りんぐすらいど

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日本人33年ぶりの快挙! 梶原悠未のマイヨ・アルカンシェルがもたらす意味とは?

 

ついに、このときが来た。

日本のトラック競技・・・いや、日本の自転車界における最高の逸材である梶原悠未(22=筑波大学)が、ベルリンで開催されていた世界選手権オムニアム種目で頂点を掴み取った。

日本人としては実に33年ぶりのマイヨ・アルカンシェル(世界王者)。そして、よりロードレースに近いとされる「中距離種目」においては、日本人史上初となる快挙であった。

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今回は、梶原のここまでの軌跡を振り返りつつ、今回のこの勝利がもたらす、「ロードレース界に対する意味」を、確認していきたいと思う。

トレックレースについてはてんで素人である筆者なので、認識の間違いなどもあるかもしれず、その場合はぜひご指摘いただけると幸いだ。

 

 

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梶原悠未の軌跡

梶原悠未(かじはらゆうみ)は1997年4月に埼玉県で生まれる。

中学時代までは水泳をやっていた彼女は、高校では「まったく違う種目をやってみよう」と思い、自転車部顧問の先生の話を聞いて自転車競技に出会う。

 

最初は高校3年間だけやる部活のつもりだった。だが、高校1年最後のレース「全国高等学校選抜自転車競技大会」で優勝。彼女を取り巻く環境は一変した。

ナショナルチームの柿木孝之コーチの目に留まり、強化指定選手に。高校2年では全日本選手権ジュニア部門のロード、タイムトライアルの両方で頂点を手に入れる。

その年の2月にはアジア選手権ジュニア部門でポイントレース、個人追い抜き、団体追い抜き、ロードレース、タイムトライアルで5冠。

まさに圧倒的な成績で才能を発揮し、一気に日本女子最大のホープとなったのである。

 

このとき、自転車競技を始めてわずか2年。最初はただの高校の部活に過ぎなかった自転車競技が、彼女にとって人生を賭けるに値する「夢」となった。

www.cyclowired.jp

 

ただ、大学進学後、彼女はよりトラックレースに力を入れることになる。

エリートカテゴリ1年目となった2016年の全日本選手権では、「女王」与那嶺恵理にロード、TT共に敗れる。一方でトラックレースでは4種目で優勝。彼女自身、自らがロードよりトラックに向いていることを、以下の記事でも語っている。

sportiva.shueisha.co.jp

 

そして、2017年12月。

カナダ・ミルトンで行われたトラックワールドカップ第3戦の女子オムニアム。

4つの種目で行われるオムニアム競技で、圧巻の全種目1位通過。

同種目における男女合わせて初となるワールドカップ金メダルを、わずか20歳の大学生が完全勝利によって成し遂げてしまった。

morecadence.jp

 

さらに直後に開催されたワールドカップ第4戦(チリ)でもオムニアム競技で連覇。

梶原悠未という存在が、もはや日本の期待の新人というレベルではなく、今最も世界の頂点に近い日本人選手であることが証明された。

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「世界選手権では表彰台に乗りたい」と宣言した梶原。

その年の世界選手権(オランダ、アペルドールン)に挑んだ梶原は、オムニアム種目で8位入賞。

世界トップクラスの選手たちと渡り合いはしたものの、「さらに上にいけた」と悔し涙を流す姿が捉えられた。

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それでも梶原は着実に成長していった。

翌2019年の世界選手権(ポーランド、プルシュクフ)オムニアム。

第1戦スクラッチは6位に終わるが、第2戦テンポレースにて一気に大量ポイントを獲得することのできる「ラップ(1周追い抜き)」を成功させる。

この結果、暫定1位で3戦目を迎えることに。

 

続く第3戦エリミネーションでは7位に終わったが、総合では3位をキープ。

そして迎えた最終戦ポイントレース。

総合4位のジェニファー・バレンテ(アメリカ)とのポイント差は6ポイント。

最後から2番目のポイント周回では集団から抜け出して1位通過した梶原がバレンテを突き放すが、最終ポイント周回では逆に抜け出したバレンテがポイントを獲得し、梶原とポイントで並ぶ形に。

同ポイントでは着順によって勝敗が分かれるため、梶原は何としてでもメイン集団でポイントを獲得したかったところだが・・・7位フィニッシュとなり、残念ながらポイントを得られず。

梶原はギリギリで表彰台を得られずに終わった。

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それでも、この敗北は1年前の敗北とは意味合いが全く違っていた。

 

「ポイントレースでは常にオランダやイギリスの選手と集団の前方で走っている光景を自分でも見れていて、ここで戦えるようになったんだなというのは感じました」

 

そして梶原は最後に語る。

 

「次は一番高いところに立てるように、もっともっと練習していきたいと思います」

 

その思いは現実のものとなる。

 

 

世界の頂点へ

2019-2020シーズン。

トラックワールドカップ第3戦(香港)、および第4戦(ニュージーランド)と立て続けに金メダルを獲得した梶原悠未。

とくに第4戦のあと、涙を流しながら彼女が語った言葉が印象的だった。

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「2連覇とか金メダルを獲ったことではなく、バレンテ選手やベバレッジ選手たち、今まで敵わなかった選手たちと一緒に戦って勝てたことが嬉しいです。キツい練習をしてきて一段一段階段を登ってきて、やっとここまで来れたこと、それが嬉しいです」

 

前年の世界選手権でギリギリで届かなかった表彰台、その座を競い合ったバレンテに対する勝利。

これが彼女の自信の理由であり、そして、世界選手権への大きな布石となった。

 

 

そして迎えた、2020年世界選手権。

ドイツ、ベルリンで開催された5日間のうちの3日目。

2月28日金曜日に開催された女子オムニアムにて、梶原は歴史を作った。

 

それはある意味で、1種目目のスクラッチで既に象徴的に示されていたように思う。

第1戦スクラッチ。1周250mのトラックを30周する計7.5㎞の単純な順位争い種目。

そのフィニッシュで、梶原は2018・2019世界王者キルステン・ウィルトとのスプリント争いを制した。

 

キルステン・ウィルトはロードレースにおいても、2019年にドリダーフス・ブルッヘ~デパンヌとヘント~ウェヴェルヘムを立て続けに優勝しているような選手であり、年間でも6勝。今年38歳と大ベテランでありながら、未だ一線級のスプリンターとして活躍しているような選手である。男子ロードレースで例えるなら、エリア・ヴィヴィアーニ級の選手と言ってもよい。

そんなウィルトと、真正面からぶつかったうえでの勝利。

梶原悠未という選手の実力が、間違いなく世界の頂点に立ったことを象徴した瞬間であった。

 

そのあとは、第3戦エリミネーションでの落車というトラブルがありながらも、最後まで危なげなく首位をキープし、日本人としては33年ぶり、中距離種目としては史上初となるマイヨ・アルカンシェルを日本にもたらした。

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だが、この栄誉は単に、トラックレースの世界選手権で勝ち、そして東京オリンピックにおける金メダルを現実的なものとした、という以上の意味を持っているように思う。

それは、日本の自転車ロードレース界の未来へとつながる可能性である。 

 

 

勝利の意味

トラックレースは大きく分けて「短距離」と「中距離」とに分かれている。

短距離とは1㎞(500m)タイムトライアルやスプリント、チーム・スプリント、ケイリンなどの種目が該当する。長くても1500m程度の距離で、主に一瞬の加速力と判断力によって勝敗が決まる。

一方の中距離は、個人追い抜き(インディヴィジュアル・パーシュート、IP)や団体追い抜き(チーム・パーシュート、TP)、マディソン、そしてオムニアムなどが該当する。4㎞から50㎞近くまで、長い距離における戦略的な動きが重要になってくる。

参考:トラック・レース | 日本自転車競技連盟 WEB SITE

 

日本は伝統的に短距離種目に強みを持っていた。「レジェンド」 中野浩一によるスクラッチ(今でいうスプリント)10大会連続アルカンシェルは揺らぐことのない大記録であり、短距離種目の1つ「ケイリン」は当然、日本の競輪をモチーフにした種目となっている。

そして、近年の世界選手権におけるメダル獲得も、この短距離種目で成し遂げられている。

(河端朋之、新田祐大、脇本雄太といった競輪選手たちが、ここ3年の男子ケイリン世界選手権で連続銀メダルを獲得している)

 

ただし、より「ロードレース」に近い種目は、距離の長い中距離種目の方である。

実際、先の女子におけるキルステン・ウィルトのように、この中距離種目で活躍する選手にはロードレースの方でも活躍している傾向が強い。

たとえば今年の男子オムニアム王者はバンジャマン・トマ。現グルパマFDJの選手で、ロードレースも走っている。

過去には2015年・2016年のオムニアム世界王者がフェルナンド・ガビリアだし、2016年のリオ・オリンピックのオムニアム覇者はエリア・ヴィヴィアーニである。

また、今やツール・ド・フランス最強チームとなっているチーム・イネオス(旧チーム・スカイ)も、ブラッドリー・ウィギンスやゲラント・トーマスなど、その中心となってきた選手たちは皆、トラックの中距離(主に団体追い抜き)で類稀なる成績を出してきている。サイモン・イェーツも、同じく中距離種目のポイントレースで、2013年にアルカンシェルを獲っている。

トラックレースの中距離種目で鍛えられる加速力・独走力・判断力は、今やロードレースのプロトンの中では絶大な存在感を放っている。

トラックの中距離種目で(とくに若手のうちに)活躍する選手は、そのままロードレースの世界においても活躍しやすい――それはある程度の説得力をもって言うことができそうだ。

 

だからこそ、今回の梶原悠未の「中距離種目制覇」は、とくにロードレース界のトップライダー・ウィルトを正面から打倒しての勝利は、すなわち日本の女子ロードレース界の・・・いや、日本におけるロードレース界全体の、最も大きな「希望の光」になりうる。

 

 

もちろん、すでに紹介した2017年のインタビュー記事では、トラックレースで東京オリンピックを制したあとは競輪選手になる予定を話している。その先はトライアスロンへ・・・一生をアスリートで過ごすという夢を語っている。

本人もその時点では、ロードレースよりもトラックレースに適性があるとコメントしている。

 

 

ただ、トラックの練習の一環とはいえ、日本ナショナルチームの一員として出場しているロードレースでも、梶原はしっかりと結果を残している。

2018年は5月に中国で開催された2クラスのステージレースで区間3勝・ポイント賞獲得。

2019年もタイで開催された2日間のステージレースで区間1勝&総合優勝。翌日のワンデーレースでも2位に入り、日本チームのエースとして、果たすべき役割をしっかりと果たし切る姿を見せていた。

 

最終的に進路を選び取るのは彼女ではあるものの、一人の「ロードレース」ファンとしては、彼女の才能がこの世界において結実していく姿を見てみたくもある。

とくに純粋なスプリンター――勝利量産の肝であり、花形の選手――に、男女含めても初となる世界クラスの日本人選手が誕生するのであれば、それはファンにとってはこれほど嬉しいことはない。日本のロードレースを巡る環境に対しても、ものすごくポジティブな影響を与えることになるだろう。

 

 

ただ、まずは目の前の、東京オリンピックに全力で当たっていくこと。

そこで世界に日本の存在を再び轟かせ、まずはこの自転車競技自体への、世間の注目を集めてくれることを期待している。

 

頑張れ、梶原。

その夢はもう、目の前に迫ってきている。

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