「クラシックの王」は、今年も想像を超えたドラマを我々にもたらしてくれた。
彼は確かに強かった。
5年前にイタリア籍ワールドツアーチーム「キャノンデール」にてプロデビューを果たした彼は、その後もキャノンデールの名を引き継いだアメリカのチームに在籍し続け、昨年の1年間だけBMCに、そして今年、再び古巣に戻ってきた。
彼の脚質は言ってしまえば「パンチャー」と呼ばれる類のものだった。
ツール・ド・フランスの激坂フィニッシュや、カナダのワールドツアー2連戦、あるいはイタリアの秋のクラシックのようなクライマー向け・パンチャー向けの起伏豊かなワンデーレースに強いタイプの選手だった。
そんな彼が、今年は「北のクラシック」でも好成績を残し続けていた。
2016年に10位に入っていたE3では今年は4位。ヘントでもドワーズ・ドール・フラーンデレンでも、結果には結びつかなかったものの、それまでのパンチャーといったイメージからは少し異なった印象を抱かせる走りを見せていた。
そんな彼が、北のクラシックの頂点の1つたるこの「ロンド」で、まさかの優勝。
しかも、ロンドにおける最高のセレクションの舞台である「3回目オウデクワレモント」にて抜け出し、ラスト14kmの「王の道」を、これまでのロンド覇者同様にたった一人で駆け抜けたのであった。
それではこの男——アルベルト・ベッティオルは、今年最も強い北のクラシックライダーだったのだろうか?
いや、確かに彼は強かったが、彼自身が最強だったわけではない。
彼がオウデクワレモントで勝負を仕掛け、それに誰もついていけなかったのは、それを彼ができる状態にまで展開をもっていったチームメートたちの尽力の賜物であった。
そのチームメートの1人が、本来であればこの栄光に誰よりも近いはずだった男、セップ・ファンマルクである。
今回はこの激動のロンドを振り返りつつ、いかにしてセップが、ラングフェルドが、その他のチームメートたちが、ベッティオルを「勝たせた」のか。
その理由を確認していきたいと思う。
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「2回目オウデクワレモント」
270kmの長距離レースは、繰り返されたアタックの末にようやく4名の逃げが形成され、プロトンは最初の落ち着きを手に入れた。
決して優勝争いには加わらないような安全な4名の逃げに対し、メイン集団は最大で8分近いタイム差を許すこととなった。
ティム・デクレルクが中心に牽引するメイン集団は、前年覇者ニキ・テルプストラの突然の落車リタイアというアクシデントを挟みつつ、最初の勝負所、残り100km地点の「カペルミュール」に突入する。
マグナス・コルトニールセンの強烈なプッシュは、集団を一気に引き延ばし、一時は決定的にも思える分断を生み出しさえしたものの、やがてオウデナールデの中心地に向かって続く長い平坦路の途中で、プロトンは再び1つになった。
そして逃げ集団のチャンスは失われ、やがて残り60kmの「2回目オウデクワレモント」にて、いよいよ「彼ら」が動き始めることとなる。
オウデクワレモント突入の直前。
集団の先頭には3人のEFエデュケーション・ファーストの選手が陣取っていた。
彼らは明らかに狙っていた。このタイミングで飛び出すことを。
まず、抜け出したのはAG2Rラモンディアルのステイン・ファンデンベルフ。
そしてこれに追随したのが、優勝候補の1人だったセップ・ファンマルクであった。
2014年と2016年にロンドの表彰台に立っていたこのベルギー人は、常に北のクラシックの優勝候補として注目を集めていた。
しかし彼は常に一歩、届かなかった。
ロンドでは3位が2回、ルーベでは2位が1回、4位が2回。
実力は間違いなくあるのに、最後に優勝をその手にするために必要な決め手が常に欠けていた。
そして今年は、前哨戦のE3・ビンクバンククラシックで落車し、左膝を負傷した。
2日後のヘント~ウェヴェルヘムはもちろん、翌週水曜日のドワーズ・ドール・フラーンデレンも、当初出場予定の中を、急遽キャンセルすることとなった。
彼は今年も「無冠の王」のまま、春を終えてしまうのか?
しかし、本来であれば治療に1ヶ月はかかると診断された膝を抱えながら、ファンマルクはロンド・ファン・フラーンデレンへの参加を決めた。
「この5ヶ月やってきたことすべてが無駄になってしまう」ことを恐れた彼は、左膝をガチガチにテーピングし、恐らくは消えない痛みと戦いながら、この最も激しい石畳レースへの参戦を決断したのである。
そして彼は、「2回目オウデクワレモント」の麓からファンデンベルフに喰らいつく形で集団から抜け出した。
その後のパテルベルグも越えて、集団からさらにブリッジしてきたドゥクーニンク・クイックステップのキャスパー・アスグリーンと3人で、プロトンとのタイム差を30秒近くにまで開いた。
それは確かに、優勝候補に相応しい走りであった。
しかしこのとき、彼は耐え難い左膝の痛みを堪え続けていたに違いない。
もしかしたら彼は、既に自分が最後まで持たないことを知っていたのかもしれない。
しかしこの走りがチームに勝利をもたらすことを——それが彼にとって今できるロンドの「勝利」に向けての最善の手であることを——理解して、歯を食いしばって先頭を走り続けていたのだと思う。
そして残り27km。
ファンマルクはさらに驚くべき走りを我々に見せつけた。
「3回目オウデクワレモント」
残り27㎞。
全長2.5㎞の今大会最長の登り「クルイスベルグ」を越えて、ついにファンマルクは先頭集団から脱落する。
彼に追いつこうとペースを上げて集団から抜け出していたのは、この春最も調子の良い選手の1人であるボブ・ユンゲルスと、新生チームの柱として責任感を持つファンアーフェルマート、そして、この日繰り返し巻き起こる小集団での抜け出しに常に反応し、後手を踏まないように動き続けていた男、ベッティオルの3名だった。
後ろを振り向きながらペースを落とし、彼らと合流したファンマルクは、そのまま集団の先頭を鬼の形相で牽引し始めた。
その膝はきっと悲鳴を上げ続けていたに違いない。
しかし、この日残り58㎞から常に先頭で展開を作り続けてきたこの男は、最後の仕上げに取り掛かろうとしていた。
すなわち、彼が先頭に置いてきたものを拾いにいくこと。
背後にベッティオルを従えたファンマルクは、その勢いのまま先頭の2人との距離を縮めながら、「3回目オウデクワレモント」の麓までたどり着いた。
次の瞬間、糸が切れたように崩れ落ちていくファンマルク。
その意志はベッティオルたちに託された。
オウデクワレモント。
全長2.5㎞。平均勾配は4%だが最大勾配は11.6%。そして石畳は荒れ、確実にセレクションのかかる最難関ポイント。
その最初の1㎞が過ぎたあたりの最大勾配区間で、今年もティレーノ〜アドリアティコの激坂やミラノ〜サンレモのポッジョにて類稀なる好調さを見せつけていたベッティオルが、一気にアクセルを踏み始める。
すでにファンマルクの働きで10秒近くにまで迫っていた先頭2人を一瞬で捕まえ、これを追い抜く。
メイン集団はファンアーフェルマートが懸命に先導するも、ベッティオルとの距離は着実に開いていく。
この展開になれば、勝敗ははっきりと決まっていた。
パテルベルグもそつなく越えたベッティオルに残された最後の14㎞は、どんな集団もその1人を決して捕まえることのできない「王の道」。
25歳のイタリア人は、彼自身が「人生で一番長い14㎞だった」と語るその凱旋の道でただひたすらペダルを回し続ける。
そしてその後方では、もう1人のチームメートが先頭を走る新たな王のために動き続けていた。
ピンクのウルフパック
この日、北のクラシック常勝軍団「ウルフパック」は、完全に自分たちの戦いができない状況に陥っていた。
その発端はカペルミュールだった。
コルトニールセンのアタックをきっかけにして集団は綺麗な一列に引き延ばされ、やがてテクニカルな下りにおいてその大集団は大きく2つに分裂した。ナーセンやファンマルクはこのとき、後方の集団に取り残された。
当然のように前方の集団で数を揃えていたクイックステップはここで猛牽引。一時は後続集団に1分の差をつけ、決定的な動きになったように思えた。
しかし、クイックステップが支配しようとしたこの先頭集団はやがて混沌とし始める。マテイ・モホリッチやファンアーフェルマートの積極的な攻撃にランパールトなどが対応すべく動くが、一連の激しい動きにも関わらず、集団は再び1つになってしまう。
後に残ったのは、ゴールまで70㎞以上残しながらすでにして疲弊し尽くしていた精鋭陣であった。
「2回目オウデクワレモント」でファンデルベルフとファンマルクの攻撃にアスグリーンが食らいついていったのは成功だった。
同じタイミングで不調に苦しむジルベールが脱落するも、彼の代わりを十分に務め上げた。
しかしクルイスベルグ直後の平坦路。
昨年はテルプストラが独走を決定づけたこのポイントで、今年はマチュー・ファンデルポールが、続いてワウト・ファンアールトが積極的な攻撃を仕掛けていった。
シクロクロスの頂点に立つ若きこの2人の、ロードレースの縛りに囚われない動きに対し、クイックステップの「先駆け」スティバルによる押さえ込みを図る。
これは成功するが、しかしこれによってスティバルは脱落。
もはやクイックステップに残されたカードは先頭のアスグリーンとユンゲルス、ランパールトのみとなった。
そしてユンゲルスとランパールトもどちらも疲弊しきっており、最も重要な3回目オウデクワレモントでのベッティオルの攻撃に全く反応できずに終わった。
一方、本来のウルフパック「らしい」動きをできていたのは、EFエデュケーション・ファースト、「ピンクのウルフパック」だった。
まずは2回目オウデクワレモントにおけるファンマルクのアタック。
過去表彰台に2度も登った男による先行は、たとえ怪我をしているとはいえ、クイックステップの精鋭が先を行くのと同様のプレッシャーをプロトンに与えたに違いない。
実際、クルイスベルグを超えてもなお、30秒の差を縮められないという事態に、集団は焦り、散発的なアタックが続き、これが有力勢の足を削りきることとなった。
その際の集団内でのEFの動きもまた、ウルフパックそのものであった。
クルイスベルグ直前の平坦路。
3年前にサガンとファンマルクとクウィアトコウスキーが抜け出してカンチェラーラを置き去りにした危険なポイントで、ティム・ウェレンスやニルス・ポリットなどが断続的にアタックを仕掛けるが、この全てにベッティオルがしっかりと反応した。
集団内には実績で言えばベッティオル以上にクラシック向きなラングフェルドが残っている。
それでいて先頭、危険な飛び出し、集団内すべてに有力選手を配置するというお決まりパターンを、この日のEFは実現していた。
そして、最後の「王の道」。
ここでもまた、ウルフパックの強さをEFが踏襲していた。
パテルベルグを越えた先に続く14㎞の平坦路。
ここを過去数年間、単独で抜け出したものは、どんなに大集団が後方から追走を仕掛けてきていても、決して捕まえられることはない。
最後のオウデクワレモントとパテルベルグで選別された新たな王による凱旋のために設けられた道。
とはいえ、これまで1度のプロ勝利もなく、直近のティレーノのTT以外では特別独走力の高さを示す経歴も持ち合わせていなかったベッティオルが、本当に最後まで残り続けることができるかは、疑わしいものがあった。
しかし、ベッティオルは見事に逃げ切った。それだけ彼の足が今日、優れていたことと、そして大集団の有力勢が疲弊しきっていたことは確かだろう。
だがそれに合わせ、集団内の前方に陣取り、そのローテーションを妨害するという、ウルフパック得意のタクティクスを1人で実現していたのが、セバスティアン・ラングフェルドであった。
結局、集団はベッティオルの17秒後にゴールに辿り着いた。
残り3㎞でアタックしたアスグリーンは2位でゴールした。
ボロボロに崩れ落ちた「青のウルフパック」の、微かな希望がこのアスグリーンの覚醒であった。
この日最も精力的な働きをしていたクイックステップのライダーだった。
いずれにせよ、今回のロンドはやはり、クラシックの頂点に立つレースである。
今年の春の冒頭ではクイックステップの独壇場のように思われていた中で、その他のチームが次々と攻撃を繰り出すカオスな展開で最強チームが崩壊。
そしてその中でなおチーム力を維持していたチームが、最強では決してない選手を表彰台の頂点に立たせたのだ。
ツアー・コロンビアにおけるチームTTの優勝や、パリ〜ニースにおけるダニエル・マルティネスのクイーンステージ制覇など、今年に入って好調の続くEFエデュケーション・ファースト。
この後も、彼らは類稀なる成績を、チームでもって出していってくれるのだろうか。
かくして、新たな王が誕生した。
アルベルト・ベッティオル。
しかし、すでに見たように、その勝利の背景にはチームメートたちのサポートがあった。
その中でも、怪我を押して出場し、ラスト60㎞からの40㎞をチームのために走り続けた「無冠の王」の功績は、リザルトには決して残らない輝かしい成果として語り継がれていくべきだ。
ゆえに、今回のロンドは「2人の王」を生み出した。
セップ、あなたはまだ無冠の王かもしれないが、しかしあなたもまた、ロンドに選ばれた王の1人だ。