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「怪物」マチュー・ファンデルポールを打ち破った男、「小さな天才」トム・ピドコックの描き出す新時代の「イネオス」

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難攻不落の「怪物」を、わずか21歳の「小さな天才」が打ち破った。

それも、真正面から、純粋な力で。

スリッピーな重い泥を軽快に駆け抜けていく新時代の英雄に、全世界を震撼させ続けた25歳の男がなす術もなく突き放されていく。

 

「世代交代」というにはあまりにも早すぎるが、それこそが今の時代の混沌を象徴する事象であり、今年のロードレース界で吹き荒れたその風が、いよいよシクロクロス界にももたらされつつある。

そしてこの男、トム・ピドコックは、ロードレース界においても大きな可能性を持つ男であり、注目すべき男である。

 

今回はそんな2020年代の主役の1人、ピドコックについて語っていこう。

 

目次

 

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トム・ピドコックという天才

トーマス・ピドコック。通称トム・ピドコック。

1999年7月30日ヨークシャー生まれ。今年で21歳となる。

幼少期から自転車に乗り続けてきた彼は、生粋の自転車っ子。

2016年(17歳)にはシクロクロスのジュニア部門において国内、ヨーロッパ、世界のすべてのカテゴリで王者になり、圧倒的な力を見せつける。

さらに2017年(18歳)にはジュニア版パリ〜ルーベを制したうえでジュニア世界選手権個人タイムトライアルで金メダル獲得。

ロードレースの分野においても才能を発揮した。

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英国が誇る才能、約束された天才。

エガン・ベルナルやレムコ・エヴェネプールに続く若き世代の代表格として注目を集め続けてきた。

 

 

そんな彼が今年、2020年にはさらなる飛躍を見せる。

 

まずは年明け2月のシクロクロス世界選手権。

まだ20歳だというのにU23をすっ飛ばして挑んだエリートカテゴリでの世界最高峰の舞台で、「怪物」マチュー・ファンデルポールに次ぐ2位を記録。

同シーズンに一足先にエリートカテゴリに進み躍進していたエリ・イゼルビットを打ち倒し、期待通りの強さを発揮してみせてくれた。

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さらにロードレースの分野でも活躍。

8月末から開催された「U23版ジロ・デ・イタリア」ことベイビー・ジロ(ジロ・チクリスティコ・ディタリア)で圧倒的な強さを見せつけて総合優勝。

過去にもパヴェル・シヴァコフや今年イル・ロンバルディア3位のアレクサンドル・ウラソフなど、ツール・ド・ラヴニールに匹敵する才能の輩出しているこのベイビー・ジロでの勝利。

しかも、ただの総合優勝だけでなく、区間2勝。

それも総合2位に2分25秒、総合3位に5分54秒差をつけるという圧倒的すぎる勝ち方。

これまでシクロクロスやパリ〜ルーベへの適性から、スプリントや石畳、あるいはTTといった分野に強いルーラー的なイメージを持っていた彼が、このベイビー・ジロでの勝利でクライマー、オールラウンダーとしての才能も十分にあることが判明。

そもそも身長157cmに体重58kg*1。完全にクライマー向きな軽量級の身体を持っている中で、むしろシクロクロスやルーベでこれほどの成績を残せる方が不思議なくらいであった。

 

そしてさらに、今年のU23マウンテンバイク・クロスカントリーでも世界の頂点を取る。

ロード、シクロクロス、マウンテンバイクと、あらゆる分野で最高峰の走りを見せる、まさに「自転車の天才」。

 

そんな彼が、ついにシクロクロスの分野で世界最強の「怪物」を打ち倒した。

 

 

彼の名はマチュー・ファンデルポール。

彼もまた、ロード、シクロクロス、マウンテンバイクという3つの分野で世界の頂点をモノにしてきた男である。

 

 

マチュー・ファンデルポールという怪物

マチュー・ファンデルポールは、ツール総合表彰台8回の伝説的名選手レイモン・プリドールの孫、ロンドとLBLを共に制した超一流クラシックハンターのアドリ・ファンデルポールの息子として、ベルギーのアントウェルペン州で生を享けた。

その才能を最初に発揮したのはシクロクロスであった。

彼がまだ17歳であった2012年、そしてその翌年と2年連続でシクロクロスのジュニア世界選手権を制する。

さらにこの2013年には、ロードレースのジュニア世界王者に。

そして2015年には弱冠20歳にしてエリートのシクロクロス世界王者に。今年20歳で世界選手権「2位」のピドコックを超える成績を叩き出していた。

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彼はまた、ピドコック同様にロードレース、マウンテンバイクも世界トップクラスの実力を誇っている。

2018年にはロード・シクロクロス・マウンテンバイクの3種目全てでオランダ王者に輝き、ロードレースに本格参入した2019年にはドワースドール・フラーンデレン優勝、ロンド・ファン・フラーンデレン4位、ブラバンツペイル優勝、そしてアムステルゴールドレースにおける衝撃的な勝利を披露して強烈な印象を残した。

そのままマウンテンバイクシーズンに突入したファンデルポールは、マウンテンバイク界の生ける伝説ニノ・シューターをついに打ち破りワールドカップで3勝、さらにはヨーロッパ選手権でも勝利する。

 

そして2020年。3度目のシクロクロス王者になったばかりのファンデルポールは、長い中断期間を経て、いよいよ秋の「春のクラシック」へと参戦する。

ヘント〜ウェヴェルヘムではワウト・ファンアールトとの牽制合戦により勝機を失った彼は、前年4位の「クラシックの王様」ロンド・ファン・フラーンデレンにて、ファンアールトとの一騎打ちを制し見事優勝を成し遂げる。

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来年はいよいよグランツールへの挑戦が確実視されており、今年中止になってしまったパリ〜ルーベへの初参戦や、東京オリンピックにおけるマウンテンバイク金メダルも期待されている。

 

 

そんな「自転車の天才」マチュー・ファンデルポールは、本家シクロクロスでも変わらず無双し続けている。

 

2018-2019シーズンは国内・ヨーロッパ・世界選手権全制覇に加えて34戦中32戦という圧倒的な勝率を誇る。

ロード・マウンテンバイクで次々とタイトルを獲得した2019年はさすがに疲れが溜まっていたのかシクロクロスへの参戦はかなり遅めになったものの、それでも25戦中24勝とやはり圧倒的。

さすがに今年は10月後半まで全力で走り続けていた中で、前年までのような走りは難しいんじゃないかとも予想されていた。

しかし12月12日、X2Oトロフェー第3戦アントウェルペンで今季シクロクロス初参戦を果たしたファンデルポールは、早速強さを見せつけて優勝。

シクロクロス界の若き新星エリ・イゼルビットも食らいつく中で圧勝とまではいかなかったものの、それでも何度となく独走状態に入るなど、終始レースをリードして存在感を発揮していた。

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やはり今シーズンもこの「怪物」がシクロクロス界を席巻してしまうのか。

そんな予感を強く感じさせた初戦の翌日。

12月13日のスーパープレステージ第6戦ガーフェレ。

 

ここで、思いがけない展開が待ち受けていた。

 

 

スーパープレステージ第6戦ガーフェレ

シクロクロスの3大シリーズ戦と呼ばれる重要なレース群の1つ、スーパープレステージ。

全8戦あるうちの6戦目となるレースが、ベルギー・オーストフラーンデレン州の街ガーフェレで開催された。

 

ガーフェレ郊外の森の中。非常にスリッピーな泥の路面はグリップが効きづらく、登りでも下りでも常に神経を使う必要がある。

さらにその泥は重く粘性で、コース途中に2箇所あるバイク交換エリア(ピット)では毎回、あるいは少なくとも周に1回はバイク交換を行わなければまともに走れないほど。

非常に難易度の高いこのコースで、前日のアントウェルペンを勝利したマチュー・ファンデルポールはこの日も序盤から集団の先頭でペースメイク。

3周目には先頭は3名に。

ファンデルポールに元ベルギー王者のトーン・アールツ、そしてトム・ピドコックの3名だ。

 

しばらくはバイク交換タイミングの判断ミスなどもあり、ファンデルポールとアールツの猛攻にピドコックが遅れる場面も多々見られていく。

後半戦に入るとファンデルポールのペースが一段増していき、ついにはアールツも振り落とされ、先頭はファンデルポールとピドコックだけに。

そのピドコックも、ファンデルポールのハイ・ペースに、かろうじて食らいついている様子でもあった。

 

前日のアントウェルペンでも、終盤で後続から追い上げながらも先頭のファンデルポールとイゼルビットには追いつくことができなかったピドコック。

今日のこの日も、健闘虚しく惜しくも2位、という結果に終わってしまうのかーー。

 

 

と、思っていた中。

6周目。最後から3周回目となるこのラップで、ふいにピドコックが前に出てペースを上げ始めた。

当然、ファンデルポールもそこに食らいついていく、はずだったが、スリッピーな路面にタイヤが暴れ、うまく加速できない。

その間に開いた、危険なギャップ。

すぐさまこれを埋めるべくペダルを回すファンデルポールだったが、その踏み込みは重く、軽やかに突き進むピドコックとのタイム差が少しずつ開いていった。

 

 

まさか、の展開であった。

 

この日の序盤でも、たしかにピドコックが独走する場面もあった。

しかしそれはすぐさま捕まえられ、そのあとは常にファンデルポールがペースを作っているように見えていた。

 

しかし今、苦しんでいるのはファンデルポールの方だった。

無敵を誇った25歳の英雄が、21歳の新星に突き放され、必死にこれを追走していた。

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これは、マチュー・ファンデルポールの不調だったのか?

例年以上に厳しいシーズンを終え、久々のシクロクロス参戦の2連戦目ということで、前日の疲労と合わせ、思い通りの走りができなかったためなのか?

しかし、ファンデルポールとそれを追走するトーン・アールツとのタイム差は縮まるどころかむしろ開いていく。

ただただ、ピドコックとファンデルポールとのタイム差が開いていくだけなのだ。ただただ、ピドコックが強すぎるのだ。

 

 

そして、最後までそのギャップが埋められることなく。

最後のストレートに現れたピドコックの表情には早くも笑顔が溢れ、振り返り、コーナーの先からいつまで経ってもファンデルポールの姿が現れないことを悟って、信じられないというふうに顔を震わせた。

最後は上体を起こし、胸のスポンサーと英国王者の証を誇示するかのようにフィニッシュ。

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彼にとって初のエリートカテゴリでの勝利であり、英国人として初となる3大シリーズ戦勝利となった。

 

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この一戦で、時代が変わったとは言わない。

ファンデルポールは無敗の男ではなく、ピドコックが彼を倒す素質は十分すぎるほどにあった。

翌週のレースではファンデルポールがいつものように圧倒的な出力でピドコックたちを突き放して勝利する姿もまざまざと思い浮かべられる。

 

しかし、時代が動いているのは、間違いない。

そしてこの男が来年、イネオス・グレナディアーズの一員として、ロードレース界のトップリーグにいよいよ姿を現すのである。

 

 

イネオスの新時代

今年、イネオス・グレナディアーズもまた、変化の時期を迎えていた。

 

3月、新型コロナウイルスの猛威が広がる中、突如届けられたチームの支柱ニコラ・ポルタルの訃報。

2012年から2019年、まさにスカイ/イネオスの黄金期とも言える時期のツール・ド・フランスを指揮した名監督であり、選手たちからの信望も厚い人物であった。

www.cyclowired.jp

 

彼の喪失は想像以上のダメージをチームにもたらしたのか、新型コロナウイルスによる長期レース中断を明けた直後の「ツール・ド・フランス前哨戦」たちでプリモシュ・ログリッチ率いるユンボ・ヴィズマ軍団に完敗。

クリス・フルーム、そしてゲラント・トーマスを欠いたメンバーで挑んだツール・ド・フランス本戦ではまさかのエガン・ベルナル途中リタイアという憂き目に。

 

その後ジロを目指したゲラント・トーマスも決して万全ではない状態で本番を迎え、不運の末に早期リタイアと相成った。

ブエルタ・ア・エスパーニャに挑んだクリス・フルームは最後までコンディションが戻らず、まさかの「獲得UCIポイント0」のシーズンを終えることとなった。

 

 

フルーム、トーマス、ベルナル。かつてこのチームでツールを制した英雄たちすべてが失墜する中、「スカイ/イネオスの10年」がまさに終わりを告げた、そう思わせるような結果だったとも言える。

 

 

いや、本当にそうだったのか?

そうではない、と告げたのが、このチームの若き世代たちであった。

 

ジロ・デ・イタリアではトーマスが離脱した後に急遽エースを務めたテイオ・ゲイガンハートが大躍進を遂げ、ジロを制覇。

さらにはイタリア人のフィリッポ・ガンナがTT3勝を含む全4勝。

カラパス、カイセドと並びエクアドル人の星たるジョナタン・ナルバエスも勝利を飾り、このジロでイネオスは全7勝を占めることとなった。

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さらにはブエルタ・ア・エスパーニャでは、昨年のジロの覇者リチャル・カラパスが、今年最強の男プリモシュ・ログリッチに最後の最後まで食らいつき、最後はわずかに届かずの総合2位。

2010年代のスカイ/イネオスの「帝国」を築き上げてきた英雄たちが不在のグランツールにて、20代前半を中心とした若き世代たちが、新たな2020年代の「帝国」の礎を築き上げんとしていた。

 

そんなイネオスに、トム・ピドコックはやってくる。

ベイビー・ジロの覇者。U23マウンテンバイク・クロスカントリー世界王者。

そしてマチュー・ファンデルポールを打ち倒した男として。

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彼がまた、この「新時代のイネオス」の中心となることは間違いないだろう。

エガン・ベルナル、テイオ・ゲイガンハート、パヴェル・シヴァコフ、イヴァンラミーロ・ソーサ、あるいはエディ・ダンバーなど。

若き才能の集うこのイネオス新世代の中でも、特異な存在として、ピドコックはどんな走りを見せてくれるのか。

 

 

最後に、9月末の世界選手権の直後に答えている彼のインタビューについて確認しておこう。

そこにこれからの彼の走りのヒントが隠されているように思える。

www.wielerflits.nl

 

「U23版パリ~ルーベには確かに勝ったけれど、僕は自分のことをクライマーだと思っている。クラシックでうまくいっているのは、単純に純粋なロードレーサーよりも技術面で優れているからに過ぎない。パリ~ルーベは単純にパワーだけのレースではない。石畳の上でパワーをペダルに伝える特別な技術が必要なんだ」

 

「短期的には、僕はストラーデビアンケのようなレースに向いているように思える。パリ~ルーベは、すなわちエリートクラスのそれは、70kgから80kgの体重のある選手たちに有利であり、彼らは僕よりもずっと大きなパワーを発揮することができる。でもまあ、そんな彼らに僕がどこまで通用するのか、確かめてみることはとても面白そうだよね」

 

でも僕が一番大好きなのはツール・ド・フランスだ。それは僕にとって常に最大のレースであり続けている。実際、イギリスのテレビで観ることのできるまともなレースはこのツール・ド・フランスだけだったのだから」

 

シクロクロスの世界選手権と、ツール・ド・フランスと、その両方を同じ年に勝つことができたとしたら、それはとてもクールで最高なことじゃない? もちろんそのためには、週に1時間のシクロクロスのためのトレーニングよりもずっと複雑ないろんなトレーニングをしていかなければならないだろうけれど」

 

 

彼が見据えているのはすべてのロードレーサーの目指すべき頂点である「ツール・ド・フランス制覇」。

そしてその夢は、「新時代のイネオス」を背負う男として、実に相応しい夢である。

 

 

英国初のワールドツアーチーム、スカイ/イネオスの帝国は決して崩れてなどいない。

それは、アダム・イェーツやテイオ・ゲイガンハート、そしてこの、トム・ピドコックという男を中心として、2020年代に再び息を吹き返すことになるだろう。

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小さな天才。

そして、新たなる英国の英雄。

 

トム・ピドコック、ロードレースにおけるその伝説が、いよいよ幕を開ける。

 

 

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*1:このデータは古いデータの可能性もあるので注意。最新の情報では171cmまで身長が伸びているという話も。

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