツアー・オブ・ターキーの登りでワールドツアーのクライマーたちに食らいついた。それでもまだ理解できた。
ハンマー・シリーズで素晴らしい独走勝利を成し遂げた。それでもまだ。
ベルギー・ツアーで総合優勝。本当にすごい男だと確信したが、それでもまだ認識は甘かった。
ポガチャル20歳のカリフォルニア総合優勝でこれはすごいことだと思った。
ベルナル22歳のツール総合優勝で時代が変わりつつあることを確信した。
だが、誰が予想していようか。
それを超える瞬間がこんなにも早く訪れるなんてことを。
エヴェネプール19歳、プロデビュー1年目で、世界トップクラスの選手たちを完全に出し抜き、ワールドツアー初勝利。
新たな時代の幕開けであった。
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とはいえ、これが本当の意味で、トップ選手たちと真正面からぶつかっての勝利であったかというと、ちょっと微妙なのかもしれない。
たとえばベルナルはゲラント・トーマス含めトップ選手たちを引き千切ってツール総合優勝を決めた。
ポガチャルのカリフォルニア勝利も、ツールほどではないが有力選手たちを相手取って力でこれを制した。
あるいはマチュー・ファンデルポールも、残り3㎞で1分差だったところを、ほぼ自分だけの牽引で先頭のアラフィリップとフルサングらに追いついて、そしてこれを追い抜いて勝利した。
それに対して、今回のエヴェネプールは(ある意味いつもの彼らしく)不意打ちとも言うべき勝ち方であった。
残り10㎞でゴングが鳴るはずの戦いを残り20㎞から開始して、それを追う集団の方も正直、油断していたに違いない。
本来であればムルギル・トントーラで数名にまで絞り込まれるところを、今回は頂上付近でもまだ結構な集団で残っていたことも、彼らが本当の意味で本気になりきれていなかった様子を表している。
あくまでも、セオリーを出し抜いての、誰もが想像しなかった勝ち方であった。もちろん、その非常識を常識に変えてしまう、普通では考えられない力と才能とその選択肢を選ばせる判断力とがずば抜けているのは間違いない。
が、同じ勝ち方をもう一度できるかといえば、難しいのかもしれない。
今後のマチューもそうだが、徹底したマークを受けることで、同じように自由な走りをできなくなるかもしれない。
エヴェネプールについていえば、今回はアラフィリップやマスといったエースが別にいたことも、今回のような走りができた理由でもある。
別にケチをつけたいわけではない。
ただ、想像を超えた走りは、今後は想像の範囲内になるということ。
彼がさらに想像を超えていくのか、それとも意外な壁にぶち当たってしまうのか。
もちろん、前者を期待し続けていきたい。バルベルデもアラフィリップもポガチャルもベルナルも常に、想像を超え続けてきた。エヴェネプールについても同様だろう。
レムコ・エヴェネプール。ある意味これからが本番である。
「19歳の」「プロデビュー1年目の」といった枕詞がない中でトップ選手というべき位置にまで登りつめたのは間違いなく、あとはそこからどう立ち回るか。
本当に期待通り、2020年代を牽引する存在であり続けてほしい。
なお、彼の今後のスケジュールについては以下の記事でも言及されている。
まずはヨーロッパ選手権の個人TTに出場し、そのあとイタリアのリヴィーニョでトレーニングキャンプ。そしてドイツ・ツアーに出場し、とくに問題がなければGPシクリスト・ドゥ・ケベック&モンレアルに出場。そして、イギリス・ヨークシャーで開催される世界選手権個人TT、そしてロードへと出場するという。
だから可能性としては、今年彼が最年少エリート世界王者のタイトルを獲得する可能性だってあるわけだ。
もちろん、そんなこと、考えるだけでも馬鹿らしい可能性である。
しかし――そんな風に常識を、当たり前を打ち破っていく姿にこそ私たちは期待するのだし、彼やベルナルやポガチャル、マチュー、ワウトといった選手たちは、そういった常識を打ち破ってくれる選手として今、我々の前に姿を現しつつある。
まさか。
でもそのまさかを、密かに期待しつつ私たちは9月を待とう。
もう1人の主役
そしてもう1人、エヴェネプールの陰に隠れて目立たないながらも、十分に驚くべき走りを見せた男がいる。
チーム・サンウェブのマルク・ヒルシ(スイス、21歳)。昨年のU23世界王者。
彼が並み居る強豪選手たちを相手取り3位、集団内では唯一ファンアーフェルマートにのみ負けて2位でゴールしたのである。
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インスブルックで勝っていることからも分かるように、もともと山岳適性の高い選手ではあった。
イツリア・バスクカントリーではシャフマンの勝利した第3・第4ステージの登りフィニッシュで上位に入る走りも見せていた。
そして今回のチーム・サンウェブのメンバーの中でも、最も可能性のある選手であったのは確かだ。
しかしそれでも、まさかトップクライマーたちしか残らないはずのムルギル・トントーラの後の集団に残り、どころか自らのアタックがその形成の一役を買うことになるとは。そのうえで最後の集団スプリントで2番手に入るだけの足を残していたのである。
さらにいえば彼は、今年のE3・ビンクバンククラシックで、最初から逃げていながら勝負どころでブリッジを仕掛けてきたボブ・ユンゲルスに食らいつき、最終的にも10位というリザルトを残す走りも見せている。クライマーとしてだけでなく、クラシックハンターとしても才覚を見せる男。
彼もまた、ベルナルやポガチャルやエヴェネプールほどではないにしても、新時代の確かな才能である。
これほどまでに若き才能が立て続けに出てくることに理解が追いつかない。
ただただ、2020年代のロードレースシーンが楽しみになってくる。
今日のエヴェネプール、そしてヒルシの走りは歴史の始まりに過ぎない。
私たちはきっと、ロードレースが最も面白い時代の1つを迎えようとしているのかもしれない。
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