りんぐすらいど

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19歳でワールドツアーに乗り込んできた天才エヴェネプールの、2019年シーズン前半戦の軌跡

これは4月のアムステルゴールドレースにおけるマチュー・ファンデルポールの勝利に匹敵する、歴史的な瞬間だったように思われる。

バロワーズ・ベルギー・ツアー第4ステージ。総合2位・3位につけていたロット・スーダルのコンビネーションが見事に決まり、アシストをすべて剥がされて単騎となったレムコ・エヴェネプール。

そして迎えた残り17km。最後のラ・ロッシュ・オ・フォーコンの登りに差し掛かった瞬間に、57秒遅れの総合2位ティム・ウェレンスが鋭いアタック。

エヴェネプールはこれを一人で追う羽目になり、追い付いてからも総合3位のヴィクトール・カンペナールツも加わった1vs2という圧倒的に不利な状況に陥っていた。

 

 

しかしここから、エヴェネプールはたった一人で、その純粋な力でもって、集団内で加速した。

この攻撃に、カンペナールツはなんとか喰らいつくものの、ウェレンスは完全に失速し、千切られてしまう。

当然、前を牽くことはないカンペナールツ。エヴェネプールは最後まで前を牽き続け、そのままウェレンスらを含むメイン集団に1分以上の差をつけたまま、ゴールへと飛び込んだ。

 

今年ここまで、確かに19歳のジュニア上がりの選手とは思えないような成績を出してきてはいた。ブエルタ・ア・サンフアンでの新人賞、ツアー・オブ・ターキーでの総合2位、そしてハンマーシリーズでの活躍。

しかし今回のベルギー・ツアーでは、プロ初勝利にTTでの区間4位によって獲得した総合リーダージャージを、一流選手たちを相手取っての堂々とした立ち回りで、危機的状況を乗り切って見事に守り切って見せたのだ。

 

ただ勝つだけでも、強い走りを見せるだけでもない。

今日のこの日の走りは、彼がすでにして一人前、「ジュニア上がり」でも「19歳」でもなく、立派なエリートのプロ選手として台頭し、かつそのトップクラスに足をかけつつある存在であることを如実に示した日であった。

  

ゆえに、今日という日は歴史的な日であった。レムコ・エヴェネプールという存在が、確かにはっきりと、プロトンに刻まれた瞬間。

 

 

ここで、改めてこの2019年シーズンの前半戦を振り返ってみたいと思う。

このエヴェネプールという天才が、エリート初年度をいかにして過ごしてきたのか。

その軌跡を辿りつつ、今後の展望を占ってみよう。

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ュニア時代、そしてブエルタ・ア・サンフアン

レムコ・エヴェネプールがサイクルロードレースの世界に足を踏み入れてからわずか2年でジュニアの各種レースを総舐めにして、国内選手権・欧州選手権・世界選手権のロード・TTすべてのタイトルを手中に収めるなどあまりにも圧倒的過ぎる成績を残してきたことについては以下の記事に詳しい。

cycleroadrace.net

chariyorum.com

 

ジュニアにおいては文字通り敵なしの成果を積み上げてきた彼は、今年、もともとはハーゲンスバーマン・アクセオン*1に昇格し、経験を積んだうえでドゥクーニンク・クイックステップへと移籍する予定だった。

しかしそこにチーム・イネオスが興味を示し、食指を伸ばしたことにより、ドゥクーニンクが予定より早めの獲得をするに至った、という噂である。

結果、U23カテゴリをすっ飛ばしての、いきなりのワールドツアー入り。

前代未聞の超飛び級を前にして、その経歴が成功に彩られるか、失敗で塗り潰されてしまうか、期待と不安とが入り混じる注目の視線を浴びることとなった。

 

 

そんな彼の、シーズン最初のレースが、1月末に南米アルゼンチンで開催されたステージレース、ブエルタ・ア・サンフアン(2.1)であった。

1クラスのレースとはいえ、ツアー・ダウンアンダーと並びトッププロ選手たちによるシーズン開幕戦として人気を博すレースであり、今年も6つのワールドツアーチームが出場し、ナイロ・キンタナ、ジュリアン・アラフィリップ、フェルナンド・ガビリア、ペテル・サガンといったスター選手たちが集まる、1級品レースであることは間違いなかった。

そして、この十分に大舞台であるレースで、早速エヴェネプールは存在感を示した。

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まずは第3ステージ、ポシートで行われた12kmの平坦個人TT。

優勝は大方の予想通り、チームのエースでもあるジュリアン・アラフィリップ。

しかしエヴェネプールはそこから12秒遅れの3位につけ、表彰台を共にすることに。総合成績でも4位に浮上した。シーズン序盤で各選手がまだ十分に仕上がり切っていないことを考えても、驚きの結果であった。

 

総合リーダージャージは第2・第3ステージを連勝したアラフィリップが着用し、そのまま大会のクイーンステージとなる第5ステージへ。標高2,600m超えの1級山岳アルト・コロラド山頂フィニッシュである。

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ここで、総合逆転を狙うモビスター・チームが強烈な攻撃を仕掛けてくる。ウィネル・アナコナやリチャル・カラパスなど、この時期にコンディションを上げてくる中南米系のクライマーを揃える山岳最強チームのトレインはプロトンから頭一つ二つ飛び抜けており、あっという間に集団の支配権を手に入れる。

そして残り14km。集団先頭から26秒遅れの総合7位、アナコナがアタックを仕掛ける。いくら26秒遅れとはいえ、彼は普段はアシスト役を務める存在。真に恐ろしい存在であるはずのキンタナは集団の中に留まっており、山岳で切れるカードが限られているドゥクーニンク・クイックステップは、このアナコナの動きに即座に対応することができなかった。

 

しかし、アナコナの勢いは想像以上に鋭かった。あっという間にギャップを開き、バーチャルリーダーの座も手に入れた彼に、これ以上の独走は許せない。

しかしスプリンターのアルバロホセ・ホッジも連れてきているドゥクーニンクにとって、このときアラフィリップの傍に控えていたのはペトル・ヴァコッチとエヴェネプールのみ。ヴァコッチの献身的な牽引が暫く続いたものの、残り9kmでカラパスがアタックを仕掛けたことをきっかけにして脱落。エヴェネプールがこれを抑え込もうとするがうまくいかず、結局エヴェネプールとアラフィリップは集団の只中へと埋もれてしまった。

 

先頭を牽く選手が総合6位のフェリックス・グロスチャートナーくらいしかいなくなったプロトンと、先頭で逃げるアナコナとのタイム差は1分近くにまで広がる。

アラフィリップ、そしてドゥクーニンクにとって、絶体絶命の状態であった。

このタイミングで、19歳の新人が動き始めた。

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緑色の新人賞ジャージを着るイヴェネプールが、集団先頭に舞い戻り、アラフィリップを強力に牽引し始める。

そのペースアップによって、それまで集団先頭を牽いていたグロスチャートナーのアシスト、パウェル・ポリヤンスキは溜まらず千切られてしまう。

そのあとも約3.5kmに渡って集団先頭を牽き続け、アナコナとのタイム差をこれ以上広げないための十分な働きをしてみせてくれた。

 

残り2.5km。すべての力を使い果たしたエヴェネプールは脱落。その瞬間にアラフィリップが先頭のアナコナに向けて、強烈なアタックを仕掛けた。

結局は、集団内にいたナイロ・キンタナがうまく立ち回ったおかげでアラフィリップの攻撃は抑え込まれ、1分弱のタイム差を保ったままアナコナがステージ勝利。総合優勝の座も奪われてしまう。

 

チームとしては敗北に終わった。しかし、山岳アシストとして完璧に近い働きをして見せたエヴェネプールの鮮烈な姿は誰の目にも鮮烈に焼き付けられ、しっかりと新人賞ジャージという成果を持ち帰った彼は、この時点で想像を超える成績と共にデビュー戦を終えたのである。

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車、そしてツアー・オブ・ターキー 

衝撃的なデビュー戦を果たしたエヴェネプール。その彼の次の目標は2月のUAEツアー(2.WT)であった。

当初は2月前半のヴォルタ・アン・アルガルヴェ(1.HC)にも出場予定だったようだが、いきなりのステージレースのあとに十分な休息を取るためか、1ヶ月の余裕をもってシーズン2つ目のレースに挑むこととなった。

とはいえ、UAEツアーは正真正銘のワールドツアーレース。18のワールドツアーチームすべてが出場し、プリモシュ・ログリッチェ、トム・デュムラン、ヴィンツェンツォ・ニバリ、アレハンドロ・バルベルデといった錚々たるメンバーが集う世界最高峰レースの1つであった。

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ドゥクーニンク・クイックステップの主目的は、エリア・ヴィヴィアーニによるスプリント勝利。そのためにサバティーニやモルコフなど名だたるリードアウターたちを引き連れており、エヴェネプールにはある程度自由な走りを許される環境が用意されていた。

第3ステージの「ジャベルハフィート」頂上フィニッシュを、勝者バルベルデから56秒遅れの15位でゴールするというまずまずの結果でもって終えたエヴェネプールは、その翌日のなんでもない平坦ステージで、単独落車。

ただちに救急で運ばれて、骨折を含む重篤な症状は何もないことが明らかにはなったものの、レースからは即日の離脱を余儀なくされてしまった。

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起きたことに対して、もちろん動揺したし少しは恐怖を感じているよ。それは僕にとって最初のワールドツアーレースでの出来事だったからね。それがこんな風に終わってしまうなんて、決して望んではいなかった。でも幸運なことに、いくらかの痛みを除いて、何も壊れてはいないし問題はない。早く回復し、できるだけ早くレースに戻れることを望んでいるよ

 

その後、3月後半のノケーレ・コールスで復帰したエヴェネプールだったが、それと続くブレーデネ・コクサイデ・クラシックでは目立った走りをすることはなく、完走はしたものの十分に満足のいく結果を得ることはできなかった。

 

 

そして、彼は再びワールドツアーの舞台に戻ってくる。

4月中旬から6日間の日程で開催される、プレジデンシャル・ツアー・オブ・ターキー(2.WT)。

ワールドツアーとはいえ、イツリア・バスクカントリーや春のクラシックで忙しい時期ということもあって、参加しているワールドツアーチームはたったの6チーム。その面子も、とくにクライマーにおいては普段はアシストとして働く場面の方が多い選手たちばかりであった。

となれば、エヴェネプールの活躍は十分に期待ができるものであった。

そしてその予想は見事、的中する。

 

 

6日間の日程の中で唯一のクライマー向けステージ、そして総合成績を決定付けるクイーンステージとなったのが第5ステージ。標高1,300mの超級山岳カルテぺの頂上に挑むステージである。

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冷たい雨に晒されたこの登りで、最初に仕掛けたのがエヴェネプールであった。
山頂フィニッシュまで残り4km。総合首位候補のグロスチャートナーからは15秒遅れ。十分に逆転可能なタイミングでの攻撃であった。

もちろん、グロスチャートナーはこれを許すわけにはいかず、メルハウィ・クドゥス、ヴァレリオ・コンティといったライバルのクライマーたちと共にこれに追随。エヴェネプールの攻撃を抑え込んだ。

しかしその後も彼は、先輩ライダーたちに対して平気で先頭交代を要求するなど、堂々とした姿勢を崩さずに対応。

結果的にはこの精鋭集団から脱落し、優勝者グロスチャートナーからは16秒遅れの4位フィニッシュ。最終総合成績においても4位で終わる。

しかし本格的な山頂フィニッシュにおいて総合エースとして戦うという貴重な経験を体験することのできたこの瞬間は、今後の彼にとっても大きな財産となることは間違いがなさそうだ。

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ンマーシリーズ、そして彼らしく走るということ

ここまでレムコ・エヴェネプールは、山岳アシストとしての驚異的な働き、そして総合エースとしての堂々とした立ち振る舞いといった、およそ19歳のネオもネオのネオプロとしては望外の活躍をこなし続けてきた。

 

しかし、それらの姿を見てたしかにすごい、とは思いつつも、どこか(あまりにも贅沢であることはわかりつつも)物足りない、という感想を抱いていたのは私だけではないはずだ。

確かに彼の1月から4月までの走りはすごかった。しかし、それは言ってしまえば、「想像できる範囲内での」すごさだった。山岳アシスト、総合リーダー。十分な活躍は見せていたものの、それは予想・期待を遥かに上回る類のものではない。

 

たとえば昨年のエガン・ベルナルの走りには驚かされた。ツアー・オブ・カリフォルニアでの総合優勝や、ツール・ド・フランスでの立ち振る舞い。

今年に関して言っても、タデイ・ポガチャルのいきなりのアルガルヴェ総合優勝や、何よりもマチュー・ファンデルポールの成し遂げた奇跡のような勝利の数々。

エヴェネプール自身について語っても、昨年の2018年のジュニア時代に遺してきた前代未聞の栄冠の数々に驚かされたことを思えば、2019年シーズンのここまでの成績は(感覚がマヒしているのだろうけれど)想像を超越する驚き、という類のものではなかった。

 

要は彼は怪物ではないな、と。そこに19歳の、とかU23カテゴリをすっ飛ばしての、といった枕詞をくっつければもちろん十分に怪物なのだけれど、それらを取り除いてしまった先にあるものは、という話である。

 

 

 

そんな、実に身勝手な感想を塗り潰していくような走りを見せたのが、5月末および6月頭に行われた2つのハンマー・シリーズ。すなわち、ハンマー・スタヴァンゲルハンマー・リンブルフであった。

 

5月下旬に北欧ノルウェーで開催されたハンマー・スタヴァンゲルでは、初日ハンマー・クライムに参戦したエヴェネプールは、レースの前半戦、ボーラ・ハンスグローエのサム・ベネットが毎周回先頭通過を果たすというワンサイドゲームを繰り広げる中で、先頭集団に逃げを送り込めなかったチームのために、果敢なブリッジを先頭集団に向けて仕掛けることとなった。

 

それは決して簡単ではなかった。また、常に集団の中にいて重要な最後の登りの瞬間だけ爆発的なパワーを発揮するという、ベネットの実に効率的な走り方に対し、エヴェネプールは若さゆえかやや非効率な、平均的に高い出力を出そうとする走りをしていた。

それゆえになんとか先頭集団に追い付いても登りのペースアップですぐに引き千切られ、その後再び舞い戻ってきてもまたすぐに引き離されてしまう、というようなことが続いた。

結果として、常にポイントを得られるギリギリの最低点しか取ることができず、他チームを追い上げるということができずにいた。

 

しかし、エヴェネプールの凄さは、どれだけ引き千切られても、諦めることなく、執念でもって繰り返し先頭に舞い戻ろうとする姿勢であった。それは確かに若さゆえの走りとも見えるが、それを可能とするエネルギーの容量の大きさを感じさせ、さらには7周目には常に自らが先手を打つ動きでもってレースの展開を大きく揺り動かし、ここまで無双を誇っていたサム・ベネットをも脱落させることとなった。

翌日のハンマー・スプリントでは序盤から積極的に逃げに乗ったエヴェネプールの活躍もあり、見事チームとして勝利を掴むことに成功。

初日クライムでの序盤の遅れを取り戻すことはできず、結果としてハンマー・チェイスも終えた最終総合成績では6位と振るわない結果にはなったものの、エヴェネプールは常に存在感を示す走りができていた。

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そして、6月頭のオランダで開催されたハンマー・リンブルフ。

その初日、ハンマー・クライムにて、エヴェネプールはついにその殻を打ち破るような鮮烈な走りを見せてくれた。

 

ある程度集団で最初のゲートを通過した1周目が過ぎて、2周目に入ったところでグレッグ・ファンアーフェルマートが単独で集団を抜け出した。

ここに唯一喰らいついたのがエヴェネプール。一気にこの元リオオリンピック金メダリストにしてパリ~ルーベ覇者のもとに迫り、そのお尻をポンと叩いた。

「一緒に回すぞ」ということなのだろうが、この大先輩に対するコミュニケーションの取り方。19歳とは思えない気の大きさからも、才覚を感じられる。

2人の逃げは追走してきた小集団に一度捕まえられるものの、2周目の先頭はしっかりとエヴェネプールが獲得。その後、残り50kmでのウェレンスの抜け出しについていき、しばらくボドナール、少し後に追いついてきたボウマンを加えた4名でエスケープを続けていく。

 

残り30km。アランブルやゲシュケ、ヒンドレー、ヘルマンスといった追走集団が合流。大きくなって牽制状態に陥った集団の中から、エヴェネプールが単独でアタックを仕掛けた。

直前にボドナールが「もう逃げは終わりだ」とばかりにジェスチャーを投げかけたものの、そんなことお構いなしとばかりに、彼は得意の独走を開始した。

 

そのまま30km。誰も彼を捉えることができないまま、彼は先頭でゴールを通過し続けた。

この日、獲得したポイントは1000を超える。そして、ポイントだけでなく、このサバイバルなレースで序盤から常に動き続け、そのうえで、最後の30kmをたった一人で走り抜けたのだ。

 

これこそが、彼がジュニア時代最も得意とした勝ち方であり、彼の強さを象徴する走り方であった。

そして、ファンアーフェルマートらを含む強力な追走集団に1分以上のタイム差をつけたままゴール地点に帰ってきたエヴェネプール。

先頭でゴールすることがすなわち勝利というわけではないことも多いハンマー・シリーズでは、ウィニングランというのは珍しいものではあるが、このときばかりは文句などつけようのないものであった。

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チームとしてはスプリントとチェイスで勝つ想定をしており、クライムでのこのエヴェネプールの大量得点は想定外だったという。

いずれにせよこの結果も含め、ハンマー・リンブルフはドゥクーニンク・クイックステップの圧勝。

最後は先輩たちと共に、勝利のプレートをハンマーで打ち付けた。

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このときの勝ち方こそ、やはりエヴェネプール「らしい」ものだった。

この彼の走りには誰もが驚かされ、その想像の範囲外であった。

それはハンマー・シリーズというレースの常識を打ち破る走りであり、その驚きは、まさにアムステルゴールドレースを勝ったときのマチュー・ファンデルポールの驚かせ方と同じ類のものであった。

 

そして、その「らしい」走りは徐々に開放されていく。

それが結果に結びついたのが、ベルギー・ツアーであった。

 

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ルギー・ツアー、そして想像を超える男へ

バロワーズ・ベルギー・ツアー(2.HC)は、春のクラシックの中心地であるベルギーを舞台に開催される5日間のステージレースで、フランドル・クラシックからアルデンヌ・クラシックまで、各種クラシックの特徴を存分に盛り込んだクラシックスペシャリストのためのステージレースである。

 

第1および第5ステージはスプリンターのための平坦ステージであったが、第2ステージはフランドル・クラシックを意識した石畳ステージ。カペルミュールを始めとする定番の急坂が連発するタフネスなステージであった。

 

この日もまた、エヴェネプールは終始積極的な動きを見せ続けた。危険な飛び出しに関しては自らチェックをかけ、エースのヤコブセンのための走りをしている、と見ることもできてはいた。

しかし、残り12.4kmで彼は自らアタックを仕掛けた。鋭いこの一撃に、反応ができたのはロット・スーダルのヴィクトール・カンペナールツのみ。

 

当然、カンペナールツは先頭交代を行わない。後続の集団にはエースのティム・ウェレンスが残っており、カンペナールツの仕事は、厭らしくエヴェネプールの背中に貼り付いて、彼が諦めてくれるのを待つことだけだった。

 

しかし、エヴェネプールは諦めなかった。むしろ、そのペダルを踏む足により力を籠め始めた。その表情に陰りはなく、ハンドルの上に両腕を置いて落ち着いた様子でペースを上げていった。

一方、彼の後ろに貼り付いて風よけを受けているはずのカンペナールツの方は、もう下ハンドルを握りながら、視線を下に落としつつ、懸命に彼を追いかけ続けていた。

 

わずか19歳の新人選手エヴェネプールと、すでにベテランの域に達しつつある欧州TT王者のカンペナールツ。

しかしその差はすでに、歴然としたものがあるように見えていた。

 

そして残り6kmでカンペナールツが落車。余裕がなかったがゆえなのか。すぐに起き上がるももう先頭を独走するエヴェネプールに追い付くことはできず、そのままウェレンスが前を牽く後続集団まで下がり、このアシストに徹することとなる。

しかしもう、エヴェネプールを捕らえるための方法など何一つ残っていなかった。

 

そして、ついにレムコ・エヴェネプール。プロ初勝利。

HCクラスとはいえ、トップクラシックハンターたちの集まるベルギーの地で、彼は鮮烈なる独走勝利を成し遂げた。

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それは昨年見せていた彼の強さをすべて解放したかのような勝利であった。

この勝利によって彼は総合リーダージャージを獲得。

一躍、プロトンの中心に立つ存在となった。

 

 

エヴェネプールの強さは翌日の個人タイムトライアル(9.2km)でも遺憾なく発揮された。

この日の優勝者はティム・ウェレンス。大会総合優勝も期待されているロット・スーダルのエースが、前評判通りの力を見せつけた。

3位にはチームメートで欧州王者のカンペナールツ。ウェレンスから2秒差でのフィニッシュとなった。

そしてエヴェネプールはこのカンペナールツからわずか1秒差での4位。サンフアンでも強かったが、その強さはこの時期のこの大会でも変わらず、欧州王者に1秒差という驚異の成績を残すこととなった。

前日にカンペナールツがほぼつき切れしかけていたことも、これを見れば何ら不思議ではないだろう。

 

 

そして、運命のベルギー・ツアー第4ステージである。

フランドル風味の第2ステージに対し、こちらはリエージュ~バストーニュ~リエージュをオマージュしたアップダウンステージ。LBLでも定番となる激坂ロッシュ・オ・フォー・コンなども複数回乗り越える難易度の高いステージだ。

 

第2・第3ステージを終え、総合首位エヴェネプールを追いかけるのは57秒遅れのウェレンスと1分遅れのカンペナールツ。

ここで、ロット・スーダルはチームとして見事な戦略を実施する。

 

すなわち、カンペナールツによる大逃げである。得意の独走力を活かし、他の逃げメンバーをほぼ引っ張るような形で突き進んでいくカンペナールツは、一時はバーチャルリーダーの座を手に入れるほどにまでタイム差を開いていった。

プロトンはドゥクーニンク・クイックステップのアシスト総出でエヴェネプールをガードする。ピーター・セリー、そしてエロス・カペッキによる献身的な牽引により、何とかそのタイム差を安全圏にまで縮めることに成功する。ドゥクーニンクは十分なチーム力でもって、ロット・スーダルの第一の攻撃を防ぎ切ったのだ。

 

しかし、カンペナールツも執念の粘りを見せ続けていたことで、終盤の勝負所、最後のロッシュ・オ・フォー・コンを前にして、いよいよ最後のカペッキも力尽きてしまった。

そして、ロット・スーダルは第二の攻撃を繰り出す。

すなわち、ラ・ロッシュ・オ・フォー・コンでの、強烈なウェレンスのアタックである。

 

先頭のカンペナールツのもとに一気に飛びつき、これを抜き去って独走を開始するウェレンス。

ウェレンスもまた、かつてエネコ・ツアー(現ビンクバンクツアー)での逃げ切りによる総合優勝を2回、その他パリ~ニースやジロ・デ・イタリアでの逃げ切り勝利なども経験しているエスケープスペシャリストである。それも、この日のような起伏の激しい丘陵ステージでの逃げを大の得意とする。

しかも、エヴェネプールにはすでにアシストが1人もいない。抜け出したウェレンスを追いかけるためには彼自身が足を使わなければならないのである。

 

エヴェネプール、絶体絶命。

しかし、彼はあくまでも冷静であった。

登りで一気に開いたタイム差も、そのあとの下りで少しずつ縮まっていく。エヴェネプールは迷いなく先頭を牽引し、カンペナールツが後ろについていることも気にせず、落ち着いてその差を少しずつ詰めていく。

結果、残り13.4kmでウェレンスをキャッチ。

 

カンペナールツがここでカウンターアタックを仕掛ける。

これは1vs2の状況の中では定石とも言える手である。2人いる選手が次から次へとアタックすることで、エヴェネプールは常に全力で追走を仕掛けなければならない――残り12kmをその状況に置かれることで、さすがのエヴェネプールも脱落するに違いない、そうカンペナールツは考えたのである。

しかし、エヴェネプールは一切離されることなくカンペナールツに喰らいつき、さらにはその前を牽き始める。

一方、ウェレンスは逆にここで突き放されてしまった。

 

あとはもう、エヴェネプールの独壇場であった。

カンペナールツは当然前に出ることはないため、ただひたすらエヴェネプールが前を牽き続ける。

それだけで、ウェレンスとのタイム差はどんどん開いていく。このとき、エヴェネプールは完全にこのトップライダーを打ち負かしたのである。

 

エヴェネプールの勢いは止まらず、後続集団に1分以上のタイム差をつけてゴールに飛び込んできた。

最後の最後は、カンペナールツが前に出てステージ優勝を獲得。

エヴェネプールの才能の前に、チームとして完敗を喫した以上、せめてステージ優勝はきっちりと取っておきたい、という思いだったのだろう。

勝利を譲るとか、そういった甘い考えをもって相手にする器ではないと、カンペナールツが認めた瞬間でもあった。 

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まさに圧勝。最後の最後まで、守勢に回ることなく戦い続けた19歳の超新星が、自らの力でもって最強であることを証明した。

ベルギー・ツアーはあともう1ステージ残ってはいるが、平坦ステージのため総合で動きがあることはほぼないだろう。

エヴェネプールの今大会総合優勝はほぼ、確定したと言ってよい。 

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そしてリザルト以上に、今回のベルギー・ツアーでの走りは、彼が「19歳の」とか「U23カテゴリをすっ飛ばしての」といった枕詞なしで怪物の域に達したことを示す勝ち方であった。

それはマチュー・ファンデルポールの勝ち方と似ていた。ロードレースの常識を打ち破り、戦場を自分の得意とするフィールドに塗り替えて勝つこと。

今年、怪物は確かに2人、生まれたのである。

 

 

ヴェネプールの未来

さて、この天才少年は果たしてこのあと、どのような未来を形作っていくのだろう。

現状では明確な予定は設定されていないようだが、ハンマー・シリーズからツアー・オブ・ノルウェーを挟み、今回のベルギー・ツアーまで、シーズン序盤と比べてもハードなスケジュールが続いてきた。

しばらくは休みを取ることも、必要かもしれない。

 

しかし今回の走りを見ているとやはり期待したいのが同じクラシック風味のコースが連日用意されたビンクバンクツアーあたりである。

もう少しHCクラスあたりで、というのであればツール・ド・ワロニーや、ツアー・オブ・ブリテンあたりでも活躍はできそうだ。

 

 

重要なのは、彼に自由な役割を与えること、だと思う。

 

ここ数年、驚異の新人というのは幾人も現れているが、チームによってその教育方針は結構異なる。

たとえばエガン・ベルナルなんかは、しっかりとチームの中での役割を与え、その通りに走らせることによって、驚異的なスピードであらゆる対応力を身に着けた一人前のライダーへと成長させている感がある。ベルナル自身の吸収力の高さ・器用さも、効果を増幅させていると言えるだろう。

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一方、今年のタデイ・ポガチャルなんかは、かなり初期の段階から自由な走りを許されているように感じ、その結果、その実力を遺憾なく発揮したうえで、アルガルヴェ、そしてカリフォルニアの総合優勝という結果を手に入れてきている。

また、その際に走らせるレースは、ベルナルに与えられるような最高峰のレースというわけではなく、若手でも結果を出しやすい、一つランクを落としたレースであるように思える。UAEチームエミレーツは彼に対し、自由な走りを与える一方で、その結果しっかりと成績を出せるレースを考えて与えているように思え、その育成方針の的確さを強く感じる。

 

エヴェネプールについてはどうだろう。

エヴェネプールの初期の育成方針は、どちらかというとベルナルタイプだったように思われる。サンフアン、UAEツアーなどでは、別にエースを定めたうえでそのアシストとして働かせるなど、経験を積ませることに主眼が置かれていたように感じる。

彼自身も、アシストとしての走りや、ターキーにおいても、総合エースとしてあるべき姿というのを意識した走りをしていたように思えるが、結果として、確かにすごくはあるが、あくまでもロードレースの常識の枠内での活躍に留まっていたように思われる。

 

だが、今回のハンマー・シリーズ、そしてベルギー・ツアーでの彼の走りは、その枠を軽々と飛び越えるものであった。それこそ、マチュー・ファンデルポールのように。

マチュー・ファンデルポールのコレンドン・サーカスもまた、彼のためのチームであり、走り方についてはかなり彼の自由がきく体制になっていたように思える。

一方、ユンボ・ヴィズマという一流チームへと移籍したワウト・ヴァンアールトは、春のクラシックでの走りにはどこか不自由さを感じるところがあった。

そのとき、ファンデルポールとヴァンアールトの間には、「チーム力」という言葉だけでは表現できない大きな差を感じたものだった。

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同じようなことが、エヴェネプールにも言えるかもしれない。超一流のドゥクーニンク・クイックステップに入り、ベテラントップ選手たちと共に走る中で、知らず知らずのうちに、自分の才能に限界を定めていたように、勝手ながら思える。

 

それが、旧来のロードレースとは一線を画す非伝統的なハンマー・シリーズを走る中で、彼は彼なりの、本来の走りがエリートの世界でも通用することを理解したのかもしれない。

そして、ベルギー・ツアーでも同じく実践したその走りに、最初は抑えようとしていたチームメートたちも、やがて彼のために力を尽くす走りへと切り替えていく。

どんなに伝統的な強豪チームであっても、新しい走り方・強さを発揮するエースが現れれば、そのためにチームの形を変えていく。真の強きエースというのは、そういう走りができるもののことを言う。

 

 

いずれにせよ、レムコ・エヴェネプールの物語はまだ、始まったばかりだ。

これからどんな姿を見せてくれるのかわからないけれど、はっきり言えるのは、彼がこれからも、我々の常識を超えた走りをしてくれるだろう、ということだ。

 

これからも、熱い走りを期待しているぞ、レムコ。

 

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「物語」の続きはこちらから・・・

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*1:エディ・メルクスの息子、アクセル・メルクスが運営する、アメリカ籍のプロコンチネンタルチーム。若手の育成に定評があり、過去にもタオ・ゲオゲガンハートやエディ・ダンバー、クリス・ローレス、ジャスパー・フィリプセンなどが在籍していた。

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