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ワウト・ファンアールト、その栄光と挫折と復活の輪廻

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2週間の入院のあと家に帰ってから、ちょうど1年が経った。もし今日のことをあのときの僕に伝えても、決して信じてはくれなかっただろう。だけど一方で、僕はどんなに困難なときでも自分の復活を信じ続けてもいた。そうして苦しいトレーニングをこなし続けてきた先に今日のこの勝利があるんだ *1

 

その言葉通り、ワウト・ファンアールトは、1年前のツール・ド・フランスにおける大怪我からの完全復活を成し遂げた。

むしろ、彼はより強くなったのかもしれない。昨年・一昨年と3位続きだったこのストラーデビアンケで、ついにその表彰台の頂点に立つことができたのだから。

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思えば、彼のこれまでの経歴も似たようなことの繰り返しであった。

 

その道のりは決して平坦ではなく、我々を驚かせてくれる驚異的な走りを見せたかと思えば、挫折や苦しみに襲われて再起不能になりかねない事態に何度も巻き込まれてきた。

 

しかしその度に彼は立ち上がり続けてきた。

しかもその度により強くなり、我々を驚かせてくれながら。

 

 

今回は、そんなワウト・ファンアールトのロードレースにおける主要な経歴を振り返りつつ、彼の挫折と復活の歴史を確認していこう。

そしてその先にある今回のストラーデビアンケでの勝利と、これからについても。

 

 

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2018年の活躍

シクロクロス界ではすでに「世界選手権3連覇」という偉業を成し遂げていたワウト・ファンアールトが、我々ロードレースファンの前にその存在感をはっきりと示したレースは、間違いなく2018年のストラーデビアンケだろう。

当時まだプロコンチネンタルチームに所属していたファンアールトは、ロードレースにおける大先輩たちに臆することなく、終始積極的な走りを見せていた。

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まずは残り60㎞を切ったところで、ミハウ・クウィアトコウスキーやアレハンドロ・バルベルデらと共に10名程度の逃げグループを形成した。

当然、この動きに危機感をもったゼネク・スティバルやペテル・サガンらが集団を積極的に牽引し、直後の今大会最長の未舗装路区間であるセクター8「モンテ・サンテ・マリエ」に到達すると同時に逃げ集団は吸収された。 

 

しかし、このあとのアタック合戦の末に、集団からロマン・バルデが抜け出すと、先ほど逃げに乗ったばかりのファンアールトが再び加速。バルデに食らいついた唯一の選手となった。

そのままファンアールトとバルデはしばらく2人旅を敢行。のちに集団からティシュ・ベノートが抜け出し、追いつき、最後は2人を突き放して独走勝利を決めてしまうわけだが、ファンアールトはバルデと共に集団を振り切りカンポ広場へ。

最後はサンタカテリーナ通りの激坂で転倒してしまうという若者らしい失敗を見せて3位にはなったものの、十分すぎる戦果を残してくれた。

 

シクロクロス選手は短時間高強度に順応しておりロードレースには向かないだとか、シクロクロスでフル参戦した直後のロードレースではより「フレッシュ」なロードレース専属選手たちには敵わない(元シクロクロス世界王者スティバルもこの点でファンアールトのいきなりの活躍には懐疑的だった)といった当時の「常識」を打ち破り、のちにマチュー・ファンデルポールが登場する下地を作ったとも言える活躍だった。

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その後もロンド・ファン・フラーンデレン9位、パリ〜ルーベ13位、さらには8月のツアー・オブ・デンマークでの、TT能力の高さを活かしての総合優勝、そしてマチュー・ファンデルポールと並びヨーロッパ選手権ロードレースで3位表彰台を獲得するなど、めざましい活躍を見せ続けていったファンアールト。

しかし、その活躍の裏で、第一のトラブルが彼を襲うこととなる。

 

 

チームとの決別

それはヨーロッパ選手権の直後、8月末に飛び込んできたニュースだった。

当時彼が所属していたベルギーのプロコンチネンタルチーム「フェランダース・ウィレムスクレラン」は、経営危機に瀕しており、翌年の存続のためまずはチーム解散が決まっていたアクアブルー・スポートとの、それが難しくなると今度はオランダ籍のルームポットとの合併交渉を進めていき、それが確定した。

しかしこれに対し、ファンアールトは明確な不満を表明した。

www.cyclingnews.com

 

ファンアールトと親しく、そして彼を助けてくれるであろうチームメートやコーチが次々とチームを去っており、契約の更新もされなかったこと、他チームとの合併について発表の直前まで何も知らされなかったことなどを挙げ、GMのニック・ナイエンスとの関係性がすでに「氷点下」であるともコメントしていた。

そして9月半ば、チームは公式リリースで、ワウト・ファンアールトがフェランダース・ウィレムスクレランとの契約を期間中に破棄したと発表。

さらに続いてチームはファンアールトに対し、契約違反を理由に訴訟を行うと宣言。

すでに「所属チームなしの世界王者」という特異な立場でシクロクロスシーズンを開始しようとしていたファンアールトにとって、この旧チームとのいざこざは非常にストレスフルな出来事だったに違いない。

3度目の世界王者として迎える2018-2019シーズンが、彼にとっていかに苦しいものであったかは、下記のまとめおよびシクロクロスシーズンの記事を見てもらえれば伝わることだろう。

www.ringsride.work

 

2018-2019シーズンの前半、明らかに精彩を欠いた走りを見せ続け、怪物マチュー・ファンデルポールだけでなくトーン・アールツに対しても遅れを取り続けるファンアールト。

最終的には世界王者の座をファンデルポールに奪われるだけでなく、ベルギー王者の座すらアールツに奪われる形となってしまった。

 

 

それでも年末には、かねてより噂のあったチーム・ユンボ・ヴィズマとの契約が正式に締結。

ファンアールトの悲劇は過去のものとなり、明るい未来への兆しが見えてきつつある、そんな時期であった。

 

 

2019年前半戦の活躍と挫折

4度目の世界王者の座は逃すことになったものの、シクロクロスシーズンを終えたファンアールトは、悪くない形で新チームとの2019年シーズン開幕を迎えていた。

緒戦のオンループ・ヘットニュースブラッドこそ、まだ調子が上がり切っていなかったのか決定的なタイミングで前に出ることができず13位に沈んだものの、続くストラーデビアンケでは、残り23㎞の勝負所「モンテアペルティ」でのヤコブ・フルサンのアタックに、しっかりと食らいついていく走りを見せた。

最終的にはフルサンとジュリアン・アラフィリップという、その年のクラシック最強格の2人によって突き放されるものの、その他の選手を完全に突き放し、2年連続となる3位表彰台という栄誉を成し遂げた。

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その後もミラノ〜サンレモで最終盤の勝ち逃げ集団にしっかりと乗って6位、「ロンド・ファン・フラーンデレン前哨戦」E3ビンクバンク・クラシックでも2位を取るなど、着実に前年以上の力を見せつけていくファンアールト。

このまま、ロンド、そしてパリ〜ルーベでは、より大きな成果を成し遂げてくれるーーそんな期待が、高まっていた。

 

しかし、ロンド・ファン・フラーンデレンではマチュー・ファンデルポールと共に積極的な動きは見せたものの、最終的には強すぎたアルベルト・ベッティオルに完全に敗北し、2位集団の中で終えることに。

そしてパリ〜ルーベでは――数々の不運が、彼を襲うことになる。

 

 

まずは、最初の5つ星区間「アランベール」。勝負を決める決定所にはならないものの、勝負から脱落する有力勢を生み出しうる危険な森の中の小径。

ここでファンアールトは見事に餌食になってしまう。

パンク。

チームメートのパスカル・エーンクホーンのバイクを借りて一度は集団に復帰するも、その後自分のスペアバイクに乗り換えたあとの集団復帰のタイミングで単独落車してしまう。

何もかもが噛み合わない。チームメートととも連携がうまくいってないのか、エーンクホーン以外に彼を助けにきてくれる仲間はいなかった。

最終的には再びメイン集団に復帰し、それどころか最終盤に形成された6名の中に入り込むなど圧倒的な強さを見せつけたものの、ここまでの展開に焦りがあったのか、十分な補給を取ることは失念していた。

カンファナン=ぺヴェルを前にしてその足は完全に止まり、先頭6名から脱落するどころか追走集団にも追い抜かれていき、最後は22位でフィニッシュすることとなった。

 

ベロドロームの真ん中で倒れ込み、涙を流すファンアールト。

その姿は、あまりにもショッキングなものであった。

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その直後、ファンアールト最大のライバルであるマチュー・ファンデルポールがアムステルゴールドレースで衝撃的な勝利を達成。

 

ファンアールトは、完全に差をつけられてしまったのだろうか?

その後しばらく、ファンアールトは沈黙することとなる。

 

 

 

2019年のツール・ド・フランスにおける栄光と悲劇

驚きのニュースは6月の頭に飛び込んできた。

そのときすでにファンアールトはクリテリウム・ドゥ・ドーフィネへの出場を目前に控えていたが、そのタイミングで、彼のツール・ド・フランス出場が決まったのだ。

これは驚くべきことである。

すでにシクロクロスシーズンをフル出場で終えた直後に春のクラシックに乗っていた彼はほとんど休みなしでここまで駆け抜けていた。彼のこのあとの予定はビンクバンクツアーとツアー・オブ・ブリテンくらいなもので、世界選手権にも出場せずそのままシクロクロスシーズンに突入する予定だった。

まだ彼は今年10日間しかレースを走っておらず、クリテリウム・ドゥ・ドーフィネが彼にとって初めてのワールドツアー・ステージレースとなる、そんな状態だったのだから。

 

その話をもらったとき、即答はできなかった。それはジロ・デ・イタリアのあとで、そのとき僕はクライスヴァイクと共に高地トレーニングの真っ最中だった。僕はその高地トレーニングを、ユンボ・ヴィズマの若いライダーたちの標準メニューとして行っているだけのつもりだった。そのときチームマネージャーたちが僕に話を始めたんだ。僕は本当に何を考えればいいのかわからなかった*2

 

それでも彼は最終的にその決断を下すことになる。それは、最終的にチームに大きな成果をもたらすことになる決断だった。

そして、大きな悲劇をも。

 

 

彼にとってツール・ド・フランスへの前哨戦という意味を持つことになったクリテリウム・ドゥ・ドーフィネで、ファンアールトはチームメートたちと共に早速成果を持ち帰った。

すなわち、個人タイムトライアルとスプリントという、2つの勝利である。

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さらに続けて出場したツール・ド・フランス第10ステージでは、チームメートのマイク・テウニッセン、ディラン・フルーネウェーヘン、そしてチームTTに続き、チームに4度目の勝利をもたらすこととなった。

 

信じられない・・・すべての強いスプリンターたちを打ち倒して・・・ごめん、信じられないんだ。これまでのすべてを上回る経験だ。この10日間、僕はこのレースがいかに偉大であるかを噛み締めてきていた。そんなレースへの最初の挑戦でいきなり勝つなんて・・・ああ*3

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パリ〜ルーベの悲劇から3ヶ月。彼は栄光の絶頂にいた。それはマチュー・ファンデルポールもまた決して手にしたことのない栄誉であった。

 

しかし、彼がこの年のツール・ド・フランスで2つ目の栄誉を手に入れようとした第13ステージ、ポーでのタイムトライアルで――大きな悲劇に見舞われることとなる。

 

 

限界まで踏んでいた。フィニッシュラインまであと1㎞にコーナーがあった。それがトリッキーなコーナーであることを僕は知っていた。少し深く曲がりすぎてしまったんだと思う。そうして僕はバリアーの上に乗り上げてしまった*4

 

バリアは彼の腰に深く食い込んで、それは筋肉にまで達していた。あまりにもひどい怪我で、すぐに立ち上がろうとしたファンアールトが自らのその傷を見たとき、あまりの惨状にパニックに陥ってしまった。

すぐさま彼はポーの病院に運ばれ、1時間に及ぶ手術が行われた。しかしこの手術はあまり適切なものではなかったようだ。母国ベルギーに戻ったあと、彼はもう一度手術を行い、ようやく回復の兆しが見え始めてきた。

 

しかし下手をすれば選手生命を失いかねないほどの大怪我。

その年のシクロクロスへの復帰はおろか、2020年シーズンのロードレースを無事に走れるかどうかも、この時点では不透明であった。

 

 

 

そして2020年シーズンへ

9月には自転車を乗り始めることができるようになったファンアールトは、慎重にリハビリを進めながら復帰の時期を見定めていた。

最終的に彼が選んだ復帰戦は、12月27日のシクロクロスレースだった。そのリザルトは、5位。マチュー・ファンデルポールや新星エリ・イゼールビットら強敵には全く敵わなかったものの、それでもマイケル・ファントーレンハウトやラース・ファンデルハールらを退けてのこの成績は、あの信じられないような事故からの復帰戦においては上々すぎる結果であった。

年明けのレースでも4位。着実に復調の道を歩み続けていた。

そして2月。長期離脱によるランキングでのポイント不足を原因として、3列目からのスタートという圧倒的な不利の中でも、ファンアールトは善戦して4位でのフィニッシュとなった。

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そして2/29。

いよいよ2020シーズンのロードレースデビューとなるオンループ・ヘットニュースブラッドがやってきた。

元々はストラーデビアンケでゆっくりとロードレースシーズンを開始するつもりだったファンアールトだったが、新型コロナウイルスの影響が日に日に増しつつあった当時、ストラーデビアンケも無事に予定通り開催される見込みがなかったため、急遽このオンループに出場することを決めたのだ。

そんな中、ファンアールトは十分に手応えを感じることのできるレースをやってのけた。残り70㎞地点レケルベルグでの決定的な動きにチームメートのマイク・テウニッセンが反応したことで、ファンアールトは暫くは後続集団の中で足を溜めていたが、やがてテウニッセンが厳しくなりつつあるとわかると、アシストのパスカル・エーンクホーンの力を借りながら後続集団からプッシュをかけ続けた。

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残念ながらこのときはまだ抜け出すほどの力を出しきれなかったファンアールトではあるが、それでも十分にアグレッシブな走りと共に、11位でのフィニッシュとなったのである。

その後、シーズンは4ヶ月以上の「中断」に入る。

しかしそれは、ファンアールトが十分に回復していくのに最適な時間の層だったに違いない。

 

そして大怪我から1年後。

運命の「ストラーデビアンケ2020」の日がやってくる。

 

 

ストラーデビアンケ2020

40℃近くに達した灼熱の「8月のストラーデビアンケ」は、8℃で行われる3月のそれとは一変したレースコンディションをもたらした。

昨年の覇者ジュリアン・アラフィリップも、一昨年の覇者ティシュ・ベノートも、そしてワウト・ファンアールトにとって最大のライバルとなることが期待されていたマチュー・ファンデルポールも・・・皆、この残酷なコンディションの犠牲となった。

結局、カンポ広場に戻ってこれたのは、プロトン全体の4分の1に満たなかった。昨年のヨークシャー世界選手権とは真逆の天候でありながら、展開された惨状はほとんど似通っていた。

そんな厳しい状況の中で、ファンアールトは常に冷静だった。

 

今日は本当に暑くて苦しい1日だった。僕はとにかく水分補給と体温調整とに集中し、それが最後の最後で僕に力を残させてくれた*5

 

1年前のパリ~ルーベで、彼が苦しんだ補給の観点を、この日、誰よりも気を付けていたのがファンアールトだったのかもしれない。

 

 

最初に大きな動きが起きたのは――例年通りの――残り55㎞地点「モンテ・サンテ・マリエ」であった。その直前の段階でアラフィリップやファンデルポールらがパンクによって遅れている間に、このモンテ・サンテ・マリエでは昨年準優勝のヤコブ・フルサンが単独で抜け出した。

これにマキシミリアン・シャフマン、グレッグ・ファンアーヴェルマート、アルベルト・ベッティオル、ダヴィデ・フォルモロ、そしてファンアールトの5名が食らいつき、次なる動きはこれも例年通りの残り23㎞「モンテアペルティ」を越えた直後で勃発。

今年のパリ~ニース覇者であり、ボーラ・ハンスグローエとの4年間もの契約更新を得たばかりのマキシミリアン・シャフマンがアタック。ここにファンアールトが食らいついていった。

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このシャフマンとファンアールトの2人旅はしかし、残り19㎞「ピンズート」でファンアーヴェルマートが脱落したあとの残り3名によって捕まえられる。

その後も昨年のロンド覇者ベッティオルなどによる果敢な攻撃が仕掛けられるも、しばらくは硬直状態に。

最後にこの均衡を打ち破ったのは、残り13㎞の最後の勝負所「レ・トルフェ」での、下りを利用したファンアールトのアタックであった。

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最後の登り坂だけで勝負しても勝てたかもしれない。けれど、攻撃は最大の防御だってこともよく分かっていた。これまでのこのレースの経験からも、このタイミングでの攻撃は決して不利ではないことも知っていた。だから僕は下り坂で攻撃を仕掛け、急な登りの区間での小さなアドバンテージを得ることもできた。そこからは、もう、1対1の戦いで、すべてがうまくいく展開になった*6

 

実際、完璧なタイミングだった。

誰もが疲弊している中で、最後の最後の重要な勝負所で、ファンアールトは最高の一撃を放つことができた。

そして、一度ライバルたちの間隔を開けることさえできれば、世界トップクラスのTT能力を誇るファンアールトにとって、独走を続けることには何の問題もなかった。

 

最後まで走り続けるだけの力は、十分な補給と冷静さによって保たれていた。

あとはもう、1年ぶりの勝利をその手に掴むだけであった。 

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彼が強いのは間違いなかった。その強さでもって、これまで幾度となく驚くべき勝利と栄光を掴み取り続けてきた。

 

一方で、彼は何度も挫折を味わった。苦しみ、自転車を続けることへの疑問を感じるときもあった。

しかし、それでも彼は何度となく立ち上がり続けた。ちょうど1年前、選手生命を左右しかねないほどの大きな怪我を負ってしまったあとも。

必ず力を取り戻せるようになると自分を信じて、血のにじむようなリハビリとトレーニングを経た先に、今日の勝利がやってきたのである。

その努力が間違っていなかったことを噛み締めるようにして、冒頭の言葉を彼は述べたのである。

 

 

だから、この先も決して平坦な道ばかりではないにしても、どんな苦しみ、低迷を味わうことになったとしても、私たちは彼、ワウト・ファンアールトがその度に起き上ってきてくれることを期待することができる。

彼は誰よりも強く、そして誰よりも努力して、誰よりも諦めない男であることを、僕たちは知っている。

 

これからもそんな風に勝ち続けてほしい。

今回のこの勝利は「復活」かもしれないが、その先にはこれまでになかった栄光があることを、これからも期待しているよ。

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