あまりにもあらゆることが起こりすぎた夏の1日。最後に勝ったのは、絶好調のユンボ・ヴィズマを振り切った、アスタナのエースだった。
昨年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュに続く2つ目のモニュメント制覇。
文句なしの栄光を、その両手を広げて存分に味わった。
だが、もちろん、強かったのは彼ーーヤコブ・フルサンだけではない。
2vs1の状況にも関わらず、最後の最後まで果敢にアタックをし続けた男、ジョージ・ベネットももちろん強かったし、彼を焦らせる要因となった最高のアシスト、アレクサンドル・ウラソフももちろん強かった。
敗北したトレックの3名ももちろん強かったし、レムコ・エヴェネプールの強さは誰もが同意することだろう。
そしてこの7名だけでなく、これを追走し続けた5名の男たちもまた、それぞれに強かった。
さらに言えば、この12名を先頭に送り出すために力を使い果たしていったアシストたちもまた、皆強かった。
勝った選手だけが強いわけではない。
勝った選手だけが注目されるべき選手なのではない。
今回はこの、「新緑のクラシック」について、その最後の70㎞、2時間に及ぶ激戦を詳細に振り返りつつ、各種インタビューなども参考に、栄光を巡って闘った「12名」の雄姿を確認していきたい。
今年のイル・ロンバルディアを読み解く1つの鍵となれば幸いだ。
↓コース詳細や注目選手などは以下の記事を参照↓
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残り50㎞:「壁」の頂上まで
残り72㎞。イル・ロンバルディアの「スタート地点」、マドンナ・デル・ギザッロの登りに突入した時点で、11名の逃げ集団とメイン集団とのタイム差はすでに10秒程度にまで縮まっていた。
集団の先頭を牽引するのはドゥクーニンク・クイックステップ。「優勝候補」レムコ・エヴェネプールを含めた6名が先頭を陣取り、早くも集団を絞りにかかっていた。
クイックステップもこのマドンナ・デル・ギザッロ、そして続くコルマ・ディ・ソルマーノで勝負を決めにかかろうとするかのように、アシストを1人、また1人と犠牲にしていき、残り69㎞を切った時点で先頭にはドリス・デヴェナインスただ1人となっていた。
そしてこのデヴェナインスがここから実に17㎞に及ぶ大牽引を見せつけてくれたのである。
今年37歳の大ベテラン。昨年はジュリアン・アラフィリップのアルデンヌ・クラシックやツール・ド・フランスでの活躍を支え続けた、「山岳版トラクター」。
若手アシストと共にいることの多いエヴェネプールにとっては、実際的なアシスト以上に多くのことを学ばせてくれるこの先輩が、この日は最高のアシストとして活躍してくれた。
彼の走りによって11名の逃げはすべて吸収され、集団も50名程度にまで絞り込まれ、そしてアスタナ・プロチームもヤコブ・フルサンを含む3名にまで数を減らしていた。トレック・セガフレードからも、先日のミラノ~サンレモ終盤で強力なアタックを見せてくれたジャンルカ・ブランビッラが零れ落ちていく。
そして残り 52.5km。いよいよ最初の勝負所「ムーロ・ディ・ソルマーノ」に突入する。登坂距離1.9km・平均勾配15.8%・最大勾配27%という「不可能の怪物」。
この凶悪な登りを前にして、いよいよデヴェナインスがその仕事を終える。
と、同時に集団の前に出てきたのが、アスタナ・プロチームのネオプロ、ハロルド・テハダ。昨年のU23コロンビア国内選手権ロードレース・TT王者であり、ツール・ド・ラヴニールでも1勝。
今年からアスタナ・プロチーム入りを果たし、先日のモン・ヴァントゥー・デニヴレ・チャレンジでは、アレクサンドル・ウラソフの優勝を強力にサポートしながら自らも6位に入る活躍をしてみせたコロンビア期待の新星の1人である。
そしてこの若手の牽引が終了したあと、先頭を担ったのがこれもまた若手のアレクサンドル・ウラソフ。今年24歳。
とはいえ、彼はすでに2年前のU23版ジロ・デ・イタリア(ベイビー・ジロ)で総合優勝しており、昨年はロシア国内選手権エリート部門のロードレースで優勝。今大会もロシアナショナルチャンピオンジャージを着用しての参戦だった。
そして今年はツール・ド・ラ・プロヴァンス区間1勝と総合2位、ルート・ドクシタニー総合3位、モン・ヴァントゥー・デニヴレ・チャレンジ優勝、グラン・ピエモンテ4位と絶好調のままにやってきたこのイル・ロンバルディア。
まずはロンバルディア最難関地点ムーロ・ディ・ソルマーノにてその実力の高さを存分に発揮し、集団はみるみるうちに破壊されていく。
「壁」の最初の1㎞で、集団はわずか12名に。
さらにウラソフの牽引は続き、優勝候補の1人だったマキシミリアン・シャフマン、マチュー・ファンデルポール、マイケル・ウッズ、リチャル・カラパス、ラファウ・マイカ、そしてディエゴ・ウリッシまでもが力なく遅れていく。
集団先頭はウラソフ、フルサン、エヴェネプール、ジョージ・ベネット、そしてバウケ・モレマ、ヴィンツェンツォ・ニバリ、ジュリオ・チッコーネの計7名だけ。
しかもここからさらにモレマ、ニバリが遅れかけていく。
最終盤まで人数的には最も有利と思われていたトレック・セガフレードだったが、内情としてはかなり早い段階でボロボロの状態だった。
さらにこの頂上付近で、2人が遅れかけているのを目にしたジョージ・ベネットが追い打ちでペースアップを図っている。
このベネットの攻撃は実らなかったものの、それでも、限界ギリギリを走っていたモレマとニバリの足にかなりのダメージを食らわせる結果にはなっただろう。
かくして、2020年イル・ロンバルディアの第一幕が波乱と共に幕を閉じる。
例年、このソルマーノの壁で決定的な逃げ切り集団が生まれるというパターンは決して多くはなかったが、今年はかなり早い段階で集団の絞り込みがかかり、そしてこの「壁」で事態は決定的なものとなった。
そのきっかけを最初に作ったのは間違いなくドゥクーニンク・クイックステップ。そしてそのエース、レムコ・エヴェネプールにとって、この状況は十分に理想的なものであった。
このあとの悲劇さえなければ。
悲劇の谷へ
アスタナ2名、トレック3名、ジョージ・ベネット、そしてレムコ・エヴェネプールで越えた「ソルマーノの壁」の頂上。
「壁」に入ってからはアスタナに主導権を握られ続けていたエヴェネプールはここで反撃に出る。
ソルマーノの急勾配かつテクニカルな下り。ここを20歳の若者は果敢にも先頭に出てプッシュし続けた。
それはもしかしたら、誰かのラインに入るよりもむしろ、自分のペースで走れることの方が安全だと考えていたのかもしれない。
しかし時折膨らむ瞬間があるなど、やや、悲劇の前兆が見え隠れする走りだった。
残り47㎞。2.5kmに渡るダウンヒルでの攻撃の結果、後続を引き離すことは不可能だと悟ったエヴェネプールは一旦、ポジションを下げた。
先頭は再びウラソフに。そしてその頃、集団の後方では、ヴィンツェンツォ・ニバリがバウケ・モレマに何かを囁きかける仕草を見せていた。
そして残り46.3㎞。
世界最高峰のダウンヒルスペシャリスト、ヴィンツェンツォ・ニバリが、満を持して集団の先頭に飛び出した。
バイクカメラすら必死で逃げることに専念しないとならないほどの圧倒的な降下。
この走りが、20歳の若き青年の悲劇を招くこととなった。
その瞬間、エヴェネプールは、ブレーキをかけていたこともあるのだろうが、すでに6名から少し離されていた。
焦りが、不要なオーバーランを生んでしまったのかもしれない。
それでも、コース際ギリギリのラインを取れてはいた。
しかし、不運なことに、そのラインの終端は行き止まりだった。
橋に接続される瞬間の、わずかに狭くなるポイント。
そこに前輪をひっかけたエヴェネプールは空中を一回転し、欄干に一度身体をぶつけてから、 数メートル下の大地に叩きつけられた。
ベルギーの新聞のインタビューに答えて、ドゥクーニンク・クイックステップのGM、パトリック・ルフェーブルは次のように語る。
「彼のシーズンがどうなるかだって? そんなことはどうでもいい。まったくもってどうでもいい。彼がまだ生きている、そのことだけが何よりも嬉しい。彼は今シーズン、テレビを見る機会が多くなることだろう。彼は私に行った。『ごめんなさい』と。私は彼に言った。『君はまだ生きている。それ以上何も言うな』」
「事態はもっと最悪なものになっていた可能性はいくらでもあった。この下りの危険性について何度もUCIに訴えてきていたが、何一つ変わらなかった。もう何も話したくはない。
正直なところ、私たちはこの1週間の間に2人の死を経験する可能性すらあったのだ。レースは勝つことが最も重要だと言う人もいるかもしれないが、コース脇のバリアや渓谷に飛び込む選手の姿を目にしたときにはもう何も言えなくなるだろう。それはただ、ただ無意味なだけだ*1」
このイル・ロンバルディアの下りでは、過去にも数多くのライダーたちがコース外に飛び出す事故を経験している。
ヤン・バークランツ、ローレンス・デプルス、シモーネ・ペティッリ、ダニエル・マルティネス――2017年だけでも、これだけの数の選手が犠牲になっている。
ドゥクーニンク・クイックステップのスポーツディレクター、ダヴィデ・ブラマティも次のように語った。
「この下りが危険すぎるのかどうかは私にはわからない。この下りはこれまでもずっと使われ続けてきて、数多くの落車があった。一方で、落車とはまた、サイクリングの一部でもある。私たちはレムコの下りについてもう一度分析をして、私たちがやるべきことをやっていくしかないと思っている*2」
一方で、レースは続く。
同じように命を懸けて走り続ける先頭の6人。
そして、彼らを追いかける「5人」もまた、決して勝負を諦めたわけではなかった。
かくして、戦いは最後の37㎞に突入していく。
チヴィリオ
先頭6名――ヤコブ・フルサン、アレクサンドル・ウラソフ、バウケ・モレマ、ヴィンツェンツォ・ニバリ、ジュリオ・チッコーネ、そしてジョージ・ベネット――がソルマーノの下りを終え、次の(そして例年最後の)勝負所「チヴィリオ」に至るまでの15㎞におよぶ平坦区間に突入する。
平坦区間と言いつつも、実際にはいくつもの小刻みなアップダウンが連続し、その中で過去2度の優勝者ヴィンツェンツォ・ニバリが遅れる姿が何度か見られた。
「ラスト50㎞はずっと足が攣っていた*3」というニバリ。チームカーを呼んでボトルをもらう際に少し推進力を得る場面や、集団の後ろまで下りてきたベネットの背中を押して「俺回れない」という意思表示をする場面など。
かと思えば集団の前まで上がってきて前を牽いていたチッコーネに声をかけ、その後再び集団の先頭をアスタナの2人が牽く場面が見られるなど、全体的にペースを落としてなんとかついていこうとする意地が感じられた。
そうこうしているうちに、先頭6名を追いかける5名の追走集団――ラファウ・マイカ、マキシミリアン・シャフマン、リチャル・カラパス、ディエゴ・ウリッシ、マチュー・ファンデルポール――の中から、ファンデルポールが単独で抜け出す場面も。
画面上に表示されたタイムギャップが本当に正しいものであったならば、一時は先頭6名に20秒差にまで詰め寄ったマチュー・ファンデルポール。
たしかにソルマーノの壁では遅れていった彼ではあるが、その後この追走集団に追い付いて、ここでまた単独で先頭への合流を果たしかねない走りを見せていたマチュー。
最終的にも10位。これからの無限の可能性を感じさせる走りであった。
そして残り22㎞。
再びマチューを吸収した追走集団とのタイム差が1分を割った瞬間もありながら、いよいよ先頭6名がチヴィリオに突入する。
ここでニバリが集団の先頭に躍り出た。先ほどまでも何度か前に出る場面はあったもののやはり足が動かないのかすぐ交代をする姿を見せていたニバリだったが、このチヴィリオでいよいよ覚悟を決めたようだった。
一度チームカーに戻ってモレマとチッコーネのためのドリンクを受け取り、彼らに渡したあと、イタリアの英雄は前年王者とイタリアの若き才能のために前を牽き続けることにした。
「バウケとジュリオが僕よりもずっと調子が良さそうだったので、彼らのために働くことにした*4」
だが、数で勝るはずのトレック・セガフレードが今や限界であることに気づいたリエージュ~バストーニュ~リエージュ覇者が、ここで止めの一撃を繰り出す。
残り19.5㎞。チヴィリオ山頂まであと3㎞。
ヤコブ・フルサンが、アタックを仕掛けた。
「チヴィリオの登りで僕は僕と僕のチームメートにとって最も良いペースをキープしようと思っていたんだけど、レースが動き出してしまうともう、どうしようもなかった*5」
崩れ落ちる2015年・2017年覇者。
2019年覇者バウケ・モレマも、チッコーネの背後で腰を上げ、フルサンの攻撃に反応しようとする素振りを見せる。
だが、すでにソルマーノの壁においても遅れかける姿を見せていたディフェンディングチャンピオンは、結局腰を上げるだけでチッコーネの前に出ることも叶わず、引き離されていく。
フルサンの攻撃に反応できたのは、ジョージ・ベネットただ一人であった。
チッコーネものちにアタックを繰り出すが、後続に控えていたアレクサンドル・ウラソフにいとも簡単に捕まえられたうえに、もはやチッコーネも限界だと悟ったウラソフによって一瞬で突き放されてしまった。
結局この日、ニバリも、モレマも、チッコーネも、先頭3人には敵うことができなかった。
ただ、ソルマーノの壁も先頭で越えられていたことからも、この3名がこの日決して弱かったわけではなく、むしろどのチームよりも強かった。
ただ、それ以上に先頭に躍り出た3人が強すぎただけなのだ。
トレック3人を薙ぎ払ったウラソフが、あっという間に先頭2名に追い付く。
そしてすかさず先頭を牽き始めるウラソフ。追走を仕掛けるチッコーネとモレマに15秒以上のタイム差をつけながら、ウラソフはチヴィリオの登りを全力で牽引し続けた。
しかも、頂上まで残り200mで一度は脱落しかけたウラソフも、結局その後再びペースを取り戻し、チヴィリオの下りに突入する直前に再度合流している。
「最後の勝負所」のはずのチヴィリオの登りで、なおも先頭は3名。
フルサン、ウラソフ、ジョージ・ベネット。
ベネットにとっては圧倒的不利な状況で、ラスト16㎞に突入する。
最後の16㎞
その頃、先頭から2分13秒遅れの追走集団から、マチューとは別の人物が単独で抜け出す場面を作っていた。
彼の名はマキシミリアン・シャフマン。元クイックステップで、昨年からボーラ・ハンスグローエ。昨年はアルデンヌ・クラシック巧者というイメージだったが、今年はまさかのパリ~ニース総合優勝。
そしてレース再開後もストラーデビアンケ3位に入るなど絶好調の走りを見せていた彼は、ムーロ・ディ・ソルマーノで遅れる姿を見せたものの、こうして追走の5名の中に入り込み、しかもそこから単独で抜け出すだけの足を残していた。
彼の加速は素晴らしく、このペースならば先頭からずるずると遅れていたヴィンツェンツォ・ニバリをかわし、TOP6に食い込むことすら可能だったかもしれない。
だが、そんな彼にも悲劇が訪れる。
フィニッシュまで残り3㎞に迫っていたポイントで、彼は、突如コースに乱入してきた一般人の車によって前を塞がれ、全身でそこに衝突してしまう。
そのまま彼は強い精神力でもって7位のままゴールすることに成功するが、その鎖骨は折れており、目前に迫っていたドイツ国内選手権およびツール・ド・フランスへの出場に暗雲が立ち込めることとなった。
エヴェネプールを襲った悲劇に続く、第二の悲劇。そしてまたこれは、レースとはまったく関係ない理由で起きた事故であり――1年前、同じ舞台で巻き起こったエド・マースのあまりにも悲惨な事故の繰り返しですらあった。
UCIはイル・ロンバルディアの主催者RCSスポルトに対し、懲戒委員会への提出も視野に入れた調査を開始したことを発表している。
そして、今や先頭3名を追いかける「追走」となってしまったジュリオ・チッコーネとバウケ・モレマ。
すでにソルマーノの壁で限界を見せていたモレマはここで、チッコーネのために前を牽く選択をする。
しかし、やはりもう、その身体はボロボロで集中力を欠き始めているのか、チヴィリオからのテクニカルな下りでオーバーラン仕掛ける姿も。
しかも2度目のオーバーランの結果、立て直そうとギアを変えて加速し始めようとした瞬間にチェーンが落ちかけるという事態も。
大きなタイムロスとなったモレマを、チッコーネもまた足を止めて待ち続ける。
あくまでもエースがモレマ? いや、チッコーネもまた、1人で先頭を追いかけられるような余裕がなかったことの表れだろう。
実際に、モレマも随分と前を牽いていたにもかかわらず、最後はチッコーネよりも21秒早くフィニッシュしている。
結局、この日のトレック・セガフレードは3人とも先頭に入れるだけの強さを発揮しつつも、その中でも最も強かった3名には全くもって届かなかったのだ。
その「最強の3人」が、最後の戦いを始める。
残り8㎞から始まる「最後の登り」サンフェルモ・デッラ・バッターリア。
例年であればほぼチヴィリオで最後の勝負が決まり、このサンフェルモの登りではただ通過するだけに終わるところを、今年はこの登りまで勝負がもつれ込むこととなった。
最初に仕掛けたのはジョージ・ベネットだった。サンフェルモ突入直後にアタック。この攻撃にアレクサンドル・ウラソフはたまらず遅れていくが、ヤコブ・フルサンは当たり前のように食らいついてきた。
ベネットは背後に張り付いたフルサンに「牽けよ」と肘でジェスチャーを送る。
が、もちろん直後にまだウラソフが残っているフルサンが牽くわけはない。ここでもし、ウラソフが圧倒的に遅れ、25秒差で追いかけてくるトレックの2人に抜かれるようなことがあれば、フルサンもまた、積極的に前を牽く必要が生まれたことだろう。
だが、ウラソフはベネットに突き放された後もなお、一定の間隔を保ったまま耐え続けていた。
だから、フルサンもベネットの背中に張り付いたまま、彼にプレッシャーを与え続けることができていた。
だからこそ、ベネットは仕掛けるしかなかった。
彼にはもう、選択肢が残されていなかったのだから。
ジョージ・ベネット、2度目のアタック。ゴールまで残り7.5km。
しかしフルサンは全く離れない。ウラソフもまた、2人からわずか3秒しか遅れていない。
残り6.9km。ジョージ・ベネット、3度目のアタック。
しかしもうキレがない。
残り6.6km。ベネットの4度目のアタック。
これに難なくついていったフルサンは、ここで容赦ないカウンターアタックを繰り出した。
「私はスプリントで勝負するつもりだった。だけど、ベネットが2度目のアタックを繰り出したとき、私は自ら行くことに決めた*6」
勝負は決まった。
プロ12年目のデンマーク人が、キャリアで2つ目のモニュメントを掴み取った。
「ウラソフが今日のカンピオーネだ。彼の走りが今日の私の勝利の最大の要因だった*7」
その「カンピオーネ」が、先頭フルサンから51秒遅れ、そしてベネットからはわずか20秒遅れで単独でフィニッシュラインにやってくる。
その右手には小さなガッツポーズ。
この日の「最強」はフルサンだけでなく、この24歳の若きロシア人にも与えられるべき称号であることは間違いない。
なお、そんなウラソフは、この激戦から3日後の8月18日、同じイタリアで開催された「ジロ・デッレミリア」にて、サン・ルーカの激坂を乗り越えて見事な優勝を果たしてもいる。
やはり、ロンバルディアの強さはまぐれではなかった。この男、ウラソフは、これからの2020年代の中心となる男であることは間違いなさそうだ。
かくして、戦いは終わる。
最後に残ったのはヤコブ・フルサンの勝利、ジョージ・ベネットの惜敗、そしてトレック・セガフレードの惨敗――といったリザルトだけだ。
しかし、その背後に隠されている各チームのアシストや敗れていった者たちの走りについてもまた、注目されるべきものが数多く残されていた。
その1つ1つを、少しでも言葉にできているならば幸いである。
一方で、このレースをただ単に「良いレースだった」と片付けることができない理由も数多くあった。
悲劇が悲劇として繰り返されないように願うとともに、強き者たちへの賛美と、傷つけられた者たちへの祈りと。
そして、命がけでたった1つの栄光を目指して走るすべての選手たちへの敬意を。
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