りんぐすらいど

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グリーンマウンテンの残り100mまで逃げ続けた男――ファビアン・グルリエ24歳の執念の走り【ツアー・オブ・オマーン2019第5ステージ】

中東オマーンで開催されているツアー・オブ・オマーン(2.HC)定番のクイーンステージである「グリーンマウンテン」。

登坂距離5.7km、平均勾配10.5%という、グランツールの勝負所になってもおかしくないこの本格的な山頂フィニッシュで、今年も様々なドラマが生まれた。

 

まずは、昨年総合優勝者のアレクセイ・ルツェンコの勝利である。昨年はヤン・ヒルトの強力な牽引からの、ミゲルアンヘル・ロペスとの2人旅だった。今年はクライマーが少ない中での参戦で、正直、昨年と同じようには勝てるとは思っていなかった。

だが、ルツェンコはたった1人の力で成し遂げた。しかも、第2・第3ステージに続く、今大会ステージ3勝目。残り1.5kmでアタックしたルツェンコに唯一喰らいつけたドメニコ・ポッツォヴィーヴォも、ラスト150mで一気に突き放されてしまった。

 

「今日の彼を倒すことなんてできないよ」とポッツォヴィーヴォも語ったその強さ。この勝利をルツェンコは、彼の妻に捧げると語った。

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彼の妻はわずか2ヶ月前に、双子を流産していた。スペイン合宿から家に戻ったルツェンコは、病院のベッドに横たわる妻からその話を聞いた。

後ろ髪を引かれる思いで年初のトレーニングに戻ったものの、妻のことは常に頭の中から離れずにいた。

 

「この勝利は妻に捧げる。5歳になる娘もいる。僕たちは耐え難い悲劇を経験したけれど、僕の出せる全力を家族に見せてやりたかったんだ」

 

アレクセイ・ルツェンコ。26歳のカザフスタン人は多くの苦難を乗り越えながら成長し、今やヴィノクロフに次ぐ故国の英雄にならんとしている。

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だが、今回語りたいのは、このルツェンコのことではない。

そのルツェンコの前にグリーンマウンテンを登り始め、そして残りわずか100mで捕らえられてしまった男。

それが、ファビアン・グルリエ。 

ディレクトエネルジーに所属する、プロ3年目の24歳のフランス人だ。 

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スタート直後に6名の逃げが形成され、最大で6分近いタイム差が生まれた。

コースのおよそ半分を消化した時点からアスタナが集団を牽引し始め、少しずつタイムが削られていくものの、残り20km地点でなお、4分以上ものタイム差が残っていた。

残り5.7km。グリーンマウンテンの麓に辿り着いた時点で、逃げと集団とのタイム差はだ3分。

とはいえ、グリーンマウンテンの登りはやはり厳しく、登坂区間に入った途端に逃げ集団は散り散りになった。グルリエは同じ集団内に含まれていたチームメートのロマン・カルディスに、登りの序盤の緩やかな区間を牽引してもらった。

やがてたった1人になったグルリエは、恐ろしい勢いで追い上げてくる総合優勝候補たちから逃げ切ることだけを考えて懸命にペダルを踏んだ。

 

「監督は何度も繰り返し僕に言った。『振り返るな、決して振り返るな! お前はできる、お前はできる!』って。僕はほとんど振り返ることはなかった。ものすごく近くに迫ってきているように見えても、500m走るのにも何分もかかるような急勾配だったので、自分と彼らとのタイム差を正確に判断することなんてできなかったから」

 

「僕はもうフルガスで走った。一切の計算を捨てた。とにかく出せる全ての力を注いだ。残り3kmになったとき、僕は自分に『あと2kmだぞ』と言い聞かせた。残り2kmになったとき、僕は自分に『あと1kmだぞ』と言い聞かせた。最後にはもう、何も考えなくなった」

 

しかし、若者の健闘空しく。

彼は、やがて集団から抜け出したルツェンコとポッツォヴィーヴォに追い付かれた。

そして、最後の150mでもう一段階の加速を見せたルツェンコによって、残り100m、たったの100mで抜き去られてしまったのだ。

 

悔しい敗北だった。

 

「残念だけど、後悔はしていないよ。僕は全てを出し切ったのだから。こんなにも厳しいステージで2位に入れるだけのパフォーマンスを発揮できたことに驚いている。こんな厳しい登りはこれまでの人生で初めてだった。僕はこれからもずっと、この日のことを頭の中に刻み続けるだろう」

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ファビアン・グルリエはディレクトエネルジーのお膝元であるフランス西部、ヴァンデ県で育った。当然、アマチュア時代は育成チームのヴァンデUに所属。そのまま2016年にディレクトエネルジーでプロデビュー。まさに、生粋のヴァンデっ子である。

 

そんな彼はまるで、トマ・ヴォクレールの魂を受け継がんとするがごとく、積極的な逃げの姿勢を見せ続ける。昨年はパリ~ニースの第3・第4ステージで逃げに乗り、一時は山岳賞ジャージを身に纏った。

その年のツール・ド・フランスにも出場し、第8ステージでは敢闘賞を獲得。山岳ステージとなった第15ステージでも23名の大規模逃げ集団の中に含まれただけでなく、その後もそこから抜け出すアタックを繰り出すなど終始激しく動き続け、最終的には15位でのゴールとなった。

 

プロ勝利はまだ、ない。今回のオマーンが最もそれに近づいた瞬間だった。

だが、勝利だけではない走りの美しさを見せようとし続ける男。まさにヴァンデの生んだ魂の結晶のような男だ。

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昨年の同じ2月に開催されたドバイ・ツアーでも、残り「50m」まで逃げながらも敗北した男がいた。

ラリー・サイクリング(現ラリー・UHCサイクリング)に所属のブランドン・マクナルティである。 

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しかし彼はその後、その才能を遺憾なく発揮しつつある。

まずは地元ツアー・オブ・カリフォルニアで総合7位。そしてツール・ド・ラヴニールでも、イバン・ソサとタデイ・ポガチャルと並んで山頂フィニッシュをゴールした。

今回のツアー・オブ・オマーンでも総合9位。今年21歳とは思えない高い実力を示しつつある。

 

 

結局のところ、本当の実力がなければ「惜しい2位」もありえない。

グルリエはまるでこれから先今回のような結果を得られることはないと言わんばかりに先のコメントを述べていたが、今回のことが掠れてしまうくらいに、これからも大きな成果を出し続けてほしいところ。

 

そして彼はそれが十分に可能な男だと思っている。

 

 

ファビアン・グルリエ。

ヴァンデが生んだ新たな時代のエスケープスペシャリスト。

やがて彼が、再び挑んだこのグリーンマウンテンの山頂を制する日を楽しみにしている。 

 

 

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