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5回のアタックが掴み取った勝利――「王者」にして「挑戦者」であり続けた男ジュリアン・アラフィリップの世界選手権とキャリアを振り返る

 

 

決して、彼と、彼のチームは、今大会における優勝候補筆頭ではなかった。

 

石畳の激坂が用意された「フランドリアンサーキット」ならまだしも、最後の戦いの舞台となる「ルーヴェンサーキット」には200〜300m程度の短い登りしかなく、そこでのアタックで後続を徹底的に引き離すのは難しく、アタックからの逃げ切りを得意とするジュリアン・アラフィリップにとっては、最適とは言えないコースであった。

チームとしても、ブルターニュ・クラシック勝者ブノワ・コヌフロワやアルデンヌ・クラシックに強いパンチャーのヴァランタン・マデュアスなどがいるものの、決定力を持ったエースと言える存在はアラフィリップ以外にはおらず、複数枚のエースを抱えるベルギーチームやイタリアチームに比べ、選択肢も限られる不利な体制であることは間違いがなかった。

 

だが、そんな彼らがなんとか勝つためにはどうしたらいいかと考え、導き出した結論が、残り180㎞から絶え間なく繰り出され続けた攻撃と、ジュリアン・アラフィリップが繰り出した、5回にわたるアタックだった。

それはディフェンディングチャンピオンらしからぬ戦いだったかもしれないが、実にフランスらしく、そしてジュリアン・アラフィリップという男に相応しい勝ち方であった。

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今回は、2年連続の世界王者に輝いたアラフィリップの、その世界選手権ロードレースでの走りを振り返ると共に、ジュリアン・アラフィリップという男の、これまでの歩みも確認していこう。

 

「王者」としての実績を持ちながら、常に「挑戦者」であり続けている男の、今と昔と、そして未来への物語だ。

 

 

詳細なレースレポートはこちらから

note.com

 

目次

  

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ベルギーの「王者」のような走りと、フランスの「挑戦者」のような走り

全長267.7㎞。総獲得標高2,562m。

ブラバンツペイルでも使用される石畳の急坂「モスケストラート」や「ベケストラート」などが用意された「フランドリアンサーキット」と、ルーヴェンの街中の曲がりくねったコーナーや短くも急な登りが点在する「ルーヴェンサーキット」とが組み合わされる。

ほぼ同じコースを使用した男子U23や女子エリートでは、残り5.6㎞地点からの独走勝利や小集団でのスプリント勝負など、最終盤まである程度の規模の塊が残る、スプリンターにもチャンスのある展開が見られた。

きっと、男子エリートも同様に、終盤まで決定的な動きは巻き起こらないのだろう。

そんな予想を打ち砕いたのが、フランスチームの動きであった。

 

残り183.3㎞。

全行程の3分の1しか消化していない段階で、フランスチームの北のクラシックスペシャリスト、アントニー・テュルジスが動き出した。この動きにベルギーのティム・デクレルクとレムコ・エヴェネプールを含む数名が反応する。

この動きが引き戻されると、今度はフランドリアンサーキットの「入り口」にあたるスメイスベルフ(登坂距離700m、平均勾配8.8%)でブルターニュ・クラシック覇者ブノワ・コヌフロワがアタック。

この動きにはまたレムコ・エヴェネプールと、そしてブエルタ・ア・エスパーニャ3勝を決めたマグナス・コルトニールセン(デンマーク)が食らいつき、さらに残り170㎞を前にしてアルノー・デマール(フランス)、カスパー・アスグリーン(デンマーク)、プリモシュ・ログリッチ&ヤン・トラトニク(スロベニア)など強力なメンバーを含む15名の逃げ集団が出来上がる。

後方ではベケストラート(登坂距離439m、平均勾配7.7%)の狭い登りで集団の先頭をベルギーチームが蓋した結果、15名とメイン集団とのタイム差は一気に1分近くにまで広がる。

割りを食ったのがイタリアチーム。完全に後手に回ってしまった彼らは、マッテオ・トレンティンやディエゴ・ウリッシなどのエース級の選手たちを使って全力の追走を行わざるを得なかった。

 

フィニッシュまでまだ170㎞以上残っているこの時点での、あまりにも早いレース展開。

そのきっかけを作り、一度失敗したあともなお攻め続けて動きを生み出したのは、フランスチームに他ならなかった。

それはフランス代表監督トマ・ヴォクレール自身も認めるフランスの戦略であった。

 

我々は他のチームよりも先にアタックを仕掛け、彼らにクレイジーだと思われることを目指していた。我々はこのレースが激しいサバイバルな展開になると分かっていたし、だからこそ他の誰よりも早く動きべきだとも思っていた。常に先を行くべきだ、と*1

 

 

残り133.2㎞。

マッテオ・トレンティンを犠牲にしたイタリアの全力の追走によって集団は1つになるが、そのカウンターで再びフランスが動き出す。

残り126.3㎞ではヴァランタン・マデュアス。残り117㎞のワインペルス(登坂距離360m、平均勾配7.9%)ではアントニー・テュルジスがこの日2回目のアタック。

残り95㎞で形成された新たな11名の逃げの中にもマデュアスを入り込ませるなど、目まぐるしく変わるレースの展開の中にフランスは常に変わる変わる駒を用意する。

ベルギーも負けじとエヴェネプールを11名の中に入り込ませるが、一方でここまで積極的に集団コントロールを担ってきたティム・デクレルクが早くも脱落。

そして残り70㎞。「2回目フランドリアンサーキット」の入り口スメイスベルフで、(1回目のとき同様に)集団からブノワ・コヌフロワがアタック。

ベルギーもヴィクトール・カンペナールツを使ってこれを引き戻し、そのあともディラン・トゥーンスとカンペナールツの2人で集団コントロールに努めるが、フランスの動きはじわじわとライバルチームの足を蝕んでいった。

 

クラシック巧者ばかりを集めたベルギーはまさに「王者」の貫禄で集団を支配し続けていた。

しかし一方で強烈なアタッカーたちを中心にチームを組んだフランスはこの盤石な巨象を打ち倒すべく、絶え間ない攻撃を仕掛け続けていた。

 

そして、いよいよ彼が動き出す。

残り60㎞。戦いもいよいよ佳境に入ってくるタイミングで訪れた、今大会最後の本格的石畳登坂となる「2回目ベケストラート」。

ここで、昨年覇者ジュリアン・アラフィリップがこの日最初のアタックを放つ。

 

 

だが、登坂距離439m、平均勾配7.7%。

最大勾配15%の厳しい登りではあるものの、たとえば昨年の世界選手権で彼が勝負を決めたチーマ・ガッリステルナ(登坂距離2.7㎞)や今年のツール・ド・フランス第1ステージのフォス・オ・ルー(登坂距離3㎞)のような長い登りと違って、その絶え間ない攻撃で引きちぎられるような登りとは決して言い難かった。

ゆえに、このときのアタックも、集団を一気に縮小させることには成功したものの、ワウト・ファンアールトやジャスパー・ストゥイヴェン、ソンニ・コルブレッリといったライバルチームのエースたちを引き千切るまでにはいかなかった。

 

そのことはアラフィリップ自身もよく理解していたようで、このアタックのあと、彼は一度チームカーに戻り、代表監督のトマ・ヴォクレールと長く話し合っていた。

そのとき話していた内容を、ヴォクレールは次のように明らかにしている。

 

彼は私に尋ねた。セネシャルのスプリントのために働くべきだろうか、と。私はそれを否定した。マデュアスは彼をアシストするためにそこにおり、そしてセネシャルは自分一人の力でスプリントに挑むことができる。だからアラフィリップ、君は本能に従って行けばいい。それこそが、君の最も得意とするところなのだから、と*2

 

 

そしてアラフィリップはその言葉に従った。

 

残り49.1㎞。この日4回目となる「スメイスベルフ」。

ここで彼はこの日2度目のアタックを繰り出した。

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結局、このアタックでも彼は抜け出すことはできなかった。

今大会最も長い登りでの鋭い一撃にも関わらず、スプリンターとは思えない登坂力を見せつけている今年のソンニ・コルブレッリがしっかりと食らいつく。

最終的にはコルブレッリが回ろうとしなかったことでペースを落とし、集団に再び吸収されるアラフィリップだったが、もちろんこれで終えるつもりはなかった。

 

 

残り40㎞。

最終決戦の地、ルーヴェンの街へと向かう先頭集団。

すでにその人数は17名に絞り込まれ、その中にはベルギー、イタリア、そしてフランスがそれぞれ3名ずつを入り込ませていた。

 

集団の先頭はひたすらレムコ・エヴェネプールが牽引する。その背後にはイタリアのアンドレア・バジョーリも控えていたが、ローテーションを拒否し、エヴェネプールも積極的にはそれを求めることをしなかった。

そのままほぼ先頭固定で残り26.2㎞地点まで牽引し続け、やがて脱落していくエヴェネプール。

無闇に牽きすぎたのではないか、とする意見もあるようだが、彼が迷いなく牽制することもなくひたすら牽き続けたこの30㎞は、さしものフランスチームもアラフィリップも、攻撃することのできないほどのハイ・ペースであった。

 

今大会、常に集団をコントロール下に置き、万全の状態でフィニッシュを迎えるというベルギーの「王者」の如き戦略の根幹は、このエヴェネプールの積極的なアタック潰しと大牽引によって保たれていたと言ってもよい。

だが超人的なタフネスさをもったエヴェネプールも、残り180㎞からの攻撃に反応し続けてしまっては、さすがに最後まで生き残ることはできなかった。その意味でも、今大会のフランスの戦略は見事に嵌ったと言ってよい。

 

そして、そんなエヴェネプールが集団から去ったことで、再びフランスが動き出す。

 

 

残り21.5㎞。

ルーヴェンの街中で最も厳しい登りとなるワインペルス(登坂距離360m、平均勾配7.9%)

その登りで、アラフィリップは、ヴァランタン・マデュアスに牽かれて一気に加速。その先頭でアタックを繰り出した。

アルデンヌ・クラシックではお馴染みの、そして今年のツール・ド・フランスの第1ステージでも見せていた「アシストに導かれてのアタック」を繰り出したアラフィリップ。

だが、それで得られたのはわずか5秒。

間もなく彼は集団に捕まえられてしまう。

 

だが、まだ止まらない。

残り19.4㎞。今大会4回目のアタック。

すぐさまニールソン・ポーレス(アメリカ)とジャコモ・ニッツォーロ(イタリア)が食らいつき、いずれもローテーション拒否。

結局、また彼は集団に引き戻されてしまう。

 

 

だが、まだ止まらない。

「アタックに続いてアタックしろ」「本能に従え」というヴォクレールの言葉に従って、間もなく彼は今大会5度目の、そして勝負を決める決定的なアタックを繰り出す。

 

それは、シント=アントニウスベルグ。今大会最後の重要な登りでのアタックであった。

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フィニッシュまで17.4㎞を残してのアタック。

実は、散々アラフィリップを焚きつけていたヴォクレールも、このときのアラフィリップの走りを次のように振り返っている。

 

それは計画していたこととは違っていた。それはあまりにも早すぎる攻撃だった。私の20~30年の経験から言ってもそれはあまりにも無謀な攻撃で、私は可能であれば彼を止めていたかもしれなかった。ジュリアンは私が彼に伝えていたのとは真逆のことをしでかしてくれた。本当に恐ろしかったよ*3

 

 

ヴォクレールの想像すら超えた走りで、アラフィリップはフィニッシュまでの17㎞を独りで駆け抜けた。

それは実際、あまりにもリスキーな走りではあった。ワウト・ファンアールトがこの日、調子が万全であったり、イタリアチームが度重なる落車やトラブルで重要な選手を失っていなければ、このアタックは正直、成功したとは言い切れないだろう。

 

ゆえに、これは彼にとっての「王者」の走りではなかった。

それは、まるで失うものがないかのような、「挑戦者」としての走りであった。

 

実際、アラフィリップはレキップ紙のインタビューに次のように答えている。レインボージャージを脱いでレースに挑めることがポジティヴな意味を持つことを認め、

 

それは300%確かなことだよ。解放された思いでいっぱいだった。それは説明するのが難しいことだけど、僕はとてもリラックスしていたんだ。それはとても矛盾しているとは思う。僕は本当にすごく勝ちたかった。もちろんみんな勝ちたい。でも一方で、僕は普通のライダーの1人として走れることが幸せだった。プレッシャーもなく、純粋に楽しみながら走ることのできるライダーとして。

 もちろんその思いは常に持ってはいたけれど、でも、レインボージャージの存在は僕によりよく走ることを求め、僕により多くのエネルギーを使わせる。レインボージャージはどうしても人の目を惹いてしまうからね。変な走りはできない。常に良く走ろうとしてしまうんだ。でもフランスチームのジャージであれば、僕はより自由になれる*4

 

 

少なくともこの日、彼は「王者」であることを忘れられた。

そのことが彼の走りを自由にし、そして5回に渡るアタックを繰り出し、2度目のタイトルを掴み取った。

彼はその意味で今年もまた「挑戦者」であり続けたのだ。

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そしてそれは、ジュリアン・アラフィリップという男がこれまでもあり続けた走り方そのものであった。

 

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「挑戦者」であり続けた男のルーツ

ジュリアン・アラフィリップは1992年6月11日にフランスのサン=タマン=モンロン(サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏)で生まれる。

13歳で自転車に乗り始めた彼はすぐさま才能を見せつけ、ジュニア時代にはシクロクロスで2010年の世界選手権で2位を経験している。

アマチュア時代の「アルメー・デ・テレ(フランス陸軍チーム)」にも所属し、ツール・ド・ブルターニュでは総合11位。

そして2013年に現ドゥクーニンク・クイックステップの育成チームに所属。ツール・ド・ブルターニュでは独走逃げ切り勝利を果たしたほか、ヨーロッパ選手権U23ロードで4位、世界選手権U23ロードで9位、そしてツール・ド・ラヴニールで最終ステージ優勝&ポイント賞を手に入れた。

プロ2年目となる2015年には初出場のフレーシュ・ワロンヌとリエージュ~バストーニュ~リエージュでいきなりの2位。そしてツアー・オブ・カリフォルニアでもマウント・バルディ山頂フィニッシュを制して総合2位。翌年には総合優勝も果たし、誰もがその才能を認め始めた。

 

一方で彼はどこかあぶなかっしいところや肝心なところでトラブルやミスに見舞われることが多く、かつ常にアグレッシブに過ぎる走りを見せる男、という印象もあった。

2016年のツール・ド・フランスでは第15ステージで逃げ切り勝利のチャンスが目の前にまでやってきていたものの、メカトラブルによって大きくタイムロス。かと思えばその年のグランプリ・シクリスト・ド・ケベックでは残り40㎞から独走を開始。捕まえられた後も積極的に動き、残り3㎞でもアタックを繰り出している。

翌日のモンレアルでも終盤までアグレッシブに動き続き、勝利には繋がらなかったものの強い印象を残した。

 

そんな彼が飛躍を遂げたのが2018年。シーズン序盤のイツリア・バスクカントリー第1・第2ステージで連勝したあたりから調子の良さを強く感じさせていた彼は、2015年・2016年と連続で2位を経験していたフレーシュ・ワロンヌでついに優勝。難攻不落と思われていたアレハンドロ・バルベルデの連勝を4でストップさせた。

 

そしてツール・ド・フランス。アルプス山中のル・グラン・ボルナン山岳ステージで優勝した彼は山岳賞ジャージを獲得。そのまま第16ステージでも2勝目を飾ると共に山岳賞ジャージをパリにまで持ち帰った。

この勢いは翌年も収まるどころかむしろ加速し、ストラーデビアンケとミラノ~サンレモを立て続けに勝利したうえで2年連続となるフレーシュ・ワロンヌでの勝利。そして伝説とも言うべき、ツール・ド・フランスでのマイヨ・ジョーヌ14日間着用。

そのときの彼は間違いなく世界一の選手であり、全フランスの英雄であった。

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しかしだからといって、彼がそのあとも常に「最強」であり続けたわけではない。

むしろ彼は、それだけの強さを持ちながら、勝利と同じくらいの「敗北」に見舞われ続けた男でもあった。

 

たとえばその大飛躍を遂げた2019年のグランプリ・シクリスト・ド・モンレアルでは実に強い走りを見せながらも最後の最後で力を失ってあまりにも悔しい敗北を遂げている。

www.ringsride.work

 

翌年のツール・ド・フランスでは第2ステージ終盤のキャトル=シュマン峠での鋭いアタックからの得意の逃げ切りパターンで勝利。

直後の世界選手権でも同様の勝利パターンでの栄光を掴み取ったかと思えば、直後のリエージュ~バストーニュ~リエージュでは世紀の大敗北とロンド・ファン・フラーンデレンでの落車・・・これだけ光と影の激しい世界トップクラスの選手は彼かプリモシュ・ログリッチくらいなものだろう。

 

今年に関しても、同じ傾向が続いていた。ツール・ド・フランス第1ステージでの勝利は出来過ぎなくらいに素晴らしかったが、ツール後半ではモン・ヴァントゥステージのように、積極的に逃げに乗る割には思うような走りができない姿が目立った。

そして、ブルターニュ・クラシックでの敗北。ミケルフローリヒ・ホノレと共に2vs1で挑みながら敗北したその姿を見て、今回の世界選手権での彼に対する期待度もぐっと下がったことだろう。

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だが、この常に全力で、数多くの敗北を重ねていく彼の走り方こそが、鮮烈な勝利をもたらす鍵であると、今年のツール・ド・フランス後半の走りを踏まえながらチームGMのパトリック・ルフェーブルが語ってもいた。

 

彼は衝動的にレースをしすぎるきらいがある。もちろん、彼は世界王者に相応しい走りをしたいと思っているのだろう。一方で、そのジャージは彼にとっては重すぎるようだ。彼がアタックをすれば、実に多くのライダーがその後輪に飛びつこうとする。

 その中であまりに無謀な走りをし続けることは、少しクレイジーな方法のようにも思える。だが、それこそが、彼がより大きな成功へと到達するための方法であることも確かだ。

 ジュリアンは少し衝動的かもしれないが、彼がすることのすべてに、最善の意図があるようにも思える。私たちは彼を非難することはない。私には彼を愚かだと思うことはできない*5

 

 

まるで今回の世界選手権での勝利を予期していたかのような、ルフェーブルのこの言葉。それは、7年以上を彼と共に過ごしてきた男だからこその言葉なのかもしれない。ヴォクレールの想像すら超えた彼の走りを、ルフェーブルは確かに理解していた。

 

そんなアラフィリップは、クイックステップとの契約をさらに3年更新した。

来季からクイックステップ・アルファヴァイナルと名前を変える予定のこのチームで、彼はどんな歴史を創っていくのだろうか。

 

少なくとも言えることは、彼はきっとその挑戦者としての走りを止めることはないだろうということ。

数多くの敗北を重ねながら、そのうえでときおり鮮烈な、衝撃的な勝利をもたらし続けてくれる。

 

そんな「多敗の英雄」をこれからも応援していこう。

 

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