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ストラーデビアンケ2021 マチュー・ファンデルプールが再び「常識」を超えた瞬間

 

 

その男が強いことは誰もが知っていた。

 

それでも、彼はグランツールライダーたちと同じように走ることは難しく、3,000mを超える獲得標高をもつこのストラーデビアンケで結果を出すことは簡単ではないだろうと予想されていた。

 

 

しかし彼は、最終盤まで残り続け、それどころか最後の勝負所「レ・トルフェ」において、自ら攻撃を仕掛けたのである。

 

それでも、世界王者ジュリアン・アラフィリップを振るい落とすことはできなかった。

そして彼は最後の「サンタカテリーナ通り」の石畳激坂を、この男と共にマッチアップする必要に迫られた。 

 

 

そうなってしまえば、彼に勝ち目はないはずだった。

相手はフレーシュ・ワロンヌを2度制している現役最強の激坂ハンターである。

 

 

だが、そんな「常識」を、「論理」を、彼は覆した。

 

最大勾配16%の超激坂で彼は踏み込み、アラフィリップを突き放し、そのギャップをみるみるうちに開いていった。

 

 

そして彼は、いつも通り右手を挙げた。

しかし、それだけでは足りなかったのか、その両腕を何度も繰り返し振り回し、溢れ出る歓喜を全身で表現してみせた。

 

誰もが驚く勝利。それこそ、彼自身までもが。

シクロクロス界では早々にその実力を示し台頭し、ロードレース界においても常に我々を驚かせ続けてきた男が、また一つ、進化を見せてくれた瞬間だった。

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モンテ・サンテ・マリエを超えた後の8名の逃げの半分以上が、北のクラシックのスタートリストでは見ることのないようなメンバーばかりだった。このレースではベルナルやポガチャルのようなグランツール勝者を含んだトップライダーたちによる戦いが繰り広げられており、その中で彼らに勝つことができたというのは、僕にとってただレースに勝てたという以上の価値を持つものだった*1

 

 

実際、この勝利は昨年のロンド・ファン・フラーンデレンでの勝利と比べると「格」は落ちるかもしれないが、それでも彼がこれまでにないステージに上がったことを意味する重大な勝利であった。

 

そしてそれは、冒頭に述べたように、我々ロードレースファンの「常識」とか「論理」とかを覆すようなありえないような勝ち方でもあった。

 

 

しかし、そういう勝ち方をするのは、この男――マチュー・ファンデルプールにとっては初めてではない。

かつて彼が成し遂げたその「常識破りの勝ち方」を振り返りつつ、今年のこのストラーデビアンケをいかにして、そしてどのように「ありえない」勝ち方をしてみせたのか。

 

2019年からロードレースシーンで彼を見続けてきたときのそのリアルタイムの感情を辿っていこう。

 

 

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2019年アムステルゴールドレースまで

マチュー・ファンデルプールという存在は、兼ねてより大きな注目を集め続けていた。

フランスにおけるベルナール・イノーと並ぶ伝説的な存在、レイモン・プリドールの孫であり、これもまた名選手であるアドリ・ファンデルプールの息子というサラブレット的な存在。

2013年にはロードレースのジュニア世界王者にも輝いており、シクロクロスでは2015年にわずか20歳でエリート世界王者に君臨している。

 

2018年にはロード・シクロクロス・マウンテンバイクの3種目すべてオランダ国内王者に輝いており、Jsportsでも放映されたアークティックレース・オブ・ノルウェーでは区間2勝を果たすなど、シクロクロスのことを知らないロードレースファンの間でもその存在が認知されるようになっていた。

そして2019年。所属するコレンドン・サーカスがプロコンチネンタルチーム(現UCIプロチーム)に昇格したことで、いよいよロンド・ファン・フラーンデレンなどのワールドツアーに出場できるようになったことで、彼に対しての期待が大きく膨らんでいた。

 

彼の走りが期待以上のものであることは、当初から明らかだった。

2019年のロードレースシーズン「開幕戦」であるツアー・オブ・アンタルヤ*2第1ステージでのいきなりのステージ優勝。

ヨーロッパでの初戦となるノケーレ・コールスではフィニッシュ直前に落車に巻き込まれ、担架で運ばれる事態に。

しかし4日後のグランプリ・ド・ドナンでは平然と、ラスト40㎞からの独走という圧倒的な勝ち方をしてみせる。

 

そして3/31。ついに、彼にとって初となるワールドツアーレースに挑むこととなる。

ヘント~ウェヴェルヘム。石畳の難易度自体はロンド・ファン・フラーンデレンほどではないものの、250㎞を超える長距離と強烈な横風が波乱を巻き起こすフランダースクラシック最高格式のレースの1つである。

このレース自体はアレクサンダー・クリストフが勝利を挙げるものの、ファンデルプールもそのスプリントに加わり4位に入賞。ダニー・ファンポッペルやマッテオ・トレンティンなどを下すという結果を掴み取った。

 

さらにその3日後に開催されたドワースドール・フラーンデレン。

数年前にワールドツアーに昇格したばかりの、ロンドやヘント~ウェヴェルヘムと比べると出場選手の層はやや劣るレースとはいえ、彼にとって2度目となるワールドツアーレースで見事、優勝を果たしてみせた。

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そして、4/7のロンド・ファン・フラーンデレン。

途中不注意による落車で集団から大きく遅れる場面がありながらもチームメートの尽力によって集団復帰し、残り30㎞を切ってからの最終盤でもワウト・ファンアールトと共にアグレッシブなアタックを繰り出し続けたファンデルプール。

最後はアルベルト・ベッティオルによる劇的な逃げ切り勝利が繰り広げられ、ファンデルプール自身は集団スプリントで3位、すなわち全体の成績としては4位で終えることとなる。

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圧倒的な戦績。昨年までコンチネンタルチームに所属し、ロードレースは年間20日も出場していないような選手が成し遂げたこの戦績の数々に、彼もまたエガン・ベルナルやタデイ・ポガチャルやレムコ・エヴェネプールら「異様な才能を持つ若者たち」の1人として注目を集める存在となっていた。

 

 

とはいえ。

それはある意味で「理解の範疇」ではあった。

 

たしかに期待、想像していた以上の走りを見せ続けていたファンデルプールではあったが、その凄さはベルナルやポガチャル、エヴェネプールたちと「同格」。

数年に一度の才能が次から次へとあふれ出てくるこのインフレ状態の中で、まだ「抜け出る」ものをファンデルプールに感じることはなかった。

 

 

そう、4月21日に開催されるアムステルゴールドレースでの走りを目の当たりにするまでは。

 

 

 

「常識」を超えた瞬間

アムステルゴールドレースは彼にとって「母国」オランダにおける唯一のワールドツアーレース*3という意味でも特別なレースであった。

そして、クライマー向きとまでは言わない厳しすぎないアップダウンのレースという意味でも、ファンデルプールの脚質に最も適したクラシックレースでもあった。

 

この日、最初にレースを動かしたのはファンデルプール自身だった。

残り44.9km地点の「グルペルベルグ(登坂距離600m・平均勾配10%)」 。プロ選手でも自転車を傾けながら小さく蛇行しつつ登るしかないこの激坂で、ファンデルプールがアタックを仕掛けた。

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しかし、このアタックにすぐさま反応したのがクラシック最強軍団ドゥクーニンク・クイックステップ。

ファンデルプールも5㎞も走らないうちに諦めざるを得ず、集団に舞い戻ることとなった。

 

そしてこのときわずかに油断してポジションを落とした隙に、クイックステップは反撃を仕掛けた。

残り39.5km地点の「クライスベルグ(登坂距離800m・平均勾配8.5%・最大勾配15.5%)」。

ドリス・デヴェナインスの猛牽引に導かれ、ジュリアン・アラフィリップがアタックを繰り出した。

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この攻撃に食らいついていけたのが、アスタナ・プロチームのヤコブ・フルサンとマッテオ・トレンティン。

続く「アイゼルボスウェグ」の登りでアラフィリップが再度アタックし、トレンティンが突き放されてアラフィリップとフルサンの2人だけになった段階で、その年のストラーデビアンケのような展開を誰もが予想するような状況となった。

 

ファンデルプールは彼らしい実にアグレッシブな動きでレースを自分のものにしようとしたものの、結局はドゥクーニンク・クイックステップの「ロードレース」によって完膚なきまでに叩き潰されてしまったのか?

 

 

だが、ここからが「常識」を覆す時間となった。

 

 

残り7㎞。

すでに諦めムードが漂い始めていた追走集団から、ファンデルプールがアタック。

事前に飛び出していたロマン・バルデやヴァランタン・マデュアスらを飲み込み、ついてきたビョルグ・ランブレヒトやアレッサンドロ・デマルキと共に5名の追走集団を形成する。

このときはまだ、彼もローテーションを回しながら、少しずつ先頭に迫ろうとしていた。

 

残り3㎞で先頭との間にいた最後のメンバー(バウケ・モレマとサイモン・クラーク)を飲み込むが、そのときもまだ先頭とのタイム差は1分、距離で言うと500mもの差がついていた。

3㎞で500m。先頭のアラフィリップとフルサンと追いついてきていたクフィアトコフスキに対して残り3㎞を、常に時速10km/h以上上回り続ける必要があった。

 

確かに、先頭3名は牽制気味で、ラスト3㎞からラスト1㎞までの平均速度は40㎞/h弱程度で推移している。

それでも、この局面においては後方集団もまた、アシストの不在によって牽制状態に陥ってしまうことが常であった。

だがその問題を解決すべく、ファンデルプールはまさにロードレースの常識を打ち破るような動きを見せる。

 

 

すなわち、追走集団の先頭に立ち、牽制など関係なくひたすらアクセルを踏み続けるファンデルプール。

その平均速度は残り3㎞から残り1㎞まで時速50㎞弱。きっちり先頭3名よりも+10km/hで爆走していく。

ラスト1㎞で先頭3名の平均速度も52.94km/hに達するが、ファンデルプールの方はファンデルプールの方で64.29km/hの速度で追走先頭を牽き続けながら追いかける。

そしてラスト500m。ついにその視界に先頭3名を捉え、ファンデルプールはさらに加速した。

その背後にはサイモン・クラーク。虎視眈々とその背中から飛び出す機会を窺っていたが、全く気にすることもなくスプリントを開始する。

 

そしてアラフィリップもフルサンもクフィアトコフスキも一瞬で抜き去り、

背後にいたクラークも付き切れさせて、

 

「ありえない勝利」をファンデルプールは成し遂げた。

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フィニッシュ後、全ての力を出し尽くしたことを象徴するように道路に仰向けに倒れこむファンデルプール。

自転車ロードレースのセオリーを全うして絶対の勝利を掴みかけていたドゥクーニンク・クイックステップを、そのセオリーを完膚無きまでに叩き潰す走りを見せたマチュー・ファンデルプールが圧倒する結果となってしまった。

 

 

2019年後半戦から2020年の走り

その後、彼は2019年シーズンのロードレースを一時中断し、マウンテンバイクの方へと挑む。

2020年の東京オリンピックを見据え、ワールドカップでの勝利など、相変わらずその才能の大きさを思い知らせる走りを見せていた。

 

そして8月にロードレースに復帰。

前年に区間2勝したアークティックレース・オブ・ノルウェーではこの年も区間1勝。

さらに続いて出場したツアー・オブ・ブリテンではマッテオ・トレンティンらを相手取り区間3勝と総合優勝を成し遂げる圧倒的な強さを見せつけていた。

 

そのまま、ヨークシャーで開催される世界選手権ロードレースでも、その勝利を大いに期待される存在に。

実際、オランダチームのチーム戦略を背景に、ファンデルプールはラスト13㎞まではかなり優位に展開を進めることができていた。

 

しかしそこでまさかの失速。寒さにやられたのか、ハンガーノックか。原因不明の大失速により、彼は世界王者への挑戦権を失うこととなった。

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2020年は初戦オンループ・ヘットニュースブラッドを直前にインフルエンザに罹患したことによって欠場。

回復後ストラーデビアンケに挑戦する予定だったが、これが新型コロナウイルス流行の本格化によって延期。レース中断期に入る。

 

そのレース再開後の最初のストラーデビアンケに出場するも、最初の勝負が動き始めるタイミングでパンクの憂き目に遭い、戦いに参加できないまま15位でフィニッシュ。

 

その後はティレーノ〜アドリアティコやビンクバンクツアーでステージ優勝、ビンクバンクツアーでは総合優勝を果たすなど相変わらず強い走りを見せるも、2019年のアムステルゴールドレースのときのような「常識外れ」なインパクトはさほどなかった。

それはベルナルがツール・ド・フランスを制したときのような感覚に近いし、もしエヴェネプールがジロ・デ・イタリアに出場し、これを総合優勝していたとしても、それは同じような感覚を覚えたことだろう。

その意味で、2020年のロンド・ファン・フラーンデレンをマチュー・ファンデルプールが制したその瞬間も、実は似たような思いでしかなかった。

それは驚くべき偉業であることは間違いないが、それは理解の範疇であり、想像の枠内であり、常識的な結果であった。

それを超えた瞬間が2020年にあるとすれば、それこそツール・ド・フランス第20ステージにおけるタデイ・ポガチャルの大逆転勝利くらいなものであった。

 

 

要はマチュー・ファンデルプールの強さに慣れきってしまったのだ。

それどころか、ヘント〜ウェヴェルヘムでの「失敗」などを見て、ロードレースの走り方はまだまだ身につけていないとか、フィジカルだけに頼っておりそのうち限界を迎えるだろうとか、訳知り顔で考えていたりすらした。

 

その果てが、冒頭でも書いた、ストラーデビアンケに臨むファンデルプールに対する評価である。

 

すなわち、彼はこの総獲得標高3,000m超えのクライマー向けとすら言えるストラーデビアンケに対しては、決して優勝候補とは言えないだろう、と。

仮に彼が勝てるとしたらそれは最終局面を独走で迎えられたうえであり、もしもサンタカテリーナ通りの激坂をジュリアン・アラフィリップと同時に駆け上がったとしたら、決して勝つことはできないだろう、と。

 

 

忘れていたのだ。

この男が、そんな常識を、論理を、軽々と乗り越えてくる男だというのは。

 

 

そんな自分の甘い考えをぶち壊したのが、今回のストラーデビアンケだった。

 

 

 

ストラーデビアンケ2021

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勝負は例年通り、残り55㎞地点から始まる全長11㎞の未舗装路「モンテ・サンテ・マリエ」から動き始める。

 

おもむろに集団先頭に上がってくるワウト・ファンアールトとジュリアン・アラフィリップ。番手を下げていたマチュー・ファンデルプールを、危機感を抱いて慌ててポジションを上げていく。

そして残り52㎞。アラフィリップのアタックをきっかけにして、集団は一気に分裂し、先頭はファンアールト、アラフィリップ、ファンデルプール、ベルナル、ピドコック、ポガチャルなど8名の精鋭集団に絞り込まれた。

2019年2位のヤコブ・フルサンや、2019年アムステルゴールドレース2位のサイモン・クラーク、ティム・ウェレンスなどの準優勝候補たちは後続に取り残され、勝負権は先頭の8名にのみ許される結果となった。

 

残り23㎞。第二の勝負所「モンテアペルティ」でアラフィリップが再びアタック。ここでワウト・ファンアールト、そしてトム・ピドコックが脱落する。

のちにラスト19㎞の第三の勝負所「ピンズート」で先頭に追いつく2人だが、一度足で置いていかれた彼らがその先の展開で生き残ることは不可能だった。

そして、実質的な最後の勝負所「レ・トルフェ」。最大勾配18%の超激坂で、勝負を仕掛けたのはマチュー・ファンデルプールだった。

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実際、彼が勝つにはこの方法しかなかった。むしろ遅すぎるくらいだった。

強烈なファンデルプールの一撃に、誰もすぐには反応できず、少し遅れてようやくアラフィリップが上がってきた。そのあとには、ベルナルが。

 

しかし、それだけだった。

ファンデルプールの一撃で、すでに一度遅れていたファンアールトとピドコックはもちろん、昨年ツール覇者ポガチャルも、ここまで意外な頑張りを見せてきたミヒャエル・ゴグルも、ここで脱落した。

 

 

そして先頭のファンデルプール。

状況は、彼にとって決して理想的なものではなかった。何しろ、この局面において最も強いことは明らかなジュリアン・アラフィリップが追いついてきてしまっていたのだから。

 

このままラストの激坂に行ってしまっては、自身に勝ち目はない、そんな風にファンデルプールも思っていたのだろうか。

残り4㎞、アラフィリップが牽制のためにローテーションを拒否してポジションを落としたその隙を突いて、ファンデルプールが加速した。

 

だが、あくまでも牽制の間隙を突いただけのアタックであり、何でもない平坦路でのその一撃は、すぐさまアラフィリップとベルナルによって捕まえられる。

ファンデルプールの最後のチャンスはこれで失敗に終わった。

むしろこの一撃で無駄に足を削ってしまったファンデルプールは、いよいよ勝ち目を失ってしまった。

 

そんな風に、思っていた。

 

 

だが、このときファンデルプールはまた違った感想を抱いていたようだった。

 

ジュリアンはこの最終局面で足を失っていた。彼自身が僕にそのように言ってきていたし、事実、いつも常にフルガスで走る彼が、今日は何度かローテーションを拒否していた姿を見ていたので、彼が嘘をついているわけではないことが僕にはわかっていた*4

 

実際、それはアラフィリップの特性だった。

勝てる足を持っているときの彼は常に攻撃的な姿勢を緩めないが、いっぱいいっぱいのときの彼は、意外なほど保守的な姿勢を取ることが多かった。

 

それはたとえば2019年のグランプリ・シクリスト・ド・モンレアル。

ラスト2.7㎞からのブノワ・コヌフロワとの「2人逃げ」でフィニッシュ直前まで辿り着いた彼は、ラスト500mでコヌフロワが前を牽くよう指示したとき、そのローテーションを拒否した。

 

「僕ももうガス欠だったんだ」というレース後の彼のコメントは真実だった。

残り200mでコヌフロワが諦めたときアラフィリップはスプリントを開始したが、それは本来の彼のスプリントの鋭さなど一切残っていないようなへろへろの加速だった。

 

そして最後は後続から追いついてきたグレッグ・ファンアーヴェルマートによって差され、ジュリアン・アラフィリップは敗北を喫することとなった。

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だから、この日、彼らしくない「ローテーション飛ばし」をアラフィリップが見せた瞬間に、彼の足がすでに売り切れであることをファンデルプールは見抜いていた。

で、あれば、ファンデルプールが行うべきは、モンレアルのときのコヌフロワのように同じく牽制状態で慎重に行くことではなく、むしろ積極的に、攻撃的に攻め続けることであった。

 

ゆえに、残り4㎞で彼は一度目のアタック。

これが失敗に終わったとしても、彼はそこで諦めることはなかった。

 

 

残り1㎞。カンポ広場へと向かうサンタカテリーナ通りの登り。

非常に狭いその石畳の激坂を、ファンデルプールはまず先頭で登り始めた。

残り700mでアラフィリップが左にラインを変え、一度先頭に躍り出る。

だが次の瞬間、ファンデルポールがアクセルを踏み始める。

 

ここでアラフィリップは一度、背後にいたベルナルをちらりと見る。

彼がそこでペースを上げられずにいる姿を見て、アラフィリップは自らファンデルプールを追うしかないことに気づく。

 

ダンシングでペースを刻んでいくファンデルプール。

この背中に貼りつき、アラフィリップはしっかりとその後輪を捉え続ける。

10秒間のダンシングの後、ファンデルプールは一度腰を下ろす。

だが次の瞬間、もう一度腰を上げ、ダンシングを開始するファンデルプール。

そのとき、アラフィリップとの間にギャップが生まれ、それがあっという間に開いていった。

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アタックし続けた15秒間の平均出力は1,105ワット。

最大で1,362ワットを叩き出したという驚異のパワーで「激坂王」を突き放したファンデルプール。

 

それは単純に言えば、ひたすら現役「自転車選手」随一のフィジカルを持つ男がそのぽパワーだけで蹂躙した勝利であったということもできるだろう。

だが、サイクルロードレースというのはそんなに単純な競技では決してない。とくに、200㎞弱の長距離を走る世界トップクラスのクラシックレースにおいては。

 

だが、そんな「常識」を、彼は2度、打ち壊した。

一度目は、ラスト3㎞を先頭牽引し続けそのまますべてを引き千切って勝ってしまうというやり方で。

二度目は、脚質というカテゴリをすべて無視するかのような、実績を覆す圧倒的なパワーで。

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で、あれば、また彼が三度目の「常識破り」をしない理由がどこにある?

 

 

 

アルペシン・フェニックスとツール・ド・フランス

さて、今大会、というか今シーズン、アルペシン・フェニックスという「チーム」の強さ自体にも注目していきたい。

 

かつてはマチュー・ファンデルプールのためだけのチーム、という印象はぬぐい切れなかっただろうが、2019年にティム・メルリエがベルギー国内選手権を制してからは、彼がチームのセカンドエースとして次々と勝利を稼いでいく中で、必ずしもファンデルプールだけが勝つチーム、というわけではなくなっていった。

 

今年はさらにジャスパー・フィリプセンというグランツール級のスプリンターや、過去にパリ~ルーベで2位を叩き出しているシルヴァン・ディリエなどを獲得。

そして2月のUAEツアーでは第1ステージで横風分断によって形成された26名の先頭集団の中に、アルペシン・フェニックスがファンデルプール含む3名を乗せる。

終盤にドゥクーニンク・クイックステップの波状攻撃やフェルナンド・ガビリアによる危険なアタックが繰り出されたときも、ファンデルプールと共に逃げに乗ったロイ・ヤンスとジャンニ・フェルメールシュがこれを抑え込み、最後はファンデルプールによる勝利を導いた。

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アルペシン・フェニックスのチーム力はこれだけではなく、たとえば3/2(火)の1クラスレース「ル・サミン」では、終盤にかけてマチュー・ファンデルプールとベルギー王者ドリス・デボントなどによる波状攻撃が繰り広げられ、最後はファンデルプールのリードアウトによりティム・メルリエが見事な勝利を果たして見せた。

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そして今回のストラーデビアンケ。

ここでもまた、決して「マチュー・ファンデルプールだけのアルペシン・フェニックス」ではなかった。

スタート直後に生まれた8名の逃げの中にフィリップ・ワルスレーベンが乗り、これが残り100㎞を切って1分差にまで縮まってくると今度は集団からロイック・フリーヘンがブリッジ。

さらにフリーヘン以外のすべての逃げが吸収されると今度はジャンニ・フェルメールシュがフリーヘンと入れ替わるようにして逃げに乗るなど、常に前へ前へという動きを繰り返し続けていた。

 

さらに最終盤に形成された10名の「追走集団」の中にも、ジャンニ・フェルメールシュとペトル・ヴァコッチの2名を乗せ、同じく2名を乗せて先頭集団にも1名(ミヒャエル・ゴグル)を乗せているキュベカ・アソスと共に追走集団のローテーション妨害に勤しんだ。

アスタナやロット・スーダル、EFエデュケーション・NIPPOといったトップクラシックチームたちよりもずっと多くの選手を先頭で戦わせ続けられるチーム、それがこのアルペシン・フェニックスなのである。

 

 

 

そんな心強い仲間たちと共に、今年のマチュー・ファンデルプールはいよいよツール・ド・フランスへと挑む。

おそらくはジャスパー・フィリプセン(あるいはティム・メルリエ)と共に乗り込み、そのスプリントリードアウトや逃げ切り向きステージでの逃げ切り、もしかしたら登りスプリントステージでの勝利なんかを期待することはできるだろう。

一方、後半の山岳ステージではさすがになりをひそめ、もしかしたら東京オリンピックに向けて「早退」する可能性もあるかもしれない。

 

――なんていう、「常識」的な考えを、彼と彼のチームは軽々と乗り越えてしまいそうでもある。

この夏、超級山岳で「かっ飛び」まくるマチュー・ファンデルプールの姿を見ることは、もはや想像できない姿では決してない。

そしてそんな想像すらも、彼は軽々と乗り越えて、また「ありえない」勝利を果たしてくれる気がしている。強力な仲間たちと共に。

 

 

 

もちろん、その前に注目すべきは目の前の春のクラシックである。

調子はものすごくいい。これはあと1ヵ月は続きそうだ*5

と告げる彼が1ヵ月後のパリ~ルーベまでの間に一体どれだけの戦績を重ねていくことになるのか・・・楽しみでもあり、恐ろしくもある。

 

これからも期待を、想像を、常識を打ち破る走りを楽しみにしているよ、マチュー。

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*1:Mathieu van der Poel: I can keep this form for a month | Cyclingnews

*2:トルコで開催されている2クラスのステージレース。

*3:但し、ビンクバンクツアーはエディションによってはオランダも通るレースであるため、それをオランダのワールドツアーレースの1つとして数えることはある。

*4:Mathieu van der Poel: I can keep this form for a month | Cyclingnews

*5:Mathieu van der Poel: I can keep this form for a month | Cyclingnews

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