※当記事における年齢表記は、すべて2019年12月31日時点での表記となります。
カレブ・ユワンが2019年はロット・スーダルのジャージを着て走ることは周知の事実だが、その彼が古巣ミッチェルトン・スコットから自分のために連れてきたアシストがロジャー・クルーゲ(ドイツ、33歳)である。
新しい環境、新しいチームメートと共に過ごすマヨルカ島のチームキャンプにて、Cyclingnewsのインタビューに以下のように答えている。
「私の立ち位置は以前とそう変わってはいません。ただ、少しだけ、プレッシャーを感じています。というのも、以前のチームは総合とステージの2つの目標があり、私たちは十分なサポートを受けることができていませんでした。一方、この新チームでは、カレブは5人、6人、7人のライダーたちによる完璧なサポートを受けることができます。その中で私は、カレブのスプリントのためのリードアウトトレインの中で重要な役割を担うのです」
ロット・スーダルは長らく、ドイツの一流スプリンターであるアンドレ・グライペルのためのチームであり続けてきた。
しかし、その彼のためのリードアウト要員の多くは他チームへと移籍してしまい、残った選手の1人あるジャスパー・デブイスト(ベルギー、26歳)のほかには、アクアブルー・スポートから移籍してきたアダム・ブライス(イギリス、30歳)が有力なユワンの発射台要員として考えられるだろう、という状態である。
※アダム・ブライスについては以下のブログ記事に詳しい。
当然、ユワンにとっては不安は残る。せっかくスプリントに集中すべく移籍した先で、自分を助けてくれる存在が十分ではないとしたら・・・
だから彼は、クルーゲを連れてきた。身長192㎝の長身のドイツ人。
ユワンと比べて30㎝も差がある大人と子どものような2人だが、その相性はバッチリ。
2017年のツアー・ダウンアンダーにおけるユワンの6勝や、同じ年のアブダビ・ツアーでのキッテルへのリベンジ勝利などを常に支える存在であり続けてきた。
新天地に挑もうとするユワンの成功を支えるのは重要な役割を果たすであろうクルーゲ。
2019年は彼の走りにも注目をしていくべきだろう。
クルーゲの経歴
強力なリードアウト・スペシャリストとして名前を売っているクルーゲだが、元々はトラック選手としての経歴の方がより輝かしいものだったりする。
2008年の北京オリンピックではポイントレース種目で銀メダルを獲得。
2010年にはヨーロッパ選手権オムニアム種目で金メダル。
そして2018年にはマディソン種目でついに世界チャンピオンとなった(相方はテオ・レインハルト)。
トラック競技で培ったその加速力を活かし、ロードレースの世界で彼の名前を一躍有名にしたのが、2016年のジロ・デ・イタリア第17ステージだった。
その日、逃げ集団の最後の1人であるフィリッポ・ポッツァートが単独で残り1kmのアーチを通過。
混乱するメイン集団の先頭を走っていたのが、当時IAMサイクリングに所属していたクルーゲだった。彼はあくまでも、チームのエーススプリンターであるハインリッヒ・ハウッスラーのリードアウト要員であった。
しかし、ポッツァートを捕えるべく全力で加速した後、振り返ってみるとそこには大きな差が作られていた。
そして彼はその日、プロ生活7年目にして初の(そして現在に至るまでの9年間の中で唯一の)ワールドツアーレースでの勝利を掴んだ。
「この勝利がミシェルの考えを変えるとは思っていない。ただおそらくそれは、彼がこの3~4年の間、僕たちに与えてくれたたくさんのものへのお返しにはなるだろうと思う*1」
奇しくもこの勝利から48時間前に、チームのオーナーであるミシェル・テタはIAMサイクリングの解散を発表していた。
しかしチームはこのクルーゲの勝利を皮切りに、ヤルリンソン・パンタノのツールでの勝利、ヨナス・ファンヘネヒテンとマティアス・フランクによるブエルタ・ア・エスパーニャでの勝利と、ラストシーズンに華々しい結果を打ち上げることとなった。
それから2年、オーストラリアのチームで過ごしたクルーゲは、再び新たな舞台に降り立つ。
ユワンの勝利を導く最高のアシストとして。
あるいはもしかしたら、もう1度大きな彼自身の栄光を手に入れるため?