右手首につけていた喪章に口づけをしたあと、両腕を天に高く掲げ、投げキッスをした。何よりも、天国で見守るチームメートのために。ワンティ・グループゴベールのエンリーコ・ガスパロットが、251.8kmの戦いを制した。
天に向かって勝利のキスを送るガスパロット。https://twitter.com/Ikalga/status/721711966574632965
この3週間前、ベルギーのレースで、ワンティに所属するアントワーヌ・デモアティエが、レース中の事故で命を落とした*1。同じ時期に別のレースでまた別のベルギー人選手も亡くなっており、さらにその数日前にはベルギーの空港でテロ事件が発生し、死者も出ているという中だった。ちょうどベルギーを中心とした「北のクラシック」が始まろうとしている時期ではあったが、観客たちも選手たちもみな、深い悲しみを共有していた。
もちろん、常に危険と隣り合わせのスポーツであるロードレースにおいて、このような形で命を落とす選手がいることは、決して珍しいことではない。それでも、デモアティエのチームメートたちは、デモアティエと、その遺された家族のために、プロコンチネンタルチームであることも関係なく、全力で目の前のレースに臨んでいった。ロンド・ファン・フラーンデレンにおいても、ワンティの選手は終始積極的な走りを見せていた。
そして今回のガスパロットの勝利である。
もちろん、ガスパロット自身は、このような結果をもたらすことが十分可能な選手ではあった。2012年には一度アムステルで優勝をしているし、それ以降も毎年ベスト10に入る成績を残していた。
それでも、かつて所属していたワールドツアーチームから一段下のプロコンチネンタルチームに移籍してからの勝利である。実際、2012年の勝利以降、大きな勝利は1つもない。ベスト10にどれだけ入っていたとしても、そこから優勝へと届かせるためにはかなりの困難が伴うものである。
それでもガスパロットは勝利した。しかも、確かな実力と経験値を見せつけて。
残り7.4km。ティンコフのクロイツィゲル、そしてロット・ソウダルのティム・ウェレンスが立て続けにアタックを仕掛けたとき、オリカ・グリーンエッジの先頭2人の後ろにぴったりと貼りついて、ガスパロットはチャンスを窺っていた。決して慌てず、前を牽くことなく、集団がしっかりとウェレンスに近づいていくのをぐっと堪えて待ち続けていた。
そして残り2.8km。勝負の坂「カウベルグ」に入った瞬間、彼は迷いなく集団から飛び出した。すぐさまアージェードゥーゼールのヤン・バークランツが食らいつくが、ガスパロットは振り返ることなくひたすら踏み続け、ウェレンスを追い抜き、バークランツも置き去りにした。唯一、ティンコフのミカエル・ヴァルグレンだけが、ガスパロットの背後に貼りついてきた。
このとき、誰よりも間違いなく強かったのがガスパロットであった。彼のペダルは軽く、さしたる抵抗もなく平均勾配7.5%の坂道を駆け上がっていた。それは彼がこれまで培ってきた実力によるものであることは間違いがないが、おそらくはまた、天国で見守るチームメートの助力もあったのかもしれない。
そして最後の平坦1.7km。向かい風で、逃げ切りには向かない状況。後方からは恐ろしい勢いで集団が迫ってくる。このとき、ガスパロットはまだ落ち着いていた。そして彼の目の前に、それまで背後にいたヴァルグレンが回り込み、ガスパロットを牽く形でスパートをかけた。もちろんヴァルグレンも、ガスパロットを勝たせるつもりなどなかった。しかしガスパロットよりも10歳も年下のヴァルグレンは、まだ勝負の駆け引きの経験を十分には知らなかったのかもしれない。後続の集団に追い付かれることへの恐怖から、自らが敵を助ける形になっていたとしても、まずは目の前のゴールに近づくことを最優先させたのである。
そしてヴァルグレンに十分に前を牽かせたのち、残り150mで、ガスパロットは前に出てスパートをかけた。後続とは3秒差。まさに計算し尽くされた、絶妙な勝ち方であった。
ガスパロットの強さが圧倒的であり、その勝利は必然的であった、というと、それもまたやはり違う。むしろ、フィリップ・ジルベール、ミハウ・クヴィアトコスキーといった優勝候補が次々と脱落していく中で、最後まで万全のトレインを維持し続けていたオリカ・グリーンエッジのマイケル・マシューズこそが、最も勝利に近い存在であった。
しかし、ウェレンスがアタックを仕掛けたときも、最後のガスパロットの飛び出しの後も、マシューズを含むプロトンは完全に牽制状態となり、追走のペースを上げることができずにいた。ラストスプリントの重要な発射台であったはずのダリル・インピーも、カウベルグの登りで引き離され、結局はメイン集団での3位争いはバルディアーニのソニー・コルブレッリが制し、マシューズは5位でのゴールとなってしまった。
あれほどの激しい牽制状態となってしまったのは、ライバル不在の中、マシューズの強さがプロトンの中で際立ってしまったことがむしろ仇となってしまったのではないか、と指摘するツイートもあった*2。同じような状況はペーター・サガンなどもよく経験している。強すぎるがゆえのジレンマであり、これを打破するためにはより圧倒的な強さで捻じ伏せるか、経験を積み重ねていくしかない。マシューズはまだ25歳。これからまだまだ、勝利を重ねることができるはずだ。
勝利後のインタビューで、ガスパロットはとにかく天国のチームメートのこと、その遺された家族のことを語った。自らの長いプロ生活における勝利の意味など、もっと語るべきこともあっただろう。彼にとってワンティというチームはまだ2年しか在籍していないチームでもあるのだから。
それでも、今回の勝利はデモアティエに捧げる勝利であったのだろうし、悲劇を乗り越えるべく団結したチーム全員で勝ち取った勝利であったと、彼は確信しているのだろう。だからこそ、今度は彼自身の勝利を、近いうちに手に入れたいとも思っているはずだ。そのときはきっと、彼自身の人生における、彼自身の勝利への喜びを、心から語ってくれるだろう。
先週のマシュー・ヘイマンに続き、我々にとって忘れられない選手がまた増えた。彼の次なる勝利を、私たちは強く待ち望み続けている。
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*1:ヘント〜ウェヴェルヘムで落車したワンティのデモアティエが死去 http://www.cyclowired.jp/news/node/194924
*2:https://twitter.com/spike_krain/status/721712678708707328