残り150m。背後のジュリアン・アラフィリップがスプリントを開始したのを悟った彼は、自らもほぼ同時にペダルを強く踏み出した。
ただちに横一線に並ぶ。相手は元世界王者の「フランスの英雄」。登りだけでなく、ときにスプリントですらピュアスプリンターたちと互角に渡り合えるときすらある、本来ならば勝ち目のない相手ではあった。
しかし彼は一歩も引かず、一瞬アラフィリップにタイヤを先行される瞬間がありながらも、すぐさまこれを追い抜き、本当に一進一退の状況で残り距離を消化していき——ラスト30mで、ついにアラフィリップが崩れ落ちた。
「英雄」アラフィリップを力でねじ伏せた瞬間であった。しかも、相手は、チームメートをお供に連れている状態であったのだ。
これぞロードレース。そして、「新たな英雄」が誕生した瞬間であった。
ブノワ・コヌフロワ。
バルデもラトゥールも去った現在のAG2Rの未来を担う、新世代の才能。
今回はこの男の過去と、そして今回のブルターニュ・クラシックにていかにして勝ったかを語っていこう。
目次
スポンサーリンク
来歴
ブノワ・コヌフロワ(コズネフロワとも)の名が最初にロードレースファンの耳に轟いたのはおそらく、2017年のU23ロード選手権であろう。
この年からワールドツアーチームに所属している選手でもU23カテゴリに出場可能になった中で、早速このAG2Rラモンディアル所属のコヌフロワとチーム・サンウェブ所属のレナード・ケムナとがワンツーを獲る結果となった。
とはいえ、コヌフロワはたしかにこの世界選手権の時点ではAG2Rラモンディアルに所属していたとはいえ、実はこのシーズンの8/1からの加入であった。
前年もトレーニーではあったものの、基本的にそれまでは下部育成チーム所属であったコヌフロワ。
シーズン途中での正式昇格という点ですでに大きな期待を抱かれている中、早速U23世界選手権制覇という成果を持って帰ってきたわけである。
そんな彼が次に注目を集めたのが、2018年のパリ~ツール。独走勝利したセーアン・クラーウアナスンを追いかけてニキ・テルプストラと共に追走。大先輩テルプストラの「圧」にも負けず、食らいつき続けて3位表彰台を獲得。
なお、この年、これまでのスプリンター向けのレイアウトという印象であったパリ~ツールが大変革を起こし、石畳と起伏とを特徴とするレースへと変貌していた。
ちょうど今回のブルターニュ・クラシックのようなレイアウトと言っていいだろう。
そして、ジュリアン・アラフィリップとの「因縁」は過去にもあった。
2019年のグランプリ・シクリスト・ド・モンレアル。
最後の勝負所の1つ、「カミリアン・ウードの丘」の下りでコヌフロワがアタック。独走を開始した。
そしてラスト3.2㎞追走集団からカウンターでジュリアン・アラフィリップがアタック。
単独で抜け出して、残り2.7㎞でコヌフロワに合流した。
そこからはこのフランスの新旧デュオによる協調が円滑に進み、ペテル・サガンらが猛追する追走集団とのタイム差をむしろ広げる方向で突き進んでいく。
だが、残り600m。
ホームストレートにあたる「アヴェニュー・デュ・パルク」に到達したとき、2人の絆はもろくも崩れ去った。
残り500mで後ろを振り返り、アラフィリップに前を牽くよう指示を出すコヌフロワ。
しかしアラフィリップはこれを拒否し、それを見たコヌフロワは悔しそうにハンドルを叩いた。
そんなこんなもあって、これまでビッグレースでの活躍は見せながらも、プロ10勝の成績はすべて「1クラス」での勝利のみ。
だが実力は間違いなく、ロマン・バルデやピエール・ラトゥール、アレクシー・ヴュイエルモーなど、昨年までのAG2Rラモンディアルで中心的な役割を果たしてきた選手たちが去った新星AG2Rで、ナンス・ピータースやオレリアン・パレパントルらと共に、「新たな時代」を築く存在となるだろうと期待されていた。
そして、今回のブルターニュ・クラシックである。
ブルターニュ・クラシック2021
その名の通り、フランスで最も自転車熱の高い地域であるブルターニュ半島で開催される1クラスのワンデーレース。
未舗装路アリ、丘陵アリ。クラシックライダーから登れるスプリンターまで、集団スプリントから少数抜け出しまで幅広いタイプの展開がありうるレースとなっている。
そんなブルターニュ・クラシックは今年、かなり早い段階で「勝ち逃げ集団」が形成された。
残り62㎞地点に用意されたこの日最初の未舗装路「サウタララン」で、優勝候補ジュリアン・アラフィリップがアタック。ここにチームメートのミケルフローリヒ・ホノレとブノワ・コヌフロワ、タデイ・ポガチャルといった強力なメンバーが食らいついていった。
ポガチャルはこのあとすぐ、さすがにツールからオリンピックにかけて疲れが溜まっていたのか、残り47㎞地点で脱落してしまう。
それでも残った3名は逃げ残りのアレッサンドロ・デマルキを吸収しつつ、メイン集団とのタイム差を維持しながら残り距離を着実に減らしていく。
すでに逃げ続けていて体力が底を尽きかけているデマルキを除くと、先頭は3名。
そのうちドゥクーニンク・クイックステップがジュリアン・アラフィリップとミケルフローリヒ・ホノレの2人。
コヌフロワはたった一人でこの世界王者を含む強豪2人に立ち向かわなくてはならなかった。
だから、彼は自ら仕掛けていった。
残り22㎞。平均勾配9%の激坂「マルタ」直後の登りで、コヌフロワはアタックを仕掛けていった。
この動きでデマルキが完全に脱落。さらにホノレも遅れていく。
先頭はコヌフロワとアラフィリップだけに。しかしもちろん、アラフィリップはここで前を牽こうとはしない。あくまでもチームメートのホノレを待って、優位を保とうとする。
この姿勢に対し、コヌフロワも右手を挙げて激怒。2年前のモントリオールの悔しい思い出が脳裏をよぎったのかもしれない。
だが、ある意味でこの時点で、アラフィリップが保守的な走りに徹せざるを得ない状況に陥っていたと見ることもできた。
残り3.3㎞。
メイン集団から単独で抜け出したコナー・スウィフト(アルケア・サムシック)が先頭3名とのタイム差を20秒近くにまで縮める中、最後の登り「ポン・ヌフ」でコヌフロワがアクセルを踏んだ。
ただちにこれに食らいつくホノレ。しかしその後輪との間に小さなギャップを作ってしまい、慌ててダンシングで追いかける世界王者。
コヌフロワはこれを見ていた。
そして残り2.7㎞。今度はアラフィリップが仕掛けた。
昨年の世界選手権も制した、必殺の一撃。
当然、これでホノレは脱落。
しかし、一呼吸置いてこれを追いかけ始めたコヌフロワは、ある意味でアラフィリップ以上の勢いでこれを追いこんでいった。
当然、アラフィリップもこれで決めるつもりだっただろう。ここまで頑なに守り続けてきたホノレを捨てての一撃。これで決められなければ、危機的な状況に陥ると分かっていたはずだ。
しかしコヌフロワはこれをいとも簡単に抑え込んだ。
それどころか、残り2.3㎞。
今度はコヌフロワがカウンターでアタックを仕掛けた。
ダンシングで登りを一気に駆け抜けていくコヌフロワ。
たちまちアラフィリップは車体1.5台分くらいのギャップを生み出してしまう。
それでも、なんとかそれ以上の隙間は生み出さないようにもがくアラフィリップ。
一度腰を下ろしたコヌフロワも、彼を突き放せていないことに気づくとともにもう一度ダンシングを開始。彼にとってもここが勝負だった。
だがアラフィリップも意地を見せる。
残り2.1㎞。山頂に辿り着く。
ついに諦めたコヌフロワ。
へとへとになり、再びホノレを待つアラフィリップを従えながら、コヌフロワは最後の瞬間に向けてもう一度足を貯めていた。
あとはもう、最後のスプリントしか残っていない。
コヌフロワはここで、スプリンターとも互角に渡り合うアラフィリップに対し、真っ向勝負を挑む必要があった。
だが、この日、誰よりも強かったのはコヌフロワだった。
3度にわたるアタック。
そのすべてで、アラフィリップを突き放しかけたその足は本物だった。
そして最後の150m。
彼は、彼のその2つの足だけで、「世界最強」を真っ向から打ち倒した。
「本当にうれしい。これは僕の最初のワールドツアーレースでの勝利だった。僕はその瞬間をずっと待ち望んでいたので、もちろんそれは素晴らしい瞬間だった。今日は本当にエキサイティングなレースだった。最終的に僕はドゥクーニンクの2人に対して僕だけで立ち向かわざるを得なかった。僕は調子が良く、ジュリアンがアタックしたときについていけるとわかっていた。もちろん、それは簡単なスプリントではなかった。でも僕は自分ができると分かっていたし、自信があった」
ようやく実績がその実力に追い付いた瞬間だった。
もちろん、これはその「1勝目」に過ぎない。
大事なのは、ここにどれだけの実績を積み重ねられるかどうか。
しかし今回のこの勝ち方は、決してこの1発だけで終わるような勝ち方ではない。
自らの「力」によって勝ちきった、本物の強さを見せた勝ち方だったから。
ブノワ・コヌフロワ。
新たな時代の「フランスの英雄」になりうる男。
このあとも引き続き注目していきたい。
スポンサーリンク