たった一発のアタックで勝負を決めた。
ゴール前11.5㎞。最後の勝負所、チーマ・ガリステルナ。
とくに残り13㎞から12㎞までの平均勾配11%区間で、彼がアタックすることは誰もが予想していたに違いない。
それでも、誰も食らいつけなかった。
昨年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュで彼を突き放したヤコブ・フルサンも、今年のミラノ〜サンレモで食らいつけていたワウト・ファンアールトも、今回ばかりはこの攻撃を止めることができなかった。
2018年インスブルックも、2019年ヨークシャーも、共に最大の優勝候補の1人と目されながら、あまりにも活躍しすぎたツール・ド・フランスやシーズン全体の疲れが祟ったのか、大きな失望を味合わせるような結果しか生み出せなかった。
だからこそ、今回の勝利には、彼も思わず、涙を流した。
世界一アルカンシェルが似合う男。誰もがその姿を想像できていた男。
その男が、ついにその栄光を現実のものとした。
おめでとう、ジュリアン・アラフィリップ。
しかし、決して今回の世界選手権、彼は勝つべくして勝ったわけではない。
寧ろ、彼にとっては障害となる要素も多く、不安も付き纏い続けていた。
むしろ、もっともその勝利を期待され、実際もっとも強い走りをしていたのは、別の男だったようにも思う。
その男の名は、ワウト・ファンアールト。
ツール・ド・フランスでも観るもののの想像を超え続け、不可能を可能にしてきたこの男は、今回の世界選手権でもやはり強かった。
それでも、彼は敗北した。そしてジュリアン・アラフィリップが勝利した。
今回は、その「勝利」と「敗北」の理由とを、レースの展開を振り返りながら探っていきたい。
↓昨年の世界選手権の展開はこちらから↓
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ベルギーの完璧なるレース戦略
新城幸也を含む7名の逃げが序盤に生まれ、彼らに最大7分ほどのタイム差を許しながらゆっくりと展開していった今年の世界選手権。
優勝候補たちによる決定的な動きが巻き起こったのは残り40㎞。各周回最後の勝負所となるチーマ・ガリステルナ(登坂距離1.3㎞、平均勾配10.9%、最大勾配14%)の最後から2回目の登坂。
飛び出したのは、1週間前にツール・ド・フランスを制したばかりのタデイ・ポガチャル(スロベニア)であった。
今回の世界選手権はリエージュ〜バストーニュ〜リエージュやイル・ロンバルディアにも似た、クライマー向けのワンデーレース。
ワンデーレースでの実績としてはポガチャルよりもチームメートのプリモシュ・ログリッチの方が多いこともあり、この残り40㎞からの無謀とも言えるアタックは、先輩ログリッチに対するアシストとしての意味合いが強かった。
そして、決して無謀とは言い切れない怖さがポガチャルにはある。
誰もが冷静にデータだけで考えればログリッチの方が向いていることは明らかなため、すぐにはポガチャルを追いかけることはしなかったが、しかしこの22歳の青年はそういった常識を尽く打ち砕いてツールを制したばかりなのだ。
実際、最初は10秒弱しかなかったタイム差が、段々と30秒近くにまで開いていく。集団内の有力国たちも、いつまでもこれを放置しているわけにはいかなかった。
だから、グレッグ・ファンアーヴェルマートが自ら集団を牽いたり、数を揃えていたスペインチームがルイスレオン・サンチェスを出してきたりと、各チームのアシストたちが全力で彼を追走することになった。
最終的にポガチャルは残り22㎞、最終周回の1つ目の登りマッツォーラノ(登坂距離1.5㎞、平均勾配8.7%、最大勾配13%)で吸収されるも、彼のこの攻撃によって、強豪チームのアシストの足を削るという役割は十分に果たした。
特にベルギーチームはここでファンアーヴェルマートの足を削ってしまったことが、のちのち響いてくることに。
カウンターで生まれたいくつかの逃げ。
その中の1つにファウスト・マスナダ(イタリア)、リチャル・カラパス(エクアドル)、ペリョ・ビルバオ(スペイン)などの強豪選手たちが入り込んだ危険な逃げも生まれる。
だがベルギーチームはここにもしっかりとファンアーヴェルマートを入れてきた。当然、エースのファンアールトのために断固として牽かない姿勢を貫くファンアーヴェルマート。さらには同様に入り込んだヤン・ポランツ(スロベニア)も、集団に控えるプリモシュ・ログリッチのための重し役をしっかりと果たした。
そして追いかける集団の方ではティシュ・ベノートがきっちりとファンアールトの前で集団牽引。
これを吸収したあともギヨーム・マルタンによる攻撃などが繰り広げられるが、いずれもベノートが牽引したまま抑え込む。
そして残り13㎞の最後の勝負所チーマ・ガリステルナに突入すると同時に再びファンアーヴェルマートが先頭を支配し、他のライバル国の攻撃を生まないようにハイペースでガンガン牽引していく。
ここまでは実にベルギーにとって理想的な展開だった。
エースを張れる戦力をすべてアシストとして贅沢に使い、あらゆる攻撃を抑え込み、唯一絶対のエースたるワウト・ファンアールトをゴールまで連れていくこと。
ツール・ド・フランスでも2勝したこの男のスプリント力ならば絶対に勝てる、という見込みがベルギーチームにはあった。
ワウト・ファンアールトという、最強の男に対する絶対の信頼が、ベルギーという銀河系軍団を見事に一枚岩にしてくれたのである。
だが、この最強軍団に立ち向かったのが、「挑戦者」たるフランスであった。
「挑戦者」フランスの賭け
過去幾度となく優勝候補に挙げられてきたジュリアン・アラフィリップ率いるフランスチームだが、その代表監督たるトマ・ヴォクレールも、そしてアラフィリップ自身も、今回は自分たちが「挑戦者(outsider)」であることを認めていた*1。
優勝候補と言えるのはアラフィリップだけ。
2年前の世界選手権2位のロマン・バルデバルデやティボー・ピノ、ブノワ・コヌフロワらの姿はそこにはない。
代わりにケニー・エリッソンドやヴァランタン・マデュアス、カンタン・パシェ、ナンズ・ピーターズなど、実力派アシストたちが揃う、という印象だ。
しかしそれが逆に、明確な戦略に紐づいていたようにも思う。
アラフィリップを絶対のエースとし、彼のみで勝利を狙う。そのシンプルさが、彼らの走りを迷いのないものとした。
そして、アシストたちに守られ続けたアラフィリップが、最後の勝負所チーマ・ガリステルナで単身全力の攻撃を仕掛ける。
それに失敗すれば敗北を意味する選択肢のない賭けだが、フランスチームは全リソースを使ってそこにベットした。
それはフランスに唯一残された勝算であり、そしてアラフィリップに対する絶対の信頼であった。
そして彼はそれに応える。
残り12㎞。
チーマ・ガリステルナの最も勾配が厳しい区間で、グレッグ・ファンアーヴェルマートが牽引するハイスピードの集団の中から、まずはマルク・ヒルシ(スイス)がアタックを仕掛けた。ここにはすぐワウト・ファンアールトが食らいついたものの、これで彼はすべてのアシストを失ってしまった。
そして同様にこの動きに乗っかったアラフィリップが、登りの頂上まで300mを切ったところでカウンターアタックを仕掛ける。
彼の得意とする、急勾配でのアタック。
これに昨年を通じて彼のライバルであり続けたヤコブ・フルサンも反応しようとするが、やがてアラフィリップはこれを振り切った。
ワウト・ファンアールトも追撃を仕掛けることができず、やがてフルサンらと共に追走集団を形成することに。
山頂で5秒のタイムギャップを作ったアラフィリップは、得意の下りでこの差を15秒にまで広げる。
しかし下り勾配が緩まり平坦になると、疲れが見えてきたアラフィリップと、綺麗にローテーションを回す追走集団とのタイム差はじわりじわりと近づいていき、一時は10秒差に迫っていった。
しかし、問題は追走集団内にワウト・ファンアールトがいることだった。
ツール・ド・フランスにてステージ2勝を記録し、トップスプリンターたちに匹敵するスプリント力を持つ彼の存在は、追走集団内の他のライバルたちの足を止めるには十分すぎるものであった。
ベルギーチームにとって最大の武器たるファンアールトのその強さが、ことここに至って最大の障害となった。
逆にアラフィリップにとっては、フィニッシュでファンアールトと一緒にいたら負けるという確信があったが故に、あの登りで全てを犠牲にする賭けに出る必然性が生まれたのだ。
あの登りでアラフィリップに追いつけなかった時点で、ファンアールトにとっては敗北が決まっていた。
そしてアラフィリップにとっては、勝利の最大の理由となったのだ。
牽制状態に陥った追走集団を最終的には25秒も突き放し、イモラ・サーキットを駆け巡ったジュリアン・アラフィリップが、フィニッシュにやってくる。
いつもの、力強く右腕を振りかざす勝利のガッツポーズ。だがその思いに込められた感情は、この上ないものであった。
「人生において誰もが困難な瞬間をもつ。そこで倒れず戦い続けるための強さをもつ必要がある。僕は常にそれを持ち続ける努力をしてきたし、今日はそれが僕を助けてくれたように思う*2」
今年、父を亡くしたばかりのアラフィリップは、表彰台で流れるラ・マルセイエーズに包まれながら、その双眸から涙を零した。
「今日みたいな日には、僕は僕の周りにいてくれる人たちや僕のチームメートたちのこと、そして父を喪ったことについて考えてしまう。今年は本当に不思議な1年だった」
ファンアールトとヒルシ、それぞれが受け取ったもの
25秒遅れでフィニッシュにやってきた2位集団ーーワウト・ファンアールト、マルク・ヒルシ、ミハウ・クフィアトコフスキ、ヤコブ・フルサン、プリモシュ・ログリッチーーの中でスプリントが開始される。
まず動いたのはファンアールトで、ここにヒルシが食らいつくが、その加速には全くついていけなかった。
圧勝。しかしそれは、少なくとも彼にとっては虚しい勝利だったようだ。
「この2位を誇りに思うようになるにはまだ時間がかかりそうだ。ここには大きな期待を持ってやってきていたので、2つの銀メダルだけで終わってしまったという事実を受け入れるのは難しい。
単純に僕より強い2人の男に打ち負かされた、それだけであれば受け入れるのはそう難しくないけど、僕は勝つためにここに来ていたんだ。今年は例外的な年だったと思っている。僕は本当に調子が良くて・・・2位では満足できないよ*3」
自分でも驚くほどに調子の良いシーズンでいれただけに、こんなことはもう2度とないかもしれない、そんな焦燥感から出た言葉のようだ。
だが、それこそアラフィリップが経験してきたことであった。ずっと優勝候補であり続けてきた彼が、失敗を乗り越えて、ついに手に入れた勝利。
それこそ、アラフィリップの先の言葉は、父の死という状況を踏まえてのものであったとはいえ、今のファンアールトにとっても重要な言葉だと言える。
「人生において誰もが困難な瞬間をもつ。そこで倒れず戦い続けるための強さをもつ必要がある」
「今年だけ」という思いを抱くには彼はまだ若すぎる。
むしろ本当に強い姿を見せたこれからが、彼にとって本当に強くあり続けなければならないときである。
たとえば最終盤、誰もが彼の存在ゆえに牽制に入り、勝機を失った。
それは、強すぎた今年だからこその結果だったと言える。
この、徹底的にマークされる環境の中で、いかにして勝機を手に入れるか。
それがこれまでの、たとえばペテル・サガンのような男が成し遂げてきたことであった。
彼はその中で、3年連続の世界王者の座を手に入れているのだ。
今年のツールのファンアールトの走りは、サガン以上の才能を感じさせるものであった。そんな彼が、このあと2度と世界王者のチャンスを得られないなんてことはないだろう。
本当に重要なのはこれから。
焦らず、1年1年の実績を積み上げていこう。
そして、3位に入ったマルク・ヒルシは、自分の成し遂げたことへの素直な喜びと驚きとを語る。
「3位になったことは本当に嬉しい。それはまったく予期していなかったことだから*4」
わずか2年前にU23カテゴリでの世界王者を経験した彼は、1年後にクラシカ・サンセバスティアンの3位、そして今年、世界選手権の3位を手に入れた。
しかも、ツール・ド・フランスでの優勝と、2位、3位、そしてスーパー敢闘賞という栄誉と共に。
「ツールのあとこの世界選手権が来るのが早すぎたせいで、ここまで自分が成し遂げてきたことについて十分に吟味する時間が取れていない。このあともたとえば水曜日のフレーシュ・ワロンヌなど、大きなレースが控えている。シーズンを終えたあと、ゆっくりとその成果を噛みしめる楽しい時間が訪れるだろう」
最後のチーマ・ガリステルナで最初に仕掛けたのがヒルシだった。そしてこれが捕まえられても力尽きず、第2集団の中に残り続けた。
そして最後のスプリント。ファンアールトの背中にがっつりついて、その横に並びかけることはできなかったが、追い上げてきたミハウ・クフィアトコフスキをかわし、ギリギリで3位表彰台を守り切った。
彼はこの敗北を悲観的に捉えていない。むしろ、次から次へとこの状態でいろんなレースに挑戦していくことをこそ、楽しんでいる。
「多分、疲れてきて調子は落ちていくと思うけど、今はただこれらのレースを楽しみ、どんどん続けていきたい。同じように走り続け、進化し続けられるようにしたいと思っている」
思えば、ファンアールトもまた、2年連続3位で終わったストラーデビアンケを、今年ついに勝ち取ることができていた。
あのときの最初の3位も、次の3位も、ファンアールトは前向きに捉えていたはずだ。
ファンアールトとヒルシ。
これからの2020年代を担う若手たちの、さらなる進化を楽しみに見守っていこう。
そして改めてアラフィリップ、本当におめでとう。
モニュメントに勝ち、世界選手権にも勝った彼が、次に狙うはオリンピック、あるいは・・・全フランス人念願の、ツール・ド・フランス制覇。
「まだそのときじゃない。少なくとも短期的には自分のキャリアにおける目標としては置いていない。ここ数年はずっとこの世界選手権のことを最大の目標にしてきたのであって、ツール制覇という目標は頭の中にはなかった。今はまだ、この肩にかけられたアルカンシェルジャージを現実のものと感じられるようになるまでも時間がかかりそうだから」
もちろん、焦る必要はない。
それでも彼が今後また何度も挑戦し、挫折し、失敗し、それでも、最後にはその栄光を掴み取る瞬間を鮮やかに思い浮かべることができる。
それがジュリアン・アラフィリップという男だから。
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*4:Hirschi continues to impress with World Championships bronze | Cyclingnews