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ケニー・エリッソンド——フランスの「小さな巨人」の未来

ケニー・エリッソンドがスカイ*1を去る。

 

2016年にブエルタの山岳賞を争い、2018年にフィネストーレでフルームのジロ初優勝を支えたフランスの「小さな巨人」。

しかし彼は結局のところツール・ド・フランスへの出場を許されることはなく、スカイでの最後のグランツールとなるはずだったブエルタ・ア・エスパーニャでは、降り立ったスペインの地で帰宅を命じられたことで幻に終わった。

 

だが、彼は決して、弱かったわけではない。

ただ、彼の持つ武器が、スカイというチームで最も求められるものとは違っていたという、ただそれだけのことだ。

 

そして、彼の武器は、きっと、新たなる彼の戦いの舞台――トレック・セガフレードにおいては、輝くものとなるはずである。

 

 

今回は、ケニー・エリッソンドという男について、そのこれまでの経歴と、そして「未来」について語っていきたい。

 

 

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「ピノの次に来る男」として

ケニー・エリッソンドは1991年の7月にパリで生まれる。17歳になる年に、フランス国内選手権のジュニアロード王者に輝く。

アマチュアチームのCCエタップスに所属していた2011年に、若手の登竜門レースの1つ、ロンド・デ・リザールで総合優勝を果たしている。この成績も認められ、同年にFDJのトレーニー契約を獲得。翌年には同チームに正式加入した。

プロ初年度となる2012年にはパリ~コレーズでステージ優勝。

そして2年目となる2013年にはツアー・ダウンアンダーで総合13位、ツアー・オブ・オマーンで新人賞を手に入れ「ピノの次に来る男」として期待を集めた。

 

その期待が頂点に達したのは、2013年のブエルタ・ア・エスパーニャ第20ステージの「アングリル」を制した瞬間であった。

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この年総合優勝を果たすクリス・ホーナーから26秒、総合2位となるヴィンツェンツォ・ニバリから54秒の差をつけ、わずか22歳の青年が「伝説」の山を制した。

 

 

しかし、あまりにも鮮烈すぎるデビューを飾った若者は、その後数年間の苦しみの時代を過ごすことがままある。

彼にとっての2014年・2015年はまさにそんなシーズンだった。この間1勝もできず、2014年の2度目のブエルタ・ア・エスパーニャは途中リタイア。

2015年にはジロとブエルタの両方に出場するが、最高でステージ8位。決して満足のいく出来ではなく、やがて彼の名前は埋没していった。

 

そんな彼の名前が再び轟いたのは2016年のブエルタ・ア・エスパーニャ。

第14ステージのオービスクの山頂フィニッシュで2位に入ったエリッソンドは、そのまま山岳賞ジャージを着用。第20ステージまでその青い水玉ジャージを着続けることとなった。

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だが、最後の山岳ステージとなった第20ステージ。3ポイント差にまで迫ってきていた前年の山岳賞オマール・フライレに対し差をつけるべく、スタート直後の2級山岳の手前で彼はアタックを仕掛けた。

これが悪手だった。ここまでの疲労が積み重なっていたエリッソンドは、自らの限界を見誤った。あるいは、もうすでに空っぽだったことを自覚して、それでも最後にこのポイントだけは、という賭けだったのかもしれない。

いずれにせよ、山頂を目の前にして失速したエリッソンドはフライレにパスされ、そのままずるずるとメイン集団にまで落ちていった彼は、この日を最後に山岳賞ジャージを失うこととなった。

 

しかし、身長169㎝。そして体重わずか52㎏という、この「小さな巨人」の悠々たる走りを目にとめたチーム・スカイの首脳陣は、チームとして実に6年ぶりとなるフランス人ライダーの獲得を決心する。

スカイのゼネラルマネージャー、デイブ・ブレイルスフォードは2014年に「フランス人でツールに勝ちたい」と語ったという。フランス人メディアに対するリップサービスも含まれてはいるだろうが、このときまだ25歳だったエリッソンドにその夢を託す可能性も、ないわけではなかったであろう。

 

そして彼は、このチームで、大きな役割を果たすこととなる。

 

 

伝説を生んだ男

スカイには「2年目のジンクス」がある。

ある程度の話題性をもって期待と共に加入してきた新人は、必ずと言っていいほど初年度は影が薄く、活躍できない。

しかし翌年、2年目になって初めて、その実力が元々あったもの以上に発揮され、大きな飛躍を遂げるのである。

 

古くはミカル・クウィアトコウスキー、あるいはミケル・ランダ。

最近の例で言えばクリストファー・ハルヴォルセン、あるいはディラン・ファンバーレなど。

これは恐らく、元々力を持っていた彼らに対しても放置するのではなくスカイ流のメソッドで教育を施し、それがゆえに初年度はなかなかフィットしない部分から力を発揮しきれないが、それが十分に馴染んだ2年目からは結果に繋がる、という理由があるのだろうと推測している。

スカイがただ単にタレントを集めるだけでなく、そこから更なる「伸び」を実現させていく集団であることが、この事実からもよくわかる。

 

そして、エリッソンドもまた、そういった「伸び」を経験した男である。

前述の通り、かつては「ピノの次」と期待され、しかし期待の新人特有の「伸び悩み」を経験した彼は、スカイ流のメソッドを経て、「2年目」たる2018年に大きな飛躍を遂げることとなる。

 

その兆候はまず、2018年の「ジロ前哨戦」ツアー・オブ・ジ・アルプスで現出する。

 

この年、初のジロ・デ・イタリア本格参戦を控えていたクリス・フルームを助けるべく、エリッソンドは筆頭アシストとしてこの「ジ・アルプス」に参加していた。

そして連日の山岳ステージで、常に終盤までフルームの傍らに残っていたのがこのエリッソンドであった。そしてその小さな身体から生み出される信じられないほどのパワーで、フルームを含む集団を牽き倒し、その規模を一気に縮小させる役割を担っていた。

 

この功績を認められ、そのままジロ参戦が決定。

この2018年のジロ・デ・イタリアでは、クリス・フルームは初日の個人TTから落車し、前半の山岳ステージでは遅れる姿を見せるなど、総合優勝争いからは完全に脱落してしまったとみなされていた。

だが中盤のモンテ・ゾンコランでサイモン・イェーツを振り切ってステージ優勝を果たし、第3週初日の個人TTで好成績を叩き出したフルームは少しずつ復調。

 

そして、運命の第19ステージを迎える。

 

 

この日は、中盤にこの大会の最標高地点(チマ・コッピ)となるフィネストーレ峠が設けられていた。

登坂距離18.5km。平均勾配9%。しかもラスト8kmは未舗装路。

実にジロらしい厳しすぎる難関山岳。

 

この日、総合首位のサイモン・イェーツを3分22秒差で追いかける総合4位クリス・フルームは、チームと共にこの登りで大きな賭けに出た。

そして、その最終発射台となったのが、エリッソンドであったのだ。 

www.ringsride.work

 

サルヴァトーレ・プッチョが4km、ダビ・デラクルスが5km強力に牽引し、未舗装路に突入した瞬間から1kmに渡って、ケニー・エリッソンドはフルームを牽引し続けた。

 

チェーンが激しく暴れ回るような状態の悪い未舗装路の上を、上体を前後左右に揺らしながら走る彼のペースアップによって、総合3位ドメニコ・ポッツォヴィーヴォを始めとした有力選手たちが次々と引きちぎられていく。

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そして、頂上まで7km。ゴールまでは80km。

ここで、エリッソンドはクリス・フルームを発射した。

その一撃に誰一人反応できず。みるみるうちにその影は空の先へと消えていった。

 

 

その先は、誰もがよく知る伝説である。

フィネストーレの頂上からフィニッシュまでの80kmを、クリス・フルームは独走し、3分以上のタイム差を一気に逆転した彼は、そのままローマの地でマリア・ローザを着用することとなった。

 

歴史に残る大逆転劇。

ケニー・エリッソンドは、この歴史を創る最も重要な役割を果たした男となったのだ。

 

 

移籍の理由

しかし、エリッソンドはスカイでの3年間を終え、チームを去ることに決めた。

彼はフランス人でありながら、スカイでの3年間のうちについにツール・ド・フランスに出場することは叶わなかった。

そして、彼にとって最後のグランツールとなるはずだった2019年のブエルタ・ア・エスパーニャでは、出場のために飛行機に乗ってスペインの地に足を踏み入れたまさにその日に、その出場が急遽なくなり、帰宅する必要が出たことを告げられてしまったのである。

 

「昨日は丸一日かけての移動だった。夕方6時にスペインに着いて、チームCEOのフラン・ミラーからの電話を取った。彼女はとても申し訳なさそうに、何か大きな変化が起こって、結果的に、僕ではなくダビ・デラクルスがレースに出場することが決まったと告げた」

「だから僕は今ホテルにいて、明日家に帰るつもりです。一体何が起こったのか、この出来事の理由は何なのか。それは僕にはわからない」

www.cyclingnews.com

 

 

このときにはすでに、彼のトレック行きは噂になっていた。

この事件が引き金となって、彼がスカイを離れトレックに行くことになった、というのは少し事実とは異なるだろう。

ただ、スカイにおいて彼が、グランツールのメンバーとして優先的に選ばれる存在ではないことは、結果として2019年シーズンに彼がたった1つのグランツールにも出られなかったことからも推測できる事実であろう。 

 

では、なぜエリッソンドは、スカイのグランツールメンバーとして選ばれることがなくなってしまったのだろうか。

 

 

まず言えるのは、彼が弱いからではない。

もちろん、スカイには数多くのタレントが存在している。彼らとの比較のうえでエリッソンドがグランツール出場権を失ったのは確かだろうが、それは単純に足の強さ、登坂力にのみ原因があるとは思えない。

 

何しろエリッソンドは、あのフルームを猛牽引し、伝説を創るきっかけを生んだ男である。

2019年シーズンも年初のツアー・ダウンアンダーで、ウィランガ・ヒルにおいてワウト・プールスを猛牽引し、その総合3位を支えている。

チームの中においても、エリッソンドの爆発力・牽引力は十分に評価されていたであろうことは想像に難くない。

 

 

では、なぜ彼がスカイのグランツールメンバーとして相応しくないと判断されたのか。

 

それは、スカイというチームがグランツールの、とくにツール・ド・フランスのメンバーとして求める選手の条件がやや特殊だったから、だと推測している。

 

 

近年、エリッソンド同様にスカイを去ることとなった強力なクライマーたちは、皆、エリッソンドに近い脚質を持ち合わせている。

たとえばミケル・ニエベ(現ミッチェルトン・スコット)。あるいはセルヒオ・エナオ(現UAEチーム・エミレーツ)。

彼らは非常に強力な登坂力を持ち合わせた名クライマーであり、スカイを去った今も、それぞれのチームで活躍を見せている。

 

しかし彼らは、そしてエリッソンドは、その実力にも関わらず、スカイを去ることとなった。

その理由は、彼らの登坂力にあるのではなく、むしろその平坦能力にこそあるのではないだろうか。

 

 

近年、スカイのツールメンバーを見ていると、いずれもが登坂力だけでなく、TT能力、すなわち平坦での巡航速度の高さが求められているように思える。

むしろ、本来的には平坦専用のTTスペシャリストやルーラーのような選手たちが、何をどうしたらそうなったのか、突如として強力な山岳登坂能力を身に着けてツールのメンバーに選ばれる、というパターンも多くなっている。

 

元世界チャンピオンのヴァシル・キリエンカがかつてはそうだった。山岳で黙々とスカイ・トレインの先頭を牽き続けるキリエンカ列車は、箱根鉄道も真っ青な山岳踏破能力を兼ね揃えていた。

今年はそこに、ヨナタン・カストロビエホ、そしてディラン・ファンバーレが加わることとなった。

とくにファンバーレは、元々スカイの北のクラシック要員として加入したと思われていたチームの「変わり種」だった。実際に今年のロンド・ファン・フラーンデレンでは、一時レースの先頭を走り、優勝に最も近い男の一人となっていた。

だが、今年のツール・ド・ロマンディあたりから、彼の登坂能力の著しい改善が見られるようになってきた。

 

それはツール・ド・フランスでも同様だった。彼は決して平坦だけではなく、山岳のかなり高い位置にまで残り続け、ときに山岳決戦の最終発射台まで担うこととなった。

まさに、次代のキリエンカ。平坦巡航能力に山岳登坂能力も兼ね揃えたチームの新・機関車役は、つい先日、チームとの3年という異例の契約更新を実現することとなった。

 

そして、キリエンカやカストロビエホ、ファンバーレのような平坦ルーラーに登坂力を兼ね備えたタイプだけでなく、クライマーたちにおいても、ゲラント・トーマス、ワウト・プールス、ミカル・クウィアトコウスキー、ジャンニ・モスコンなどの重宝されるクライマーたちは皆、TT能力も秀でている選手たちばかりである。

そのチーム構成の神髄は、今年のツール・ド・フランスの第8ステージ、サンテティエンヌへと至る丘陵ルートの中で発揮された。

ゴールまで残り16km地点での、ゲラント・トーマスを含む大きな落車。この事態に、エガン・ベルナルを除くチームメンバー全員がすぐさま対応し、バイク交換ののちに総力を挙げてトーマスを牽引。集団復帰を果たしている。

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近年のツールでは、大きな動きが平坦路で巻き起こることも多い。今年のツール第10ステージの横風集団大分断なんかはその良い例である。

そういったとき、エースの周りに純粋なクライマーばかりではどうしようもない。すぐさま対応し、パワーでもってエースを安全な位置にまで運び上げるルーラー役が重要になり、それが登りでも同様にコントロールできる存在であれば、なおさらその価値は高まる。

 

より安全に、よりローリスクで。

確実にツールを制することを目指すスカイにとって、どれだけ登坂での爆発力があったとしても、平坦巡航能力が十分なものでなければ、メンバーとして選定するのは難しい。

近年のツールでの彼らの選手起用の様子を見ていると、スカイのそんな哲学を感じられるような気がしている。

 

 

もちろんこれは推測である。

エリッソンドがツールのメンバーとして選ばれなかった理由、そして彼がチームを去る理由は、まったく別のところにあるのかもしれない。

 

ただ、確実なのは、彼が来年からはスカイのメンバーではないということ。

そして、彼が新たに着るのは、トレック・セガフレードのジャージだという、その事実である。

 

 

エリッソンドの未来

さて、エリッソンドが新たな挑戦の舞台としてトレック・セガフレードを選んだことは、果たしてどんな意味を持つのだろうか。

そこで彼は彼の武器を生かし、ツールを始めとする重要レースに出場できる可能性はあるのだろうか。

 

それに対する私の答えは、イエスである。

 

もう一度エリッソンドの武器を確認しておくと、それは短距離で爆発的なパワーを発揮する登坂力と、それによるエースのアシスト力である。スカイ時代により高いレベルで備わったその能力を、彼はトレック・セガフレードという新たな舞台で存分に発揮できるように思われる。

 

そのヒントとなるのが、今年のツアー・ダウンアンダーでの彼の走りである。

ダウンアンダー最終日。大会のクイーンステージであるウィランガ・ヒルにおいて、ケニー・エリッソンドはディラン・ファンバーレのアシストを受けて早めのアタックを繰り出す。

そこに、チームのエースであるワウト・プールスが遅れて合流。そして再び加速するエリッソンドの背中から飛び出して、総合3位プールスはフィニッシュに向けて独走を開始する。

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残念ながらこのプールスのアタックは、「ウィランガの王」リッチー・ポートのアタックによっていとも簡単に飲み込まれ、最後は脆くも敗れ去ることとなる。

しかし、「王」ポートから秒差なしでプールスがフィニッシュを迎えられたのは、このエリッソンドによるアシストのお陰であったことは間違いない。

 

そして、エリッソンドはこのポートのいるトレックに移籍する。

これが何を意味するかは・・・明白である。

 

 

また、いつもロードレースにおける有益な情報を提供してくれるグライドさんのツイートでも、以下のように興味深い推察が。

 

スカイがメカトラ時のバイク交換を考慮してクリス・フルームと身長が近いゲラント・トーマスやプールスを重宝しているというのはまことしやかに囁かれる有名な話。

それを考えれば、元スカイのポートが同じような考え方でアシストを起用することは十分にありえそうな話である。

(また、この身長問題が、エリッソンド冷遇?の原因の1つとも言えるのかもしれない。クウィアトコウスキーのようなメカニック能力があれば別だが・・・)

 

 

そうでなくとも、ポートにとっては、なおもツールを狙って行くうえで非常に大きな価値をもちうる存在が、このエリッソンドである。

彼やニバリのもとで、エリッソンドは再びその実力を発揮するチャンスに恵まれる。

そしていつかは、彼自身の勝利のために。

 

ケニー・エリッソンドの新たな伝説が始まる。

まずは、1月のツアー・ダウンアンダーで、リッチー・ポートの「7年連続ウィランガ制覇」の立役者となるエリッソンドの姿を楽しみに待っていたい。 

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*1:もちろん、より正確な表現をすればこれは「チーム・イネオス」と表記するべきだ。ただ、ここではあえて「スカイ」の表記で統一する。

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