「言葉が出てこない。僕はここにいるだけでもう十分なはずだった。このレースに戻ってこれるなんて思ってもいなかったから」
「ドゥクーニンク・クイックステップにきたとき、そこには世界最高のライダーたちが揃っていて、その中で僕がツールのメンバーに選ばれるとは思っていなかった。でも、それは実現した。殆どの人が僕のこの勝利を信じていなかったと思うけれど、彼らは僕を信じてくれていたんだ」
マーク・カヴェンディッシュ、15年のプロ生活で稼ぎ出した勝利数は150超。ジロ・デ・イタリアで15勝、世界選手権を制し、ミラノ〜サンレモも制し、そしてツール・ド・フランスではこれまで30勝を記録し、これは伝説の男エディ・メルクスに次ぐ記録である。
そんな彼が、キャリアの晩年に至り、勝てなくなるどころかプロ契約すらも危うくなる。
それでも走り続けることを諦めなかった彼が、この日、まさに奇跡のような「31勝目」をもたらした。
そしてそれは、決して「チームが強いから」だけで手に入れた勝利ではない。
彼自身がかつての強さを取り戻し、それを存分に発揮したうえでの勝利であった。
今回は、大きな感動を呼んだツール・ド・フランス2021第4ステージのカヴェンディッシュの勝利について、詳細に解説していきたいと思う。
目次
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ツール出場まで
2021シーズンのカヴェンディッシュの走り、そしてツアー・オブ・ターキーでの4勝については以下のリンクで詳細を記載している。
とくにツアー・オブ・ターキーの勝利については、ただ単にランクの低いレースに勝利したということではなく、彼が確かにかつての強さを取り戻しつつあることを証明するものとなっている。
上記ターキーでの戦いのあと、カヴェンディッシュはカレブ・ユアンやティム・メルリールなどが出場するツール前哨戦ツアー・オブ・ベルギーに出場。元々出場予定だったサム・ベネットが膝の怪我により急遽欠場となったことを受けての対応である。
豪華なメンバーが並ぶこのプロシリーズのレースにて、カヴェンディッシュは最終日、メルリールを僅差で打ち破って勝利する。
フィニッシュ後、まるでデビューしたての若者のように興奮し、はしゃぎまくるカヴェンディッシュは、初めてタッグを組んだミケル・モルコフのリードアウト力を褒め称え、彼のおかげで勝利できたとコメントしていた。
その言葉からは、彼がまだまだこの「世界最高のライダーたちが揃って」いるチームの中であくまでも補欠・二軍であると自己評価していることが窺えた。
そしてサム・ベネットが回復してツールに出場できればいいが、万が一を考えて、と彼はツールに向けての準備を進めながらそのときを待った。
そして、結果としてベネットが万全の状態に戻ることは難しいと判断され、カヴェンディッシュは3年ぶりのツール出場を果たすこととなる。
ツール・ド・フランス2021第4ステージ
ツール開幕後も、カヴェンディッシュの調子は悪くなかった。
第1ステージ、第2ステージは登りフィニッシュとなりスプリンターの出番はなかったものの、中間スプリントポイントにおいては第2〜第3ステージでカレブ・ユアンに次ぐメイン集団内2位。
ミケル・モルコフの強力すぎるリードアウトにギリギリまで導かれてのリザルトであり、モルコフ自身も上位に名を連ねるような結果であった。
第3ステージはいよいよスプリンターたちによる祭典が期待されたが、フィニッシュ前に落車が頻発。アルノー・デマールまでもが巻き込まれる落車にカヴェンディッシュ自身もバイク交換を余儀なくされ後退。
また、生き残った先頭集団の中でもカレブ・ユアンが落車して即時にリタイアとなるほどの荒れた展開となった。
第4ステージは再び集団スプリントステージ。前日の危険なフィニッシュレイアウトへの抗議からスローペースで開幕し、逃げ切りは絶望的な2人の逃げができただけで、全体としては非常にまったりな展開が作られた。
中間スプリントポイントでは再びモルコフのリードアウトが力を発揮し、カヴェンディッシュが集団内先頭通過。
これまで常に中間スプリンポイント集団先頭を果たしていたユアンが去った今、純粋なスプリントではこのモルコフ&カヴェンディッシュのペアが最強なのか? という印象を感じさせた。
だが、そのまま平穏な集団スプリントで決着すると思われていたこの日。
今年クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ初日に鮮烈な逃げ切り勝利をしてマイヨ・ジョーヌも着用した男、ブレント・ファンムールが、残り13.5㎞で同行者ピエールリュック・ペリションを突き放して独走を開始。
その後、1分差がなかなか縮まらない。
残り7㎞で1分。
残り5㎞で50秒。
残り4㎞で40秒。
残り3㎞で30秒。
残り2㎞で20秒。
順調と言えば順調だが、本来のスプリントステージでは決して許されないような残り距離とタイム差のバランスに、まさか、の可能性が俄に出てきた。
メイン集団も2大スプリントチームのロット・スーダルとグルパマFDJのうち、ロット・スーダルはファンムールが逃げている以上、牽引をしないのはもちろん、むしろフィリップ・ジルベールを中心に集団の前方に集まり、ローテーション妨害を行う。
グルパマFDJも重要なラスト1㎞までの牽引枠を担うイグナタス・コノヴァロヴァスがすでにリタイアしていたことで、最後の最後までまったく前に出てこようとしない消極策に出ていた。
結果、残り3㎞でチームDSMが枚数揃えて前に出てきたかと思えばすぐに崩壊し、トレック・セガフレードやバーレーン・ヴィクトリアスも前に出てくるがすでにアシストの数は少なく、横一列になるような状況。
残り1.3㎞でようやくジュリアン・アラフィリップが先頭に出てきてドゥクーニンクトレインを縦に長く伸ばして本気の追走を開始するが、この時点でアラフィリップの後ろにはモルコフ、その後ろにはカヴェンディッシュと、明らかに枚数が足りない。
残り1.5㎞。15秒差。
残り1㎞。10秒差。
だが、ファンムールの表情ももう、限界を物語っていた。
残り500m。
モルコフも脱落し、カヴェンディッシュは1人に。
残り400m。
集団内で唯一生き残っていたアシストともいうべきティム・メルリールが、ジャスパー・フィリプセンのための強烈なリードアウトでファンムールとの距離を一気に縮めていく。
残り200m。
メルリールが離脱し、フィリプセンがスプリントを開始。
その背後にいたカヴェンディッシュも同時にスプリントを開始するが、その目の前に、フィリプセンが被さってきて進路が塞がれた。
だが、カヴェンディッシュにとってそれは、ちょうど良い発射台になったのかもしれない。
左手からはケース・ボルが上がってきて一瞬カヴェンディッシュが閉じ込められたような状態になったが、フィリプセンの加速により彼とボルとの間にわずかな隙間が。
カヴェンディッシュは冷静にこの隙間に向けて加速。ボルも無理にこれを閉じようとはせず、むしろカヴの存在に対するリスペクトであるかのようにわずかに進路を左にずらし、これでカヴェンディッシュの道ができた。
あとは、ペダルをひと踏みするごとに、加速していくだけだ。
2年前なんかはこのタイミングで力なく失速していた彼が、今はもう、かつての勢いを完全に取り戻したかのようなスピードを見せる。
そしてフィリプセンを追い抜き、その後も失速することなく、先頭を守り続け、そしてフィニッシュした。
いつも通りの、両腕を前に突き出すガッツポーズ。
だがそのあと彼は一瞬顔を歪め、それからもう一度、力強くそれを突き出した。
5年ぶりの、31勝目。そして152勝目。
だがそれはまるで、生まれて初めて成し遂げたツールでの勝利のような瞬間であった。
この勝利は、もはや「モルコフのおかげ」ではない。
もちろん、ラスト500mにおいて彼を勝負できる位置にまで引き上げたアラフィリップやモルコフの働きは勝利の理由の大部分を占めている。
だがそこから先は、カヴェンディッシュ1人での戦いであった。
そして決して優位ではないポジションから、冷静に状況を見極め、そして誰よりも強いスプリントを見せてくれた。
この勝ち方はすでにツアー・オブ・ターキーでも見せていた。
ゆえに、この勝利は必然であり、ユアンも去った今、デマールやアルペシン・フェニックスの2人に並ぶ優勝候補筆頭の位置にカヴェンディッシュがいることは疑いようがなさそうだ。
そして彼は、1度勝つと手がつけられなくなるほど勝利を量産するタイプでもある。
34勝の「エディ・メルクス超え」。
誰もが不可能と考えていたその偉業もまた、決して夢物語ではなくなりつつあるのかもしれない。
とはいえ、そのことを考える必要は今はない。
まずは、彼がこの場所に帰ってきたことを素直に喜ぼう。
Cav is back.
引き続き彼が自信を取り戻し伸び伸びと走る姿を楽しみにしている。
次回スプリントステージは第6ステージ。
彼が初めてツールで勝った13年前と同じ、シャトールーの地である。
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