注意:完全に独断と偏見と趣味である。
一般的にはパリ~ルーベあたりは鉄板だろうけれどそれも入っていない。
また、原則としてjsportsで視聴できるレースに限定されています。
第4位 ツアー・ダウンアンダー 第5ステージ
シーズン開幕とほぼ同時にオーストラリアで行われる最初のワールドツアーレース。
全体的に距離も短く厳しい山岳も少ないステージレースであり、過去にもスプリンターもしくはパンチャーの総合優勝を多く輩出している。
そんな中、最終日の前日に待ち受ける「ウィランガ・ヒル」(平均勾配7%/登坂距離3.5km)は、毎年トップクライマーたちによる激しいバトルが繰り広げられるポイントとして注目を集めている。
事実、昨年のウィランガ・ヒルを制したリッチー・ポートは、総合優勝者のローハン・デニスまであと2秒というところにまで迫った。
まさしく、逆転劇すら生み出す、ダウンアンダー最重要の丘なのである。
そして今年。
再びここが、最も熱いステージとなった。
現時点で総合首位につけているのは、過去3度ダウンアンダーでの総合優勝を果たしているサイモン・ゲランス。
2位のジェイ・マッカーシーとは14秒差、3位のディフェンディング・チャンピオンのローハン・デニスとは26秒差。
そして、ついに訪れた決戦の地。ウィランガ・ヒルは2度通ることになるが、その2回目の登坂において、ついにポートが牙を剥いた。
ポートは総合10位でゲランスから36秒差。
たとえ優勝してボーナスタイム10秒を得たとしても、27秒以上タイム差を広げなければ、ポートの逆転優勝はない。
残り1.1kmでポートは飛び出した。
すかさず、山岳賞ジャージを着るセルヒオルイス・エナオがその背中に張り付く。
だが、ポートは足を緩めることなく、エナオがついてこようがお構いなく全力でスパートをかけた。
もはやポートにとってステージ優勝は二の次。まずは1秒でもゲランスとのタイム差を離さなければならなかったのだ。
ポートの力強い登坂の前に、エナオはついに引き離される。そのまま、ポートは3年連続となるウィランガ・ヒル制覇を成し遂げた。
だが、ゲランスはその17秒後にゴールに辿り着いてしまう。
結果としてポートは9秒足りずに総合2位に終わる。昨年に続き、悔しい結果となってしまった。
しかし今年のポートの強さ、そしてセルヒオルイス・エナオの活躍を予感させてくれる一戦ではあった。
第3位 パリ~ニース 第7ステージ
シーズン本格始動となる3月に早速行われるワールドツアーのステージレース。
ツール・ド・フランス主催者が開催するレースであり、「ミニ」ツール・ド・フランスと称されたりもする大会で、今年もゲラント・トーマス、アルベルト・コンタドール、リッチー・ポート、ロマン・バルデなど実力者が揃い踏みとなった。
マイケル・マシューズやアルノー・デマールといった前半のスプリンターたちの活躍や、ザッカリン、ティム・ウェレンスといった今年活躍する若手たちの活躍も見所ではあったが、やはり中でもトーマス・ポート・コンタドールによる総合争いが最も白熱する場面であった。
そして迎えた最終日第7ステージ。
総合首位のゲラント・トーマスと、総合2位のアルベルト・コンタドールとのタイム差は15秒。
最終日のレイアウトは残り60km近くから1級山岳が2つ用意されてはいるものの、最後の山頂からゴールまでは16kmの下りがあり、前日の山頂ゴールと比べるとタイム差がつきにくいコースであると予想されていた。
すなわち、ゲラント・トーマスの圧倒的有利な状況で始まった最終ステージ。
そこで、コンタドールは大きな賭けに出た。
すなわち、残り60kmで迎えた最初の1級山岳で、早くもコンタドールがアタックを仕掛けたのである。
逃げ集団に入り込ませていた2人のチームメート、すなわちキゼロフスキーとトロフィモフとの合流を狙って。
そしてこの目論見は見事成功する。
結果としてコンタドールは、トーマスを含むメイン集団とのタイム差を1分近く広げることができたのである。
しかし、トーマス、そして彼を支えるチーム・スカイも一筋縄ではなかった。
そこから、得意のチームワークを活かして、少しずつタイム差を縮めていく。
何しろ、スプリンターであるはずのベン・スウィフトですら山岳で牽引役を担うのである。
彼らのチーム力の高さはやはり底知れぬものがある。
そしてコンタドールは、残り23kmのポイントでついに捕まってしまう。
しかし彼はまだ諦めてはいなかった。
最後の山岳ポイントとなるエズ峠で、彼は、アシストのラファル・マイカの力を借りて、再三再四に渡るアタックを繰り出した。
やがて、この攻撃に、ゲラント・トーマスが耐えられなくなってしまった!
アシストのセルヒオルイス・エナオはなんとか彼を引っ張り上げようとするが、もはやトーマスは足が回らない。
コンタドールと彼についていったリッチー・ポートだけでなく、それ以外の集団のメンバーにすら引き離されて、コンタドールらが山頂を越える頃にはタイム差は再び30秒近くにまで広がっていた。
だが、ここから、今度はトーマスの反撃が始まる。
下り坂に差し掛かった後、トーマスはトラックレースで走力でもって、ダウンヒルを猛スピードで駆け降りる。
セルヒオルイス・エナオやトニー・ギャロパンも協力するが、トーマスが最も足がよく回っており、彼自身が牽引する場面も多く見られた。
先行するコンタドール、ポート、そしてティム・ウェレンスも懸命に逃げ続けるが、そのタイム差は着実に縮んでいく。
総合タイム差は15秒。ボーナスタイムは最低でも4秒は保証されている。2位なら6秒。だから10秒以上タイム差を開いてゴールできれば、コンタドールの逆転優勝である。
しかし、ゲラント・トーマスの走りは、その10秒すらも許してはくれなかった。
結果として、コンタドールはスプリントでウェレンスに敗れ、2位ゴール。
そしてトーマスはその5秒後に、集団と共にゴールした。
最終成績は、アルベルト・コンタドール、4秒差での総合2位。
悔しい結果に終わってしまったが、それでも彼の、勝利への強い執念を見せつけられた戦いであった。
これはのちに、ツール・ド・フランスや、ブエルタ・ア・エスパーニャで、再び発揮される。
第2位 ジロ・ディタリア 第19ステージ
今年のジロ・ディタリアは劇的な展開を見せつけてくれた。
その中でも特にこの第19ステージは、最も劇的であったと言える。
優勝候補と目されてい選手のうち、すでにミケル・ランダはリタイアしており、ヴィンツェンツォ・ニバリも度重なる不調により総合優勝はかなり厳しい状況となっていた。
その中で、意外ながらもここまで、最も優勝に近い位置にい続けていたのがロット・NL・ユンボのスティーヴン・クライスヴァイク。
そして迎える第19ステージは、標高2744m、今大会最高標高地点「チーマ・コッピ」に指定されているアニェッロ峠での激戦である。
深い霧と雪の壁に囲まれたこの難峠で、まず遅れだしたのは総合3位のアレハンドロ・バルベルデ。そしてラファル・マイカ。
山頂をメイン集団先頭で越えたのはクライスヴァイク、エステバン・チャベス、そしてニバリであった。
このとき、クライスヴァイクはややハンガーノック気味だったらしい。
それゆえに集中力が途切れてしまったのだろうか——ダウンヒルの途中で、彼は雪の壁に突っ込んだ。
不幸中の幸いか大きな怪我はなく、バイクを交換しながらもやがて走り出したのだが、すでに開き過ぎた差を埋めるのはもはや不可能だった。
彼を守るべきアシストももはやおらず、彼はたった一人、傷ついた体を支えながら先頭に向かって走るしかなかった。
そして戦いの焦点はニバリとチャベスの一騎打ちに移った。
先頭を単独で走っていたニバリのアシスト、ミケーレ・スカルポーニは、自らの勝利のチャンスを捨てて、ほぼ立ち止まってエースの到着を待っていた。
最終峠リズールの中腹。
残り5km地点から、ついにニバリはチャベスを力で振り切った。
チャベスも昨年ブエルタからその才覚を本格的に発揮し始め、クライスヴァイクなきあと最もマリア・ローザに近い選手となったわけだが、それでも、やはりグランツール全てを制している男の完全復活を遂げた走りの前にはついていくことはできなかった。
そのまま、ニバリは単独でゴールを果たした。
その両手を、天に高々と掲げて。
このジロの開催中に命を落とした、14歳の少年に捧げる勝利であった。
そしてゴール後、ニバリはサドルに顔を突っ伏して泣き始めた。
ここまで、勝利することが当たり前だとされ、続く不調に母国のメディアに散々揶揄され続けてきたここまでの思いを、すべて、この勝利の瞬間に爆発させたのである。
僕はニバリの、そういったところが誰よりも好きである。
なお、この日、最終的にマリア・ローザを獲得したのはエステバン・チャベス。
その、ニバリとのタイム差は44秒。
しかし、誰もが、この日のチャベスのマリア・ローザは、仮初のものに過ぎないと感じていたのではないだろうか。
今日のニバリの調子が翌日も続けば、44秒というタイム差は十分にひっくり返すことのできるものであった。
そして事実、第20ステージでニバリはチャベスに1分半以上ものタイム差をつけて、見事、2度目のジロ総合優勝を果たす。
それは結果だけを見れば決して不思議ではない結果だったけれど、その過程を知る者からすれば、実に劇的な結末であったことを理解するのである。
第1位 ロンド・ファン・フラーンデレン
4月のベルギー、フランドル地方で行われる「クラシックの王様」。
今年引退を決めたファビアン・カンチェラーラが出場し、優勝を狙うとして注目を集めた。
そのカンチェラーラに対抗するのが世界チャンピオンのペーター・サガン。
長く勝利に恵まれなかった彼も、一週間前のヘント~ウェヴェルヘムで優勝し、調子を取り戻し始めていた。
カンチェラーラvsサガン。
伝説の男と、新たな時代の伝説を創りつつある男との激突であった。
勝負は残り33km地点から始まった。
サガンと、先代世界チャンピオンのミカル・クフィアトコウスキーが共に飛び出し、これにセプ・ヴァンマルクがかろうじてついていった。
そしてカンチェラーラはこれに、ついていかなかった。
判断ミスか、戦略的な判断か。
前者だとしても、彼は十分にそれを挽回した。
残り17kmの「3週目クワレモント」にて、カンチェラーラは鋭いアタックを決め、スティバールも、ゲラント・トーマスも、クヴィアトコウスキーすらも抜き去った。
しかし、後者だったとしても、サガンの力量はその戦略を遥かに超えていた。
このクワレモントでも、また、最後の坂「ペテルブルク」でカンチェラーラがヴァンマルクに追い付いたときでも、サガンは常にその先を行っていた。
そう、サガンはこの日、覚醒していた。
ペテルブルクでは、まるでかつてカンチェがボーネンに対して見せた劇的な勝利のときのような――シッティングのまま激坂を乗り越えるその力強い走りで、ヴァンマルクを突き放し、猛追を仕掛けてきたカンチェラーラに追い付かせることをしなかった。
そして残り10kmの平坦。タイム差は15秒。
サガンは一人。カンチェラーラはヴァンマルクというパートナーがいる。
そしてカンチェラーラは希代のTTスペシャリストである。
全盛期ほどではないにしても、決してスペシャリストではないサガンと比較したときに、10kmで15秒というのは無いに等しい、筈だった。
だが。
やはりサガンはこの日、別格だった。
ぶれることのない姿勢で、ただひたすら目の前を見据え、懸命にペダルを回していた。
一時は10秒近くまで縮まったタイム差も、やがて少しずつ開き始めた。
そう、サガンは、平坦の独走において、あのカンチェを前にして、単独でそのタイム差を開き始めているのである。
それも、非常に落ち着いた、冷静な表情で。
このときのサガンを見ていて、僕は涙を流しさえした。
このときのサガンは、神がかっていて、まさに伝説が生まれようとしている瞬間であった。
最後、ヴァンマルクに2位を譲られたカンチェラーラは、ファンの皆に笑顔で手を振ってゴールした。
彼はその後の控室で涙すら流し、悔しがる様子も見せた。
だがこの日の結果は決して、彼が力を出し切れなかったがゆえのものではない。
彼は間違いなく全力を出し切ったのだが、それ以上にサガンが、この日は強すぎたのだ。
新しいサガンの時代が来たことを、この日の戦いが明確に証明していた。